ここ数日ミキティの話ばっかり書いていましたが、そういえば先月、彼女のいた頃に関するスレが2chに立ってまして、これがまた地味に面白かったんですよね。
黄金期とプラチナ期のことはだいたい分かったからその間の時期のことを教えてくれ
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1360574767/1 名無し募集中。。。 2013/02/11(月) 18:26:07.51 0
9期10期が入ってからの新規だけど
黄金期はテレビで見てたしちょっと知ってた
プラチナ期はネットに動画があるから色々見て勉強した
その間のことがよく分からないから教えてくれ
わたし、というか2chの一部で以前、この時期は「涙が止まらない期」と密かに呼ばれていたんですが
(参考:そろそろ黄金厨もプラチナ厨もなかったことにしたい「涙が止まらない期」を振り返る時期が来たかもしれない(Witch Hunting Girlscouts))
あれだけ毎日多くのハロプロネタが飛び交っている2chにおいても、この時期の話だけは、振り返られることがほんとに少ない。
まぁこの時期を支えてたようなファンは黄金期は当然のこと、その後(プラチナ期)もそのままファンを続けていた人が多いわけで、黄金期やプラチナ期の話題性に比べると、自然と言及の優先順位が下がっちゃってるというのはあります。
でも見ていたからこそいえるのは、この時期も、ファン的にはしっかり面白かったわけで。
なので今回は「黄金期とプラチナ期のあいだ」の記憶を振り返ろうと思うんですが、とはいえすべての事象をピックアップすると、書く方も読む方も限界を越える量になってしまうので、
まずは「この時期の卒業・加入メンバーの思い出」にテーマを絞って、いろいろ書き出してみようかと思います。
ちなみに対象期間はいつからいつまでか、という話しなんですが、私個人としては
①マザーシップ安倍なつみの卒業(2004.1)
②世間一般に知名度が高い最後の曲『浪漫 ~MY DEAR BOY~』(2004.5)
③世間一般に知名度が高い辻加護卒業(2004.8)
あたりが黄金期に終止符を打った印象が強いので、
シングル:「涙が止まらない放課後」~「悲しみトワイライト」
アルバム:「愛の第6感」「レインボー7」「SEXY 8 BEAT」
のリリース時期(2004.11~2007.4)を「黄金期とプラチナ期のあいだ」として、話していきたいと思います。
<この時期に卒業・加入したメンバーの思い出から「黄金期とプラチナ期のあいだ」を振り返ってみる>
【飯田圭織】(2005.1.30 卒業)
あ、いきなり飯田さんだ。
そうそう、この時期は飯田さんの卒業を持って「1期メンバーが全員卒業した」という節目でもあったんだ。
「黄金期とプラチナ期のあいだ」の主力5・6期にとって、飯田さんは様々な面で影響を与えています。
まぁ双方の若さもあったので、必ずしも楽しい話ばかりというわけにはいかなかったみたいですけど・・・
でも5・6期と、7期以降のメンバーでモーニング娘。に持ち込む空気が少しずつ変わっていったのは、今思うとこの「現役1期メンバーとの活動の有無」が相当関わっていた気がします。
(飯田圭織・卒業コンサート)
【矢口真里】(2005.4.14 脱退)
で、次が矢口。しかも卒業ではなく脱退。
いきなりここにこれがくるから、この時期にはあまり良いイメージを持ってない人が多い。
当時何が苦しかったかというと、よりによって最後のオリメン飯田圭織の卒業式で「圭織の築き上げたモーニング娘。はずっと大切にしていくから」とぶち上げた3ヶ月後にフライデー。
しかも後輩の石川梨華が1年前から予定していた卒業ライブの26日前。
さらには当時モーニング娘。春の全国ツアー真っ只中(しかも矢口真里の脱退発表からわずか2日後には八王子市民会館でのライブがあった)。
この時期はちょうど黄金期後期からの流れで常にメンバーが10人以上在籍、しかしメンバー個々のスキルはまだ現グループほど高くなかったので、グループとしての魅せ方もちょっと飽和状態。
(そのあたりがもろに出ていたシングルが『涙が止まらない放課後』『大阪 恋の歌』 )
そうしたタイミングで、よりによって矢口真里脱退(による世間の向かい風)がきたので、相当堪えたなぁ。
今振り返ってもやはりこの時期、トップレベルに衝撃的な出来事だったなぁと思います、矢口の脱退は。
そしてこの時の壮絶さも、後の5・6期のアイドル観に相当影響を及ぼしたと思われる。
(矢口真里・電撃脱退前年の個人的ベストアクト)*1
【久住小春】(2005.5.1 加入)
そんな中の朗報といえば新メンバー、久住小春加入のニュースがあったことで。
しかしこれも改めて振り返ると、そもそもモーニング娘。7期オーディションって、実は1回目の「ラッキー7オーディション」(2004年9月~)が1度該当者なしで終わっていて、小春が応募したのは2回目の7期オーディション(2005年2月~)だったんです。
もしあの1回目の7期オーディションですんなり新メンバーが決まっていたら、その新メンバーは1期生の飯田圭織の卒業式に参加し、モーニング娘。3代目リーダーとなった2期メンバー・矢口真里の下で活動、4期メンバー・石川梨華とも卒業までの数か月間、一緒に活動しているはずでした。
しかし実際の久住小春は飯田圭織の卒業後(&矢口真里の脱退後)に加入、石川梨華も加入からわずか7日間で卒業。
この小春の「1~2期メンバー完全卒業後の加入」、あと「モーニング娘。の歴史上でもかなり生真面目な先輩・石川梨華と入れ違いになった」ことは、もしかすると後の小春のモーニング娘。としての道筋に、(間接的ではあっても)大きく影響した出来事だったのではないでしょうか。
(関連記事:「久住小春にとってモーニング娘。は踏み台だったのか」 - 小娘のつれづれ)
(久住小春・デビューツアー)
【石川梨華】(2005.5.7 卒業)
で、次にくるのが石川梨華ちゃん。
この辺どうもリアタイ勢以外だとこんがらがりそうなので、時系列でまとめると
2004.5.23:石川梨華が翌年春でのモーニング娘。卒業を発表
(その後1年の活動期間を経て)
2005.3.5:石川梨華ラストツアーと銘打たれた「モーニング娘。コンサートツアー2005春 〜第六感 ヒット満開!〜」がスタート
2005.4.14:矢口真里がスキャンダルによりモーニング娘。を電撃脱退
2005.5.1:久住小春のモーニング娘。加入が冠番組「『ハロー!モーニング。」にて正式発表される
2005.5.7:石川梨華がモーニング娘。を卒業
こうして改めて整理すると少し伝わるかと思うんですが、石川梨華の卒業は発表から1年空いた割に、実際の卒コンが相当わけわかんない状況の中で行われてしまって、そうした各方面の”落としどころのなさ”も、回りまわって当時のなんだかな感に繋がっていたと思う。
2002年の後藤真希&2004年の安倍なつみ卒業後のモーニング娘。において、特に外部ニュース記事などで「エース」と紹介されていたのは、大体がこの、石川梨華ちゃんだったんですね。
実際にも彼女は後藤真希卒業後第一弾シングルの『ここにいるぜぇ!』以降、毎回フロントメンバーとしてグループを牽引していた印象があるし、石川梨華は間違いなく、「黄金期とプラチナ期のあいだ」を盛り上げた立役者だと思います。
だからこそ、彼女は余計な視点無しに、やっぱりちゃんと送り出してあげたかった・・・
・・・だけど。
ここで1年も前から、石川梨華のモーニング娘。卒業が2005年春と決まっていたことに対して、少し”運命のいたずら”のようなものを感じてしまうのは、
もし矢口脱退の時点で石川梨華の卒業予定がなかった場合、年齢の順番的に、矢口の次のリーダーは吉澤ひとみではなく、吉澤より3か月年上の石川梨華だったはずなんですよ。
もしも生真面目でどちらかというと”調和主義”の方に近かった石川梨華が4代目リーダーになっていたら、2004春以降の「黄金期とプラチナ期のあいだ」も、果てはその先に生まれる「プラチナ期」も、その未来は間違いなく、変わっていたと思われます。
(石川梨華・卒業コンサート)
で、梨華ちゃん卒業以降は4期1人、7期1人、5・6期は4人ずつのフルメンバーという体制が1年続いて
【紺野あさ美】(2006.7.23 卒業)
紺野あさ美ちゃんの卒業も、当時のモーニング娘。としてはかなり異例だったイメージです。
まず発表から卒業までがあまりにも急だったし(2006.4.28発表→2006.7.23卒業)、そもそもこの時期はミュージカル「リボンの騎士」の製作が進んでいて、こんこんもすでに役が決まっていたのに、それから1ヶ月もしないうちに卒業を発表、舞台は”出演中止”という扱いに。
モーニング娘。として充実した5年間の活動のなかで、将来「こうなりたい」という自分の姿や、やりたいことが具体的にみえてきて、その夢を叶えるためには大学で勉強したいと考えるようになりました。
(当時の公式コメントの一部)
まぁ結果的にその夢とはアナウンサーだったわけですが、その夢は誰も知らず、もしも知っていたとしても当時のモーニング娘。を取り巻く環境で追い風は決して吹くわけがなく・・・
【小川麻琴】(2006.8.26 卒業)
で、こんこん以上に当時のモーニング娘。ファンの感情をモヤっとさせたのが、マコこと小川麻琴ちゃんの卒業関連。
彼女の卒業発表はこんこんと同時だったんですが、「夢を叶えるために大学で勉強したい」と一応それなりに卒業理由が明確だった紺野とは対照的に
13歳でモーニング娘。に加入して、気が付けばいま18歳になりました。
本当にあっという間の5年間に、振り返れば数えきれないほどたくさんの思い出ができました。
青春時代をモーニング娘。として過ごせたことをとても幸せに思っています。子供の頃からずっと夢見ていた大きなステージの上で、大好きな歌やダンスをみなさんにみていただけたことをとても感謝しています。
夢が現実となったとき、時には辛いと思うこともありましたが、<いつも明るく元気に>をモットーに頑張ることができたのは、温かく見守り応援してくださったファンのみなさんのお陰です。みなさんの温かい声援に本当に支えられました。ハローメンバーのお父さんみたいで、私がもっとも尊敬するアーティストのつんく♂さん、楽しいことも辛いことも一緒に乗り越えてきたメンバー、そして陰でいつも支えてくれたスタッフのみなさん、すべてのみなさんに今は感謝の気持ちでいっぱいです。
私は8月にモーニング娘。を卒業後は、海外への語学留学を予定しています。
どんな素晴らしい世界があるのかをこの目で確かめて、帰国後にはもっと大きく飛躍できるようになれたら、と思っています。
(当時の公式コメント)
コメントを何度読み返してみても、(それなりに大きな転機であるはずの)モーニング娘。卒業に対する本人の意志の存在は不明、その上前代未聞の「ミュージカルの千秋楽で卒業」。
恋愛スキャンダルでの即日脱退となった矢口、藤本を除けば、モーニング娘。で”卒業コンサート”が区切りのラストステージにならなかったのは、いまだにマコしかいないです。
紺野あさ美のラストコンサートとなった「Hello! Project 2006 Summer~ワンダフルハーツランド~」で合同の卒業セレモニーこそありましたが、マコの朗読した手紙の最後は「あと1ヶ月頑張ります」。
もし2010年代以降のハロプロメンバーにこの言葉で〆る”卒コン”が用意されることがあったら、確実に炎上してると思う。
・・・このあたり、もう少し突っ込んで書いて置くと、
この時期のこんこん・マコ卒業に通じていえる問題点は、とにかく「卒業に至るまでの内実がどことなく不鮮明に見えてしまった」ことだったんです。
それまでのモーニング娘。の卒業発表には一応(それが芸能界という特別な世界のフィルターを通っていることを加味しても)活動年数や年齢、個人活動の充実、または本人の興味・方向性などが反映された、ある程度ファンにも理解可能な”理由”が、それなりに用意され、発信されていました。
しかしこんこんはミュージカル出演をドタキャンする形での緊急卒業*2だったし、マコなんかはそもそも、なぜこのタイミングでそういう結果に至ったのかが結局理解しきれないままの送別。
この時期に一番ダメージが大きかったのは間違いなく矢口スキャンダル、
だけど個人的には、オリメンがいなくなる、人数多すぎて魅せ方がさまよい気味、メディアで取り上げられるのはスキャンダルネタばかり、のタイミングで、とくにこんこんの緊急卒業がちょっと「この先のモーニング娘。には未来がない」ってメンバー自身につきつけられたみたいで、当時かなりキツかったんだよなぁ。
ひとことで言うと、黄金期人気に乗っかった放漫経営のツケがついに行くとこまで行ったのがこの時期でした。
(紺野あさ美・卒業コンサート)
(小川麻琴・卒業ステージ)※卒業セレモニーを収録ただ、こういうグループの増減(もっぱら減)を経て、
最大16人(2003年)まで広がったグループの輪郭が8人までシュリンクされたことで、結果としては「グループの再構築」が一気に実行しやすい・伝わりやすい状況となり、
その象徴たるシングル『歩いてる』で、モーニング娘。は3年半ぶりのオリコン1位に輝くことになります。
飯田卒業~紺野小川卒業までが「黄金期とプラチナ期のあいだ」の前半だったとしたら、ここからは、「黄金期とプラチナ期のあいだ」の後半。
『歩いてる』から始まったモーニング娘。の再出発、それは同時に後年の「プラチナ期」に繋がる、苦しくも大切な道程でありました。
【光井愛佳】(2006.12.10 加入)
2006年の秋に始まったモーニング娘。の再出発、そこにまず新メンバーとして合流したのが、8期メンバー・光井愛佳。
この子の加入は当時いろんな意見がありましたけど、よく見れば低音パートのカッコよさを共通して持ち合わせていた吉澤ひとみ、高橋愛、新垣里沙、藤本美貴のベテラン勢に光井愛佳の声質が重なったことで、生み出されたのがあの「笑顔YESヌード」だったわけで。
どこか心地よい低めのけだるさを秘めた声質に、加入数ヶ月でコンサートにフル参戦できるもの覚えの良さ。
実は光井愛佳の加入は後のモーニング娘。史における重要なターニングポイントであったのだと、今なら多くの人が理解できることでしょう。
【ジュンジュン&リンリン】(2007.3.15 加入)
そしてジュンジュン&リンリンも、実はこの「黄金期とプラチナ期のあいだ」の加入メンバー。
「モーニング娘。の新メンバーに中国人2人」って最初言われた時はびっくり、というかもう、事実が想像のはるか上をかっ飛んでいった感じでした。
しかも1人は日本語がほぼ話せない(加入時点のジュンジュン)。
それまでどんな変化、出会いも別れもスキャンダルも乗り越えてきたけど、さすがに結成10年のアイドルグループでいきなり新メンバーに外国人というのは、最初どう受け止めたらいいのか全くわかりませんでしたね。
実際受け止められなかった人たちは、このタイミングで結構離脱していきました。
でもグループは、後に目の前の現実を全てまるっと受け入れて、ジュンジュン&リンリン自身も、異国の慣れない環境でそれでも実直にグループに向き合っていって
その後のプラチナ期があれだけ堂々としたステージングを確立したのって、グループが共有していた「自信」のモノが違ったんじゃないでしょうか。
国籍も超えて「モーニング娘。」を作り上げていった事実に、勝てるものはない。
そして加入が決まったばかりのジュンジュン&リンリンにモーニング娘。で一番最初に話しかけたのもまた、この人だったんですが
【吉澤ひとみ】(2007.5.6 卒業)
黄金期の最後のメンバー&4代目のモーニング娘。リーダー、吉澤ひとみがここでついに卒業。
吉澤ひとみはモーニング娘。の長い歴史の中でも、間違いなくトップクラスの功労者だったし、さらには後のプラチナ期誕生も大きくアシストした影の立役者でした。
だからプラチナ期の再評価がひとしきり盛り上がった今、さらに再度注目されるべき所は、このプラチナ期前夜における吉澤ひとみの働きだったと思うんだけどなぁ。
ちなみに彼女のリーダー時代のモーニング娘。を、卒業ライブ以外にもうひとつ、振り返る映像素材を選べと言われたら、私は迷いなく「コンサートツアー2006秋〜踊れ!モーニングカレー〜」を推薦します。
リーダー吉澤とエース高橋が雄叫びをあげ、中央で新垣藤本がメンバーを率いて踊る「THE マンパワー!!!」が最高に好き。
【藤本美貴】(2007.6.1 脱退)
で、結果的にこの「黄金期とプラチナ期のあいだ」に終止符を打ったのはみなさんご存じ、藤本美貴様でした。
「黄金期とプラチナ期のあいだ」にはモーニング娘。の”ifの世界”がいくつも存在していますが、この人も本当なら、吉澤卒業後の新体制=プラチナ期モーニング娘。の第一弾シングルに参加してるはずだったんですよね。
それが(いろいろあって)直前で不参加になったことも、このグループのめぐり合わせはほんとに不思議だなと思う。
もし藤本がいたら、少なくともプラチナ期スタート時点の田中れいなのポジションは間違いなく違っていただろうし。
まぁこの頃までくると、すでに5期メンバー(高橋新垣)や6期メンバー(亀井道重田中)は新たな夢を抱くのに充分な成熟具合を見せていたのもあり、「なんとかなるだろう」という信頼感が、幾多の死線を潜り抜けた残存ファンの中にはだいぶ備わってきていました。
そして新体制の第一弾シングル『女に 幸あれ』が発表され、プラチナ期が始まる、と。
(藤本美貴・電撃脱退前年の個人的ベストアクト)
(吉澤ひとみ・卒業コンサート)(光井愛佳&ジュンジュン&リンリン加入後のプラチナ期・初ツアー)* * *
やっぱこれだけでもすごく長くなってしまった…
そしてここにあるのはあくまでも私個人の思い出の範疇、ただそれでも私が自信もって伝えられることは、「この時期も充分にモーニング娘。は輝いていました」。
そしてこの話、もうちょっと続けたい。
「黄金期とプラチナ期のあいだ」シリーズ
・「知らないと損する”黄金期とプラチナ期のあいだ”の楽曲」 - 小娘のつれづれ
・「モーニング娘。の”黄金期とプラチナ期のあいだ”の転機:ガッタス&リボンの騎士 ザ・ミュージカル」 - 小娘のつれづれ
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