小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

「国民的アイドル・香取慎吾のカムバックが意味するもの:ベストヒット歌謡祭2023」

 この数年、日本では芸能人の事務所独立が急増している。以前は”干される”といったネガティブワードがつきものだった芸能人の独立も、近頃はメディアの多様化に世論の後押しもあり、前向きな選択として受け止められるようになってきた。

 ただ、それでもアイドルの独立が少し特殊なのは、昔も今も変わらない。なぜなら過去の実績を比較的引き継ぎやすい俳優やミュージシャンと違い、アイドルの独立はその多くが、活動の根幹だった「持ち歌」を失うことから始まるからである。
 
 しかし独立から6年、そんな大損失を乗り越えて、ついにアイドル・香取慎吾は民放の大型音楽特番にカムバックする。
 彼がテレビ越しの大観衆の前に帰還するのは、奇跡と言うよりも、独立後の歩みを追えばむしろ必然の結果であった。

https://www.ytv.co.jp/besthits/

2017年(9月):事務所独立による「持ち歌の喪失」

 独立したアイドルが、持ち歌を歌えなくなること。
 それは様々な事情――例えば独立以前に交わされていた契約内容や前所属事務所が負担していたプロモーション費用、グループアイドルであれば「持ち歌」がグループ単位で発表された作品であること、さらにグループ単位のファン心理への配慮――などを考えると、仕方がないことかもしれない。

 ただ一方で、義務教育中でも仕事として成立してしまうアイドル当人の視点に立てば、それは犠牲にした青春の代わりに、10代からこつこつと育ててきた財産でもあった。
 11歳から39歳までの28年間、国民的アイドルグループ・SMAPのメンバーとして活動し続けた香取慎吾が2017年の事務所独立時に失った「持ち歌」は、実に400曲以上*1に及ぶ。

2017(9月)~2019年:テレビで歌えなかった3年間

 2017年12月24日、香取は同じく新事務所に移籍した草彅剛、稲垣吾郎とともに新しい地図名義で配信シングル『72』を発表し、音楽活動を再開。
 翌2018年4月には草彅とのユニット・SingTuyo名義でも配信シングル『KISS is my life.』を発表、また2019年2月~4月には独立以来、初のライブイベントとなる「NAKAMA to MEETING_vol.1」も開催した。

 しかし独立してからの3年間、彼らの歌唱シーンが見られるのはYouTubeの公式ミュージックビデオかABEMAのレギュラー番組「7.2 新しい別の窓」のみで、テレビの音楽番組出演は一切なかった。


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 少し風向きが変わるのは2019年7月、前所属事務所に独占禁止法違反の恐れがあるとして、公正取引委員会が行った「注意」以降である。

2020~2022年:コロナ禍の苦しみと奮闘

 2020年1月1日、香取は初のソロアルバムとなる「20200101」をリリース。その直後、2020年4月にはNHKの音楽番組「SONGS」に出演する。これは香取にとって独立以来、約3年半ぶりとなる地上波の音楽番組出演であった。
 しかし個人の音楽活動がいよいよ本格化というタイミングで、コロナ禍がエンタメ界を直撃。
 新しい地図のライブイベント「NAKAMA to MEETING_vol.2」はもちろん、香取にとって初のソロ名義ライブとなるはずだった「20200429 PARTY!」(さいたまスーパーアリーナ)も全て開催中止となってしまう。
 
 ただ、それでも香取は、アイドルとして生きる選択肢=音楽活動を決して手放さなかった。
 俳優や画家としての個展開催など多分野での活躍も見せつつ、2021年4月には「さくら咲く 歴史ある明治座で 20200101 にわにわわいわい 香取慎吾四月特別公演」でライブ活動を再開、2022年4月には2作目のソロアルバム「東京SNG」をリリース。
 さらに2023年1月からはソロ名義で初の全国ライブツアー「BlackRabbit」を開始し、東京では初のアリーナクラスとなる有明アリーナでの2公演も成功させた。

 するとその直後、香取の音楽活動にもうひとつの契機が訪れる。支援の手を差し伸べたのは他ならぬ、長年の”仲間”であった。

2023年:民放音楽番組、そして大型音楽特番への復活

 中居正広とダウンタウン・松本人志が司会を務める2023年4月30日放送のフジテレビ系「まつもtoなかい」にて、香取は最新曲の『BETTING』を披露。
 香取が民放テレビ局で歌ったのはフジテレビ系「SMAP×SMAP」最終回以来、約6年半ぶりとなった。

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 また2023年8月には日本テレビ系の音楽番組「バズリズム02」にも出演。香取が日本テレビ系の番組で歌を披露したのも2015年放送の「さんま&SMAP!美女と野獣のクリスマススペシャル」以来、約8年ぶりの出来事である。
 そして2023年11月16日、香取の音楽活動はついに、日本テレビ系「ベストヒット歌謡祭」への出演まで到達するのだ。

国民的アイドル・香取慎吾のカムバックが意味するもの

 2023年11月16日の夜、無数の観客の前に香取慎吾が立つ光景は、SMAPが「FNS歌謡祭」(フジテレビ系)や「MUSIC STATION スーパーライブ」(テレビ朝日系)の常連だった時代を知る世代には、ある意味見慣れたものかもしれない。
 だが香取自身にとっては民放の大型音楽特番もまた、SMAPのメンバーとして出演した「CDTVスペシャル!年越しプレミアライブ2015⇒2016」以来、やはり約8年ぶりのステージなのである。
 しかも今回は関ジャニ∞、Kis-My-Ft2、なにわ男子といった前所属事務所の後輩たちとの共演という歴史的トピックまで創出している。
 28年分の持ち曲を全て失ったあの時、テレビの歌番組に出られなかったあの時、ライブの開催中止が相次いだコロナ禍のあの時……
 もしも独立後の香取慎吾が音楽活動の継続を一瞬でも諦めていたら、2023年の日本アイドル界は「圧力」や「忖度」や「共演NG」といった言葉に一層埋もれて、さらに陰鬱な印象を後世に残していたのかもしれない。

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 改めて、2023年の香取慎吾の凄さは過去の実績をそのまま引き継ぎやすい俳優活動ではなく、「持ち歌が0になる」ところから始まる独立アイドルの音楽活動で、この現実を創り上げたことにあるのだ。
 だからこそ、「ベストヒット歌謡祭2023」のステージはなるべく見逃してほしくない。
 それは今なら誰もが、日本アイドルに訪れる新しい時代、その最初の目撃者になれるからである。



<TVer>
※香取慎吾出演:Vol.1、Vol.4
ベストヒット歌謡祭2023 Vol.1
ベストヒット歌謡祭2023 Vol.2
ベストヒット歌謡祭2023 Vol.3
ベストヒット歌謡祭2023 Vol.4

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東京SNG (通常BANG!)

東京SNG (通常BANG!)

  • アーティスト:香取慎吾
  • ワーナーミュージック・ジャパン
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*1:JASRACデータベースのアーティスト名「SMAP」完全一致件数:403件、また他にもSMAP時代に「香取慎吾」名義で発表された作品が存在

「6人時代のSMAP事件簿」

※これは2021年1月1日にABEMAで放送されたバラエティ番組『7.2 新しい別の窓』で、SMAPメンバー4人(稲垣吾郎・森且行・草彅剛・香取慎吾)がめちゃくちゃ普通に昔話してたことにテンション爆上がりしたヲタクの連続ツイートをまとめたものです



①「行きつけ寿司屋事件」

②「稲垣ジェットコースター事件」

③「草彅剛”時間ですよ”大遅刻事件」

④「森くんのハイキック事件」

⑤「SMAP六本木乱闘事件」

⑥「赤坂お弁当事件」

⑦「TBS局内で花火してめちゃくちゃ怒られた事件」

⑧「TBS局内でラクガキしてやっぱりめちゃくちゃ怒られた事件」

⑨「聖闘士星矢爆睡事件」

⑩「中居正広病院脱出事件」

⑪「稲垣吾郎、ハワイで溺れる」

⑫「稲垣吾郎、ハワイでクラゲに刺される」

⑬「草彅剛、忍者遠藤くんの私服にスライムをつける」

⑭「木村拓哉、スケボーで光GENJI大沢樹生の足をひく」

番外編



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「SMAPと嵐:平成アイドルが描いた“旧来的な社会感覚”への抵抗」

国民的アイドルグループ・嵐が2020年末に活動を休止するというニュースは、衝撃こそ大きかったが、本人たちがすぐに記者会見を開いて経緯を説明したということもあり、概ね前向きに受け入れられた。
しかしその中でほぼ唯一“炎上”していたのが、先の記者会見で飛び出た、一人の記者の言葉である。

「(活動休止の決断は)無責任じゃないかという指摘もあると思うんです」

この「無責任」という言葉に対し、「自由な生活がしてみたい」と直前に活動休止の理由を明かしていた大野智の心情を慮ってか、櫻井翔は明らかに怒りを隠しながら返答。
そしてそのやりとりがテレビで流れ始めると、ネットでもすぐに「あの質問は何だ」「それはさすがに違う」と、怒りに同調する投稿が相次いでいったのだった。

電撃発表と記者会見から数日立った今、あれは一種の“必要悪”な質問だったのではないか、という意見もある。
ひとつは、活動休止の言葉から連想されるネガティブイメージの代弁という見方。
それを最初に、しかも本人たちに投げかけることで、結果としてはメンバーの強い否定が引き出されたため、そこに意味があったと考える人もいる。
また彼らが30代の成熟した社会人であるということを踏まえ、活動休止発表を文字通りの無責任と受け取った人も、決していなかったわけではない。
それは今まで彼らの活動を支えるために数えきれないほどの人が働き、それに連動して経済も大きく回っていたという事実に基づいてのものだ。

しかし、それでも今回の「無責任」に対する反発の規模は、記者の発言時の想像よりもはるかに大きかったのではないかと思う。
その源にあったのは「無責任」を包む旧来的な社会感覚と平成アイドルが体現してきた現代の価値観の、決定的なズレだった。


振り返れば確かに、光GENJIまでのアイドルは、多くの国民にとって一過性の華やかな消費物であった。
トイレにいかない、セックスもしない、永遠に若くて未熟で無知なままの偶像。
言い換えればそれは昭和ベースの社会感覚が求める「あり方」、その究極の理想像でもあった。

しかしその直後に続いたSMAPはというと、光GENJIという昭和的プロフェッショナルチームの影に長年苦しんだ末に、前時代の理想像を、同じアイドルの立場から打ち破ることを選んだ。
「アイドルのくせに」「未熟なくせに」「無知なくせに」。
SMAPは旧来的な社会感覚の深淵から生じるそんな隠れた蔑みとも闘いながら、それでも枠に囚われない活動を続けることで、光GENJIとはまた違う支持を生み出していく。
そうした苦労の末、SMAPがアイドルグループとして提示した答えとはオンリーワン、すなわち「自分たちは芸能人・アイドルである以前に人間である」という、ごく当たり前で、それでも前時代では決して聞き入れられなかった価値観だった。
そして生身の人間として、ありのままを尊重して生きていこうとするアイドルのメッセージとゆっくり連動するように、平成後期にはいつしかさまざまな分野で、一方的に他者から押し付けられた「あり方」の壁を打ち破ろうとする人々の声も、確実に増えていく。

しかしある意味、時代の流れを先取りし、自ら体現していたはずのSMAPも、結局は2015~2016年にかけて大きな壁にぶつかる。
自分たちの近しいスタッフに対するあからさまなパワハラ、グループの信頼関係やブランドイメージが瓦解するような”公開処刑”。
「アイドルのくせに」「未熟なくせに」「無知なくせに」。
これらのいわゆる分裂騒動で、事務所内部の権力者がSMAPにぶつけたのはまさに旧来的な社会感覚以外の何物でもなかった。
そして逡巡の末、SMAPはグループの解散を発表する。

2016年12月26日。
最後のテレビ出演となった冠番組『SMAP×SMAP』で、彼らは悪意を含んだ憶測や中傷に何も反論することのないまま、無言で数分に渡って頭を下げ続けることで、“社会的責任”をとってカメラの前から去っていった。
あの日のSMAPを、アイドルを、旧来的な社会感覚のままで一過性の華やかな消費物として見続けていた人は、その姿に納得して溜飲を下げたのかもしれない。
しかしあの日を生きた者の一人として証言できるのは、当日のSNSに漂っていたのはむしろ圧倒的に、現代のひとつの象徴がついに旧来的な社会感覚に押し潰された瞬間、その無数の目撃者たちのやりきれなさであった。
そして「一度何事にも縛られず、自由な生活がしてみたい」と打ち明けたアイドルに旧来的な「無責任」の言葉がコツンと当たったのは、あのやりきれなさから、まだわずか2年後の話だったのである。


嵐の記者会見の翌日。
“未熟で無知”なはずのアイドルは突然投げかけられた「無責任」に対し、やはり自分の言葉で区切りをつけていた。
やりきれなくても、無責任と言われても、こうしてまた時代は少しずつ、未来の方へと進んでいく。

「自分の中での温度が少し上がったというのはあるかもしれないです。ただ、あのご質問をいただいたおかげで、結果としてきちんと我々の思いの丈が温度を乗せて伝えることができた」
「先ほどの質問も含めて、ほかにもいろんな角度からの質問をしていただけて、お伝えすることができて、それは本当によかったです」
(櫻井翔/「news zero」日本テレビ系/2019年1月28日放送分)

やはり昭和から平成へ、そのアップデートの道筋を描いた立役者の中には、間違いなく国民的アイドルがいた。
それは隠れた蔑みと闘いながら「人間としての自分」を長年専門領域としてきたSMAPであったし、嵐だったのである。


(2023.12 タイトル変更&加筆修正しました)


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「蒼い点滅の青春:SPEEDになれない、私とモーニング娘。の乱反射」

今からちょうど20年前の1998年5月、中学3年生の私はその日、修学旅行で大阪に行っていた。
泊まったのは少し古い旅館の一室。
大広間での夕食の後、目の前にあるお土産屋さんに交替で買い物に行き、消灯まで少し時間が空く。
すると同部屋の女子たちが、誰からともなく部屋の中央に集まって一斉に恋の話を始める。
部屋割りの載っている修学旅行のしおりを広げて、自分の好きな男子が、一体どの部屋に泊まっているのかというのを楽しそうにチェックするのだ。
しかしその時の私はというと、恋愛なんて恥ずかしいとか、いじめられているとかでもなく、ただただテレビが見たくて、部屋の片隅の小さなブラウン管の前に一人陣取っていた。
どうしてもその日は、「ASAYAN」が見たかった。

中2までずっと、私はSPEEDになりたかった。
ちょうど中学に入ったときにSPEEDが『Body&Soul』でデビューしている。
同い年の今井絵理子を含む4人がテレビの中で輝いていく姿は、憧れという以上にもはや夢の中で描かれるキラキラした私の姿そのもので、寝ても覚めても、いつも存在を忘れることはなかった。
中でも幼いながらにダボっとしたストリートファッションをしっかり着こなすSPEEDが好きだった。
だから夏休みになるとSPEEDを意識してよくLサイズのTシャツばかり着た。
ナイキのロゴがでかでかと入ったLサイズのTシャツ。それに太めのズボン。
しかしその頃の私がSPEEDと決定的に違うのは、太っていたことと、友達づくりがうまくできず、いまだにクラスで仲の良い友達が一人もできていなかったことである。
いつもクラスで浮いているLサイズのデブ。それが本当の私だった。
だけど夏休みに部屋で一人背中を丸めて『Wake Me Up!』を口ずさんでいると、大人が歌えない高音が出るたびに、私もいつかSPEEDみたいになれると、どこか信じていられるような気がした。

しかしいつまで経ってもクラスでは私はひとり浮いたままで、大きいサイズのものばかり選ぶ私服も、相変わらずどこからどう見てもダサかった。
好きな人はいても話しかけられない。
それは好きになる人はいつもみんなの憧れで、話しかける女子はみんなSPEEDみたいに華奢で、明るくて、垢抜けていたからである。
毎朝クラス替えを祈って教室のイスに座っても、奇跡は起こらないし、当然私は、SPEEDどころか青春を楽しむ普通の10代にさえなれやしない。
アイドルグループ・モーニング娘。をテレビで初めて見たのは、今思えば、ちょうどそんなごく当たり前のことを知った、時期だったのだと思う。

モーニング娘。に親近感を抱いたのはそれこそデビュー作『モーニングコーヒー』のプロモーションビデオを初めて見かけたときだった。
タートルネックに赤いミニスカートを履いたモーニング娘。は確かにアイドル然としていたが、でもその合間に体形を隠すような大きめのパーカーとジーンズで立っている一歳違いの福田明日香は、なぜかお茶の間の冴えない私と、かなりよく似た佇まいをしていた。
だから大好きなCDに囲まれた自室を離れようと、情けでいれてもらった旅行の班で一人浮いていようと、修学旅行の日の私は、どうしても「ASAYAN」で流れるモーニング娘。の新しいプロモーションビデオが見たかった。
恋や男子の話よりも、テレビの向こうの冴えない私が、果たしてどんな風になっているのか、早くその姿を確認したかった。

結果から言うとその日流されたモーニング娘。のニューシングル『サマーナイトタウン』の福田明日香は、背中を丸めてテレビを見ている中3の私と、そっくりそのまま同じ姿でテレビに映っていた。
メインボーカルの一人なのにTシャツに半端な丈のズボン。そして丸い顔。
他のメンバーはみんな肩なり足なりを出して色っぽさを演じているのに、それが福田明日香にはさっぱりない。
だけど福田明日香はたぶんグループで一番、なぜかボディウェーブが上手かった。
しかも華奢な高音ではなく、自分にあったキーで、見事に大人っぽい歌詞を歌いこなしている。
その時、恋愛話に夢中だったはずのクラスメートが一人、輪の中から顔を出して「あぁモーニング娘。いいよね」とぽつり言葉を漏らした。

『サマーナイトタウン』の映像における蒼い点滅は、今振り返るとSPEEDになれないデコボコの私たちが持ち寄る断面、あの時代の”正答”にぶつかって飛び散った、それぞれの青春の乱反射であったように思う。
だってSPEEDなら、3回も大キライなんて言う前に、さっさと彼氏にキスして話は終わっていたと思うのだ。
そしてそれはそれで、確かに夢のハッピーエンドであってくれた。
だけどそれが結局できないから、彼女たちはモーニング娘。になり、さらにいえば私は、猫背と人付き合いの下手さをなおせないまま、中学校を卒業した。

きっと私は忘れえぬ永遠の共有でも、かといって掻きむしりたくなるような胸の痛みでもなく、ただそこにあるデコボコの自分を、そっと時代に肯定されたかったんじゃないか、と思う。

瞼を閉じるとあの頃の景色はいまだ蒼い。
20年経っても、である。


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Starting Over [Analog]

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  • アーティスト:Speed
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「吉澤ひとみさんへの言葉」 #helloproject

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6298349news.yahoo.co.jp

吉澤さん。

芸能界に入ったときからずっと応援してきたファンの中の一人として、今回の引退は妥当である、という前提のもとで、以降の文章を書いていきます。

* * *

2000年春にモーニング娘。4期として私たちの前に登場した女の子。
キリっと引き締まったビジュアルが印象的だった半面、歴代のメンバーが時折そうであるように、彼女もまた、なかなか前に出てこないモーニング娘。の新メンバーの一人でした。

年頃の女の子が前に出てこられないというのは人によって理由がまったく異なりますが、
彼女の場合は加入当時の立ち位置や表情を振り返るに、上昇志向という名の主体性は、最初からあまり持っていない人だったのではと思います。
ただ同時に彼女は「役割を与えられたときに」とてつもないスター性を発揮する、そんな天賦の才を持っていました。

彼女が初めて金髪になって登場した『ザ☆ピース!』 、そして続けて初のセンターを勝ち取った『Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~』。
この2曲の彼女は前年まで普通の中学生だったということが信じられないほど、見違えるように輝き、国民的アイドルとして立派にその役目を果たしていました。

しかしその後、後輩の加入などもあって新メンバーやセンターという役割から外れた彼女は、変わらず仕事をこなしつつも、結果として体形が大きく変わっていくことになります。
164cmの身長に対し、本人曰く”70キロ近く”にまで至った体重の大変動。

もともと細身だった彼女がテレビ越しに明らかに変わっていく姿を見て、リアルタイムで見ていたファンの一部はこの時、彼女が隠し秘めていた内面の脆さに、すでに気づき始めていたはずです。
しかしそんな彼女が輝きを取り戻すことになったのは、やはり役割を与えられた瞬間、2004年に芸能人フットサルチーム・Gatas Brilhantes H.P.(以下ガッタス)のキャプテンに任命されたときでした。

少し前の日韓ワールドカップがまだ記憶に新しいこの時期、ガッタスはまだ今ほど知られていなかった女子サッカーやフットサルの応援企画として立ち上がり、その後ブームとなる第一次・芸能人女子フットサル(2004~2009年頃)のパイオニアとなっていった大きな存在です。
モーニング娘。のメンバーとしてはセンター曲の『Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~』以降、なかなか前に出てこないままの吉澤さんでしたが、フットサルチームのガッタスでキャプテンという自分だけの役割を得ることができたこの2004年頃から、また見違えるように体形が絞られていき、”天才的”と言われたそのビジュアルをあっという間に取り戻していくことになります。

きっと運動の場が与えられたことだけが理由ではない、というのは、大なり小なり当時のガッタスの活動に触れていた人ならおおよそわかる話だと思います。

r.gnavi.co.jp

「女子芸能フットサルチーム」のパイオニアは、本来なら2カ月限定のプロジェクトだった。だが、大敗が彼女たちに火を付ける。

週2回の練習では、お互いのミスを許さないピリピリとした空気が流れていた。
「今のこっちのこと見えてた? 見えてたの?」
「……見えてました」
「見えてたのならいいわ!」
そんな刺々しくも思えるほどの会話の中で、彼女たちはフットサルにのめり込む。

練習でも試合でも負傷する。その傷をごまかしながら、彼女たちはステージで踊っていた。

彼女たちは、キレイな女性たちがかわいく、そしてケガをしない程度にやっていたわけではない。

彼女たちのプレーを見たことがある人は、どれほど必死だったかを知ることができただろう。

試合前の円陣にまでカメラを突っ込まれるほどプレッシャーを受けながら、勝つことで自分たちの価値を証明しようとしていた選手たちは「リアル」だった。汗も涙も怒りも喜びも、みんな本物だった。

彼女たちの技術は飛躍的に進歩したが、一般の大会に参加したときには苦戦することが多かった。0-7、2-9など大敗した試合も少なくはない。それでも彼女たちは厳しい相手との挑戦を続けた。その姿こそ、彼女たちが目標とした「フットサルの普及」に勇気を与えたことだろう。「負けても、勝つまで続けよう」という無言のメッセージを発信し続けたのだ。


そして吉澤さんがフットサルによって輝きを取り戻したこの時期、奇しくもほぼ同時に、モーニング娘。としての活動もまた大きく動くことになります。
3代目リーダーになったばかりの矢口真里さんが恋愛スキャンダルによりグループを脱退したため、在籍メンバーの中で年長だった吉澤さんが2005年、急遽モーニング娘。の4代目リーダーに任命されたのです。

『LOVEマシーン』の国民的大ヒットからすでに6年。
26枚目のシングル『大阪 恋の歌』が発売された頃、と書いて、当時のモーニング娘。の姿を思い出せる人は一体どれだけいるでしょうか。

でもファンだけは見ていました。
実力も経験も十分だった先輩メンバーがスキャンダルで突然抜け、演出もパート割も振り付けも全て変わってしまった、たった2日後の全国ツアーのコンサート。
まだほとんどが10代で不安定だった若いメンバーを背に、自身もまだ若いのに新リーダーとしてステージに上がった吉澤さんのその姿と言葉は、本当に立派で、ただただかっこよかった。

www20.atwiki.jp

「矢口さんが、自分からモーニング娘。を辞めると決めたことは
誰にも説明できることじゃないかも知れないけど
矢口さんとずっと一緒にやってきたわたしたちメンバーには、
とても理解できると思います
ファンのみなさんの中には納得できないかたもいるとは思いますが、
わたしたちメンバーは、やぐっつぁんらしい、潔い決断だなと思いました
そんな矢口さんの気持ちを汲んであげてください」
一拍あける。会場から拍手。
「(声色がちょっと明るめに)やぐっつぁんが突然いなくなっちゃったけど、
わたしたちモーニング娘。は、応援してくださるみなさんと一緒に
今日のコンサートを、盛り上げたいと思ってます(会場拍手)
もちろん矢口さんもそれを強く望んでると思います(会場拍手)
わたしたち10人で、矢口さんのぶんまで頑張っていきます!(会場歓声)
それでは、モーニング娘。コンサートのスタートです」

www.youtube.com
(同ツアーの最終公演の映像)

モーニング娘。が後に再ブレイクを果たす頃、フィーチャーされたのは著しくスキルアップしてライブ特化型アイドルになっていった2007年からのいわゆる”プラチナ期”でしたが、私自身は今日のモーニング娘。があることに対しての大きな感謝を、吉澤さんがリーダーだったその前の2年間にも向けたい、とずっと思ってここまでやってきました。

人数が増え、オリジナルメンバーはいなくなり、テレビや新聞では落ち目と書かれるばかりの時代、メンバーを鼓舞し、残ったファンを引っ張っていたのは間違いなく吉澤さんでした。
だからこそモーニング娘。はあの苦しい時代にもシングル『歩いてる』で3年半ぶりにオリコン1位をとることができたし、『リボンの騎士』の好演でその後に続く本格的アイドルミュージカルの素晴らしい歴史も作ることになりました。

そして私はファンなので、吉澤さんがリーダーとしての仕事を全うし、彼女が”元モーニング娘。”になって以降の姿も、変わることなくずっと見てきました。
卒業後に出会ったロードバイクやダイビングに打ち込んでいるとき。
出身地の広報大使に任命されたとき。
そして長い不安を乗り越え、愛するわが子にやっと出会うことができたとき。
「役割を与えられたとき」の彼女のスター性、すなわち輝きとは、今思えば主体性の乏しさが隣り合っていることゆえの、「居場所を見つけた」自信や充足感から来ていたのだと思います。

そしてそれが彼女の場合は幸福でもあり、不幸でもあることに、芸能という世界と繋がっていた。


ニュースを見るのは辛いです。
ただただ、悲しいし、ずっとむなしいです。
だけど眩い世界でいつしか流され、一人の人間として見失ってしまっていたものがあるなら、罪と向き合うとともにどれだけ時間をかけても失くしたものを取り戻して、今度は確かに自分の意志で、一歩一歩人生を歩んでいってほしい。
たとえそれがステージではなく、もう私が知ることのない、遠い日々の中にあったとしても。


そしてファンであると同時に、社会の隣人でもある私にできることがあるとしたら、それは吉澤さんが芸能人ではなくなった今日も、過去にあったその感謝までを無かったことにはしないと、こうして自分の小さな意志を書き残すくらいことなのかなと、思いました。


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「ただただテレ東音楽祭2018のモーニング娘。OGの話がしたい」

※今回はほぼ推敲してません、ご了承ください


*1

■モーニングコーヒー(中澤石黒飯田福田)

リアルタイムで見たときは「はや!!」と思いましたがなっち抜きであとに3曲控えてるとなるとこの早さもわかる。
それよりも古参が超感謝したいのは福田明日香にあんな可愛らしいドレスを着せてくれたこと。
あんな可愛らしいドレスを着せてくれたこと(ここほんと大事なので2回いいました)





現役時の明日香の衣装っていっつもこんな感じの二択だったので、まさかあの明日香が、周り回って1期最年少=肩出し脚出しドレスメンを担当する姿が20年後にやってくるなんて、っていう感じなんですよ。
しかも一晩明けて今思うのは、モーニング娘。って普段いっつも「先輩から受け継ぐ歴史」の話になってしまうんですけど、この明日香のドレスに関しては完全に後に続いたたくさんの後輩たちが1期メンバー福田明日香に着せてくれたものなんだよなって。
あぁモーニング娘。ってすごいな、やっぱりいいなって明日香のドレス姿だけですでにこれほど語れてしまう…
あと石黒彩が単独パンツ要員というところがまた素晴らしい、飯田圭織のビジュアルクオリティ半端なく、中澤裕子はやっぱりいつまでもミニ丈履いててほしいと願ってしまうところで(わからん人は「紳士はミニがお好き」でググってください)、
パンツが様になるメンバーってアイドルグループの旨味成分としてとても良い。
つんく♂のプロデューサー的感想をぜひあのノリで聞いてみたい。

■抱いて HOLD ON ME!(中澤石黒飯田福田保田矢口)

この6人が揃う番組でこの曲持ってくるのはまぁ予想のつくところとして、オリジナルが安倍福田の2TOPで、今回安倍が産休というところを突いての
後ろから保田!!!!!!!
福田保田の2TOP!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

(決めてくれた人の末永い幸せをガチで祈るレベル)


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福田明日香卒業後のモーニング娘。の歌唱力をずっと支え続けていたのが保田圭、実際に福田卒業後の歌パートを保田圭が任されて歌うという構図を我々は何年も何年も見続けてきたわけで、福田と保田はずっと重ならなかったニコイチの屋台骨、
それがここにきてついに保田が並んで、明日香と『抱いて HOLD ON ME!』2TOPやるんですよ。

歌手になりたくて高校辞めてモーニング娘。に入った保田にとって、あの1999年に福田明日香の歌割を任されたのはおそらく石橋貴明に初めてイジられた瞬間くらい彼女の人生を大きく変えたであろう出来事なんですよ、それがまさかの2018年に、しかも沢山の人が見てるゴールデンタイムのテレビの中で実現するなんて。
だからかこのテレ東音楽祭2018、というか『抱いて HOLD ON ME!』を歌っている瞬間の保田は、後年のケメコキャラでもおブスキャラでもなく、ただ純粋に福田の歌パートもらってギラギラしてるあたりのあの保田圭に戻っててほんっと素晴らしい。
そしてその対になる福田明日香はさらっと(いい意味で)余裕で歌いこなしてるのが、これまたグッとくる。

あと地味なようで何十回と繰り返してみてしまうのが「何度も聞いても同じ」からの短い時間に凝縮された同曲オリジナルメンバー、福田石黒のやりとり。
福田がソロパートの「(何度も聞いても)同じ」のあたりでちょっと石黒(の来るはずの方角)に目線をやって次の瞬間に福田石黒のオリメン2人が「ねぇ別れたくない」で見事にサビ前をキメる。
石黒は本人の人柄もあってか、こういう復活ものはどこか一歩引いて歌ってしまう、他メンに主役を譲ってしまうみたいなところがいつもでてしまって、それは福田が復活するまでOG最古メン、年齢的にも上の方となれば仕方がない部分があったんですが、
今回本格的に福田が戻ってきてくれたことで、この「ねぇ別れたくない」の歌パートは久々に現役当時のあの石黒彩が見れた感じがした。
ここの石黒の表情にマイク持つ手の力の入り方に弾み方、これほんと相当楽しかったんだろうなぁって。

■恋のダンスサイト(中澤飯田保田矢口後藤吉澤)

全員30代~になった黄金期モーニング娘。OGならではの話で、出れる面子が限定されるときに、どの曲をやるかっていうのはおそらくあと5年くらい続く事情だと思うんですよ。
その流れで今回は3期後藤は出れるけど4期は吉澤しか出られない(メンバーが半分産休中だから)ってなったときに『ハッピーサマーウェディング』キツイ、『I WISH』もキツイ…となって結果選曲が4期加入前の『恋のダンスサイト』になるのはしょうがない。
つうか4期ってこれに限らず結構加入前の曲をオリメン然として歌わなきゃいけないシーンが結構多い立ち位置だった気もする。

そしてここでカメラが切り替わると卒業後の福田石黒は一度抜けていて、あーーって思ってしまうんですけど
結局その直後から私らの視線は案の定もう後藤真希ばかり追いかけてしまうのです。
吉澤以外のメンバーもオリメンなのに、もうこれはしょうがない。
あぁごっちん可愛い。ごっちん可愛い。ごっちん可愛い。こんな可愛い32歳いるかよ14歳のあの時と全然可愛さが変わってないよすごいよ後藤真希!!!!!
ほんと唯一無二のスーパーアイドル…
(そらテレ東も「ちょこラブ腹筋」流すわ)

■恋愛レボリューション21(中澤石黒飯田福田保田矢口後藤吉澤)

そしてこの曲がかかった瞬間に奇跡はおきて、なんと画面横からさりげなく石黒福田がカメラの中に戻ってくるわけですよ。
しかも現役時というかここ20年ありえなかった、恋レボのあのリズムクラップで。
私ここでテレビ前で絶叫した。

しかもさ、取り囲んだ国分太一を「さあ踊れますか一緒に踊りましょう」みたいな雰囲気でいきつつ実は入りの部分にめちゃくちゃ慣れてない感じがにじみ出ている福田明日香。
これだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





中澤姐さんも後にブログで言及してましたが、まさか福田明日香が33歳にして恋レボのダンス覚えてモーニング娘。に戻ってくるなんてヲタですら夢にも思ってなかったよ、こんなん実現するんだよそりゃ加護ちゃんも復活するわ。
しかも今回すごいのはそのまま、恋レボのパフォーマンスメンバーとして福田石黒が当時の4期パートに入るんですよね。
これはおそらく安倍石川辻の誰かもう一人でも産休入らず出演できてたら絶対に実現してなかったシーンだと思う、
しかもカメラ割を見るに辻加護パートを補っているのが福田石黒という!!!!!!
(※このレアさがわかる人、お互いヲタ人生長生きしてますねお元気ですか)

しかも、まだこの曲は語りたいシーンがある。
あのラブマまでメンバーとして在籍していた石黒彩はともかく、上にツイートにもあるように福田明日香は現役時代、この手のアイドルダンスというのは完全にやらずに卒業していたわけで。
この恋レボでもやっぱり気恥ずかしさがあるのか、明日香は基本ダンスの入りが微妙にワンテンポ遅いんですよね。

…なのに曲がサビに入る直前、歌詞でいうと(Woo Love Revolution)の後の(オーイェーイェイェー)でメンバーが散らばっていく瞬間、
オリメン矢口吉澤がオリジナル通りのピースマークの振りをする中で、一人手でグッとカウントとって外にハケていく同じ画面の福田明日香。


これよ!!!!!!!!!!!!!!
これなんだよ2000年代のモーニング娘。と1990年代のモーニング娘。の姿って!!!!!!!!!


そしてその直後のサビで完全パフォーマンス型でリズム刻んでる後藤真希と横揺れ絶対スタイルでリズム刻んでる福田明日香が横並びで見られたときに、モーニング娘。の20年を見た気がしてめっちゃ感動したし、どっちももっと見ていたいと思った。

あとラブマで見慣れてたとはいえ、この恋レボで1期年長の中澤石黒が並んであのダンスを踊る意味の深さたるやですよ。
一瞬なんだけどこの部分はちょっと涙すら浮かんでくる。

福田明日香の喪失感も長いことあったけど、私はこんな石黒彩のifを本当は見てみたかったんだなって、あの脱退から19年経って今やっと気づいた。
そう思うと20代後半で横揺れ絶対スタイルから完全パフォーマンス型にちゃんとスライドした中澤裕子ってほんと偉大だったんだな、かっけえよすごいよ中澤裕子


ameblo.jp


(今日からまた頑張って生きよう)


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「月刊エンタメで新連載「モーニング娘。年代記」が始まりました」

初めての雑誌連載のお知らせです!
月刊エンタメさんにて、2018年7月号から「モーニング娘。年代記~ニッポンと娘。の20年の物語~」という連載をやらせていただくことになりました。

↑にもある通り、「愛の種」(1997)と「モーニングコーヒー」(1998)から始まったモーニング娘。は今年でメジャーデビュー20周年ということで、
この20年間、トップアイドルとして走り続けてきたモーニング娘。の姿と平成ニッポンの20年のストーリーを改めて重ね合わせ、モーニング娘。とは何ぞや、その歩みとは何ぞやというのを1年ごとに振り返っていきます。

古参の方はもちろん、最近の娘。を好きになった若いファンの方にも改めてその時々の娘。たちの姿を共有していただき、
もっとモーニング娘。を知ってもらえるように、そしてこれからもモーニング娘。を深く長く応援してもらえるように、
そんなひとつのピースとなれるような内容を目指して、こつこつ頑張っていきます。

月刊エンタメさんは毎月30日発売です!
ハロメンのインタビューもよく掲載されている雑誌なので、特にハロヲタの皆様、何卒よろしくお願いいたします!


<追記>
2019年より、ウェブメディア・ENTAMEnextにも掲載されています
entamenext.com


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「テレビマンの覚悟が光るフジテレビ『おじゃMAP!!』」

2017年12月20日の放送で、あの2人があの話題に触れていて驚いた。
”あの2人”とは今年事務所を移籍した稲垣吾郎・香取慎吾のことで、”あの話題”とはもちろん、SMAPである。


*1

フジテレビ系「おじゃMAP!!」は2012年から毎週水曜に放送されているゴールデン帯の番組だ。
メインは香取慎吾とアンタッチャブルの山崎弘也、もちろん放送開始時の香取は”SMAPの香取慎吾”だった。
それが周知の通り、様々な事情が重なり2016年にグループは解散を発表、香取は2017年からソロタレントとしての出演になっている。

番組開始から数年、「あなたの街におじゃMAP!!」という番組コンセプトをなぞるように街歩きロケや挑戦企画で構成されていた同番組に変化が表れ始めたのは、香取が前事務所を離れることが正式に発表された、2017年の6月頃である。
視聴者のリクエストに応えるという形で香取たち一行が訪れたのは、青森のとある駅だった。
青森県にある津軽鉄道・嘉瀬駅、ここはやはりフジテレビで放送されていた「SMAP×SMAP」のロケで、かつて香取が訪れた場所だ。
1997年、当時20歳の香取が地元の子供たちとともに色を塗ったご当地鉄道の車両は、時間の経過とともに塗装がはがれ、地元の人はその姿に胸を痛めていたという。
そして20年後の夏、おじゃMAPは番組を通じて、SMAPではなくなった40歳の香取と電車を再会させた。

「これだけボロボロになるぐらいの20年、俺頑張ってきたんだな」
(フジテレビ『おじゃMAP』2017年6月7日)


そして香取が30年在籍した前事務所を自ら離れ、新事務所に移籍した後の2017年10月、「おじゃMAP」はある新企画をスタートさせる。その名も『ザキDが撮る ゲストが香取慎吾とやりたいこと』シリーズ。
解散騒動から事務所移籍までの約1年半、その複雑な事情ゆえに自ら口を閉ざし、波風を避けて後ろに下がることがベストになりかけていたタレント・香取慎吾を、おじゃMAPはこのタイミングで、再び一番目立つ位置に押し出したのだ。
香取が事務所を移籍した後の「おじゃMAP」は、それまでに比べて相当攻めていた。


・2017年10月4日(移籍後、初の放送回)
「香取慎吾が草彅剛と二人旅」
→SMAPとしてCDデビューした頃、草彅と香取が実際に行っていたストリートダンスに再挑戦
→「SMAP×SMAP」終了後、9か月ぶりにテレビで歌を披露

・2017年10月18日
「太田光と香取慎吾二人旅」
→解散騒動時、SMAPと旧知の仲だった爆笑問題の元にたくさん届いたファンの手紙の想いを伝えるため、太田が香取に手紙を送っていたことが明かされる
「萩本欽一と香取慎吾二人旅」
→2002年からの「仮装大賞」のダブル司会について、萩本自身が番組の後継者と見込んで香取を推薦していたことが明かされる

・2017年10月25日
「みやぞんと香取慎吾二人旅」
公式Twitterでの香取曰く「TV観てて、面白くて、僕に笑顔くれた、みやぞんに会えた」
(※ANZEN漫才・みやぞんのブレイクは2016年~、SMAP解散騒動とほぼ同時期から)

・2017年11月1日
「香取慎吾が草彅剛と二人旅」続編
→本編では未公開だった「イージュー★ライダー」(奥田民生カバー)の歌唱シーンを放送

・2017年11月15日
「橋田壽賀子の自宅におじゃまロケ
→「笑っていいとも!」での共演後、香取と長年交流の続いている脚本家の橋田壽賀子に再会

・2017年11月29日
「加藤浩次が香取慎吾とやりたいこと」
→2002年のドラマ「人にやさしく」で共演した加藤浩次、松岡充、須賀健太と再会
→加藤浩次はかつて極楽とんぼとしての活動が危機を迎えていた時期、香取の「僕は加藤さんのこと応援してますから」という一言が強い支えになっていたと番組内で打ち明けた


そして2017年最後の放送となった12月20日にゲストとして登場したのは、やはり同じく2017年に事務所を移籍した、盟友の稲垣吾郎だった。

パブリックイメージからして完全にタイプが真逆の2人は、「今までまったく思い出がない」とSMAP時代からの定番ネタで視聴者を笑わせるが、実は同時参加だった前事務所のオーディションから30年、長い芸能人生をともに歩み続けている間柄でもある。
この回では、香取のこんな発言が放送された。

香取「(稲垣がゲストで番組に来ると決まって)つよぽんだけじゃなくて他の人も、”みんな”のことを考えたの、今回。草彅以外のみんなのことを考えた時に、色んな思い出話ってある」
(フジテレビ『おじゃMAP』2017年12月20日)


香取と同時に前事務所を離れ、「新しい地図」を立ち上げたのは稲垣、草彅、香取の3人。
そのうち草彅を除いた”みんな”という複数形の意味の先にあることばは、視聴者にしてみればほぼ間違いなく”SMAPのメンバー”である。

そしてこのことばの放送が「踏み込んだな」と感じる理由も、現在のお茶の間には少なからず存在している。
それは11月にインターネット放送局のAbemaTVで放送された3人の出演番組「72時間ホンネテレビ」に関する話題が、同局の歴代最高視聴数を残しながら、在京キー局ではほとんど取り上げられなかったこと。
また先日3人が受賞した「GQ Men of the Year 2017」についても、事務所移籍組の3人のコメントシーンを、完全カットして放送する番組が複数あったこと。
さらにいえば「72時間ホンネテレビ」という自分たちの番組ですら、3人はSMAPの曲も、SMAPという単語さえも一言も発せなかった事実。
その姿に視聴者はテレビの向こう側で動いている無言の力関係を、悲しくも明快に知ったのである。

しかし、「おじゃMAP」は”SMAPのメンバー”としての香取たちの言葉を、カットすることなく放送した。
さらにいえば香取が前事務所を離れると決めた時から、彼を青森の電車に再会させた時から、
視聴者に届けるべき笑いと相反するがんじがらめの現実の間で、バラエティ番組「おじゃMAP」はすでにしっかり腹をくくっていたのである。
何気ない笑いの中に覚悟があり、覚悟があるからこそ、視聴者は自然と見入ってしまう。
視聴者を夢中にさせるテレビマンのそんな”覚悟”が、今の「おじゃMAP」には惜しみなく注がれているのだ。

そしてもう一つ伝えたいのは、この番組の”覚悟”を誰よりも体現しているのはもう一人のメイン出演者、2017年10月以降の放送で「ザキD」として番組を回している、アンタッチャブル・山崎弘也なのである。
本来芸人としては笑いのために前へ前へと目立っていく、もちろん他番組では今も彼にとって当たり前のことを、この番組では山崎はあえて封印し、一貫して香取のサポート役に徹している。

山崎扮する「ザキD」はロケに先立って別撮りで共演ゲストの希望をユーモアたっぷりに聞き、ここぞという要点で賑やかに撮影を回し、そして時にはあえて裏に下がって香取とゲストのやりとりを見守りながら、お茶の間と同じ視点のツッコミを入れる。
彼の存在があるからこそ香取は安心して本音をつぶやけるし、視聴者は、同じ世界の中で笑えて時に泣けるのだ。
思えば香取が前事務所の退社を発表してまだ間もない頃、誰一人聞けなかった香取の本音を、笑いの中についに引き出していたのもこの人だった。

山崎「今後は留学、するんですよね?」
香取「そうね、20代とかは”留学行きたいな”とかあるじゃん、そういうの…俺40歳!留学して勉強しない!」
山崎「じゃあしないのね?留学」
香取「マジでしない!」
山崎「ただあの問題もあるでしょ、俺何て呼んだらいいんだろ、今後。画伯でいいんですかね?」

香取「こんな時だから言うけど…俺引退しないから!」
(フジテレビ『おじゃMAP』2017年7月19日)


エンターテインメントの振り向く先は、パワーゲームの勝ち負けではなく、やはり本当は視聴者の心であってほしいのだ。
2018年は不可思議な忖度ではなく、「おじゃMAP!!」のように共感と覚悟で釘付けにする、そんなテレビ番組を私はもっと見たい。

参考文献
テレビ各局(在京キー局)は「新しい地図」をどう報じたか(てれびのスキマ) - エキスパート - Yahoo!ニュース
関連リンク
おじゃMAP!!【公式】 (@oja_map) / X


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*1:フジテレビ公式ホームページ「おじゃMAP!!」:https://www.fujitv.co.jp/ojamap/

「アイドルはなぜインターネットに「ホンネ」を預けたのか」


執筆のお仕事をさせていただくようになった頃から、ときどき「アイドルの帰る場所って一体どこなのだろう」と考えることがあります。
ミュージシャンや俳優を導くのは突出した才能です。芸人を形作っていくのは板の上という勝負の舞台とそこにあるプライドです。
でもアイドルの始まりには、突出した才能も、身を切るような覚悟もあまり必要とはされていません。
アイドルと呼ばれる人たちが芸能界のような才能の大海で”身一つ”であることに気づくのは、ほとんどがステージに立ってしまった後なのではないでしょうか。
そしてスターアイドルの運命の元に生まれてしまった人ほど、それに気づいてしまった時の恐怖は、いかばかりかと思ってしまうのです。

「アイドルの帰る場所」を考えるときに、思い出す2つの言葉があります。
1つはかつて自分の耳で聞いた、木村拓哉さんの”弱音”です。

「20年、楽しい事もありえない経験もさせてもらったけど、頭抱えたことも、腐りそうになった事もあった。好き勝手言われたり、変なこと書かれたり…でもいつも皆が背中を押してくれたから、やってこれた」
(「GIFT of SMAP -CONCERT TOUR 2012-」12/24 札幌公演)

もう1つはDVDに収録されていた、香取慎吾さんのことばです。

「やっぱり歌を歌って踊りを踊る”アイドル”だから。それこそ原点じゃないけど、(ライブは)僕らの本当の居場所」
(ツアーDVD『Mr.S saikou de saikou no CONCERT TOUR』)

木村さんは2012年、香取さんは2014年、これらの発言があったのはいずれもSMAPが開催していたライブツアーの中でした。
あれだけ芸能界の第一線で活躍し続けた国民的アイドルグループ・SMAP、しかし誰もが知っているはずのスーパースターは弱さも見せられる本当の居場所を、テレビではなく、ずっとライブという空間に求めていたのです。
身一つで飛び出した彼らの弱さも強さも、いつも変わらずに受け入れ見守ってくれる人たちが待っていた”帰れる場所”。
しかし周知のとおり、SMAPは2016年を最後に、それぞれが一度新しい道を進むことになりました。
そして沢山の悲しみや苦しみとともに、全ては一度ゼロになりました。


時は流れ2017年9月下旬、前事務所を離れた稲垣さん、草彅さん、香取さんの3人が「ホンネテレビ」と題したインターネット番組をやると発表した時、「ホンネ」のその意味を考えた人は少なくないと思います。
そして実際に訪れた72時間の生放送が最後まで映し出していたのは、弁解の言葉等ではなく、リアルタイムでとにかくがむしゃらに未知のことに挑戦していく姿、身一つでこの世界に生まれ落ちたアイドルという生命そのものでした。

番組を実際に72時間見終わった今思うのは、「ホンネ」とは2017年の3人にとって最後に残された居場所の可能性であり、スタート地点を意味する言葉だったのではないか、ということです。
決して本意ではない形とはいえ、自分たちの決断によって多くのものが失われてしまった現状、今の彼らを同じ芸能の世界に踏みとどまらせた意味は、存在を必要としてくれるその声にしかもうなかったのかもしれません。
だからアイドルの彼らはその声に最も近い「インターネット」に自らを限界まで晒すことで、失われた全てのものを越えて、変わらぬ”居場所”に今度は自分から直接橋を架け始めた。
その先に一人でも待ってくれる人がいるならば、言えない言葉や歌えない歌がある現実も思いも全て受け入れながら、アイドルの彼らは新しい明日に臆せず飛び込んでいける。

今回の「ホンネテレビ」は2017年の今日まで30年身一つでやってきた彼らだからこそ生みだせた新たな時代の始まりだったなと、視聴者でありSNSを通じた目撃者でもあった私は一人思うのです。
そして結果的に傷すらのみこんで総視聴数7200万以上という大規模エンターテインメントの一つにしてみせてしまった彼らは、やっぱり凄い。


最後に、「72時間ホンネテレビ」のエンディングでは出演者や視聴者による沢山の応援コメントとともに、彼らと同じ運命の元に生まれた”もう1人の仲間”からのメッセージも放送されました。

「慎吾ちゃん、つよぽん、吾郎ちゃん。浜松オートレース場にわざわざ応援しにきてくれて、どうもありがとうございました。3人が頑張って新しい地図に新しい絵を描いているところが見れて、とても嬉しかったです。とにかく、これから、頑張っていきましょう。ずっと、ずっと、仲間だから、応援しています」

身一つで生まれ落ちたからこそ自分の本当の夢に気づき、21年も前からたった一人で走り続けていた森且行さん。
そんな彼の言葉を聞いて、今までテレビでは顔を崩して泣くような姿を一度も見せなかった稲垣さんが、初めて視聴者の前でこらえきれずに、大きく表情を崩して泣いていました。
そしてその直前のライブを見る限り、今回の3人の溢れる想いは、決して再会できた森さん1人だけに向けられていたようには思えませんでした。

たとえどれだけ長い時間会わずとも、言えない言葉や歌えない歌が行く手を遮ろうとしても、「仲間」とは毎夜輝く星のようにいつまでも互いの道を照らしてくれるものなのだということもまた、私が偶然目撃して知れたその一つです。


新しい地図:新しい地図
稲垣吾郎 公式Twitter:稲垣 吾郎 (@ingkgrofficial) / X
草彅剛 公式Twitter:草彅 剛 (@ksngtysofficial) / X
香取慎吾 公式Twitter:香取 慎吾 (@ktrsngofficial) / X


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「1週間後の『SmaSTATION!!』」

7年前に自分たちの事に関してスマステでコメントしていた前例がある中、解散発表から1週間後のSMAP香取慎吾は、何も触れることなくその出演を終えました。
香取さんは辛く苦しい時ほど、笑顔を絶やさないようにしているプロのエンターテイナーだと思います。
ただ同時に、解散騒動の発覚前に彼が聴いていた曲の歌詞も思い出します。

「I deceived other everyone」

sub/objective / ぼくのりりっくのぼうよみ*1



誰だって笑顔の奥には色んな思いを持っていることを、感情を持っていることを、少なくともファンの私は忘れずにいようと思いました。

「小5から芸能界という特殊な世界にあっても、ぶれないあなたの純粋な正義感や道徳的な考えは僕にとって常に模範であったように思います」

天野ひろゆき(キャイ~ン) / 2008.9.28 / 特上!天声慎吾(最終回)


<STORE>※後日追加

*1:2015年12月20日付けの本人ブログより

「SMAP解散」

最初の情報が出た前日20時頃から、ずっと胸の中が気持ち悪くて、それでもその時が来るまではちゃんと信じて待ってなきゃいけないと、ただただその事を繰り返し言い聞かせていました。

23時45分、「SmaSTATION!!」が始まりました。
画面の向こうに立つ大好きなアイドルは、結局どんな気持ちでいたのか私にはわかりません。
でももしかしたら、これが視聴者が何も知らない最後のSMAPの姿になってしまうのかもしれない、そう思うとずっとテレビの前から、離れられませんでした。

「僕がSMAPが好きだという以上に、SMAPのことを好きでいてください」

*1

誰が悪い、何が悪いじゃない。
私は今この瞬間から、SMAPがいなくなる世界を生きていく。


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*1:1997 ライブツアー「ス」最終公演 中居正広

「稲垣吾郎発案の『糸』カバーに見えた、2016年6月のSMAP」


<6/14 追記>