小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

「モーニング娘。の”黄金期とプラチナ期のあいだ”の転機:ガッタス&リボンの騎士 ザ・ミュージカル」

1・「Gatas Brilhantes H.P.」の思い出(2003~2015)

まず「黄金期とプラチナ期のことはだいたい分かったからその間の時期のことを教えてくれ」について、まさにその当時に盛り上がっていた芸能人女子フットサル、中でもその牽引役として名高いハロプロ内のフットサルチーム「Gatas Brilhantes H.P.」(2003~2015)について、当時のファンの方が記事を書かれていたので、まずそれをご紹介。

「涙が止まらない放課後期っておそらくガッタスが一番盛り上がってた時期かと。
ガッタスを気軽に見に行けた私は見てない人に比べて割と早い段階でよしざーさんにリーダー適正があるのを感じ取れてたのかもしれない。」
「ガッタスの熱を割と近くで感じていたヲタの視点」(適当日記)

ああ、ガッタス!!!
そうです、この「黄金期とプラチナ期のあいだ」と直後の吉澤リーダーの活躍は、この通称・ガッタスがかなり関係しています!!

確かにガッタスの試合を直接見ていた人/見れていない人で、特に矢口脱退以降の吉澤ひとみに対する当時の見方は、少し違っていると思います。
というわけで「適当日記」さんの記事もぜひ読んでいただけたら。

<後年のハロプロファンのための、わかりやすい資料など>
ja.wikipedia.org


※ちなみに音楽ガッタスで私が大好きなのは、デビュー曲の『鳴り始めた恋のBELL』と3rdシングルの『Come Together』です

www.youtube.com

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2・「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」の思い出(2006)

で、ここからは個人的な話も入るんですが

私自身は、「黄金期とプラチナ期のあいだ」前期は北海道に住んでいたのですが、後期(小川紺野卒業発表~藤本の脱退まで)は仕事の関係で、首都圏に住んでいました。
なので奇跡的に、「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」(2006)は当時の新宿コマ劇場へ直接見に行けてるんですよね。

過去2回の「黄金期とプラチナ期のあいだ」シリーズは「初めて楽曲を知る人、または未来の検索結果向け」をメイン読者層に設定していたので、後追いの映像視聴だけだと伝わりにくいミュージカルの話はあえて外していたんですが、当時のモーニング娘。ファンの中では、やっぱり「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」は切り離せない出来事だったよなー、と。

なので今回は補足として、「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」のことも少し触れておきます。
ですが私個人の中でも、あまりに思い入れがありすぎる話なので、今回は本当に一人のファンの思い出語りといった感じで。

* * *

「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」の制作発表が行われたのは、2006年3月のことでした。
当時のモーニング娘。の状況としては、一年前の矢口真里電撃脱退がまだ記憶に新しいだけでなく、この制作発表のわずか1か月前に加護亜依の喫煙謹慎もあり、すでに相当の逆風にさらされていた最中。
また応援を続けていたファンの視点でも、この頃はクセの強い『大阪恋の歌』やアルバム既存曲からの緊急シングルカット(『直感2~逃した魚は大きいぞ!~』)など、黄金期の勢いを知るファンには物足りない作品リリースが続いていた時期でした。
そんな中で愛・地球博絡みの環境問題提起ミュージカル「HELP!!熱っちぃ地球を冷ますんだっ。」(2004)以来の主演ミュージカルが実現に至ると知ったとき、正直懐疑的だったファンは、決して少なくありませんでした。
今のモーニング娘。に、一体どんなクオリティの舞台が与えられるのかと。

しかも制作発表からわずか1か月後にはご存じの通り、小川麻琴と紺野あさ美がモーニング娘。の卒業を電撃発表。
紺野に関してはミュージカルが始まる前のグループ卒業となっていたこともあり、当時の熱心なモーニング娘。ファンの関心はますます「ミュージカル以外」の活動に向いていきます。

しかしそんなファンの知らない所で、当のモーニング娘。たちは、この言葉から稽古をスタートしていました。

「私のいうことには絶対にしたがってもらいます」
(「ENAK LONG INTERVIEW VOL.11 演出家 木村信司」産経新聞 ENAK)


私が「知らないと損する”黄金期とプラチナ期のあいだ”の楽曲」でリボンの騎士 ザ・ミュージカルを「後追いだと大した収穫がないように感じるかもしれない」と書いたのは、現在のグループのファンにとって、「モーニング娘。はレベルが高くて当たり前」になっているからです。
しかし、2006年のモーニング娘。は、決して「レベルが高くて当たり前」のグループではありませんでした。

そんな彼女たちが稽古を重ね、努力を重ね、その先にやっと完成させたのが「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」。
この作品は初日以降、上演を重ねるたびに評判を呼び、モーニング娘。やハロプロファンはもちろんのこと、最終的にはミュージカルファンからも高評価を受ける舞台へと成長していきました。

「モーニングのミュージカルは、過去4回あり私も鑑賞しておりますが、5回目であるリボンの騎士は、かなりしっかりとした舞台で、いちばん良かったです」
「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」(あやや缶)

「冒頭の天上界のシーンからフィナーレまで、ずっと圧倒されっぱなしだった。身震いもした。途中、本当に涙が出そうになった。宝塚の手法とモーニング娘。とがこれほどまでに完璧に融和し、そして新たな価値を生み出せるとは」
「宝塚×モーニング娘。「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」大絶賛しますよ」(見学商売)


そしてテレビや雑誌ではいまだスキャンダルの話ばかりが繰り返されていた2006年夏、静かに始まっていた「モーニング娘。自身による、モーニング娘。の再構築」の目撃者となったファンたちは、その二か月後、31stシングル『歩いてる』を3年半ぶりのオリコン1位に導くのです。

――私の中でも、モーニング娘。の未来に対する絶対的な信頼が生まれたのは、この「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」を見たときでした。
今だから言えますが、黄金期の主役であった安倍なつみや後藤真希らがごそっと卒業した後の活動には、モーニング娘。自身が「自分たちなりのモーニング娘。」をうまく掴めていない、そんな迷い・喪失の瞬間が確かに存在していたように思います。

しかし、そんな彼女たちが「黄金期の次世代のモーニング娘。である自信」を得る機会となったのが、この「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」でした。
そしてこのミュージカルでの経験は、メンバーに歌唱力の成長という大きな恩恵ももたらし、それが後年のプラチナ期誕生にも繋がっていきます。

「まだ稽古を始めたばかりですが、モーニング娘。たちは素晴らしい。声に広がりがあり、青葉が繁るような豊かさがあるのです。忙しいアイドルたちですが、充分な稽古時間をとってもらうよう所属事務所に配慮してもらいました。
みな才能には問題がありません。必要なのは基礎訓練のみです。ですからボイス・トレーニングやバー・レッスンをしっかり行っているところです」
(「☆虫ん坊INTERVIEW☆「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」演出家 木村信司さん」手塚治虫公式サイト)

「ボイストレーニングを受けた結果劇場で出さなくてはならない声、青葉が茂るような、整理整頓(せいとん)されていないエネルギーに満ちた声になっていますよ」
(「ENAK LONG INTERVIEW VOL.11 演出家 木村信司」産経新聞 ENAK)

* * *

というわけで、これから「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」を見る方は、そういった当時の状況も想像しながら、映像を再生してみてください。

ちなみに、カレー食べながら見るともっと楽しいよ!


<後年のハロプロファンのための、わかりやすい資料など>

<「黄金期とプラチナ期のあいだ」シリーズ>
「黄金期とプラチナ期のことはだいたい分かったからその間の時期のことを教えてくれ」 - 小娘のつれづれ
「知らないと損する”黄金期とプラチナ期のあいだ”の楽曲」 - 小娘のつれづれ