小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけ続け、執筆業になりました。2017年に初の著書『SMAPと、とあるファンの物語 -あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど-』(双葉社)がでました。

「モーニング娘。尾形春水が21年目のアイドルグループに思い出させてくれたもの」 #morningmusume18

 2018年6月20日。
 本日をもって、モーニング娘。12期メンバーの尾形春水さんが約3年半の活動を終え、モーニング娘。を卒業します。


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 その卒業ライブの、前日夜。
 デビュー時のモーニング娘。をリアルタイムで知っているファン歴の私は、所用でちょうど1998年の『サマーナイトタウン』MVを久しぶりに視聴していました。


 現在のメンバーの半数以上がまだ生まれていない、そんな頃のモーニング娘。の姿。
 このダンスの最高到達点が”焼き銀杏”こと福田明日香さんのドルフィンであったという中学生の頃の記憶を再生30秒で思い返したとき、なんかふと、明日卒業する「モーニング娘。尾形春水」のことを改めて思ったんです。
 あぁ、だから私は卒業を決めたときからの数か月間の彼女が、モーニング娘。として一番好きだったんだなって。


 まるで青春のように短く鮮やかに駆け抜けていった尾形春水さんの存在によって、はっきり認識できたことが一つあります。
 それはモーニング娘。の歴史の分岐点とは、つんく♂氏が総合プロデュースから離れた事ではなく、やはりプラチナ期直後の2011年、芸能スクールの最高到達点(鞘師里保さん)とハロプロエッグ出身者(譜久村聖さん)の2人を新メンバーとして迎え入れたところにこそ、存在していたんだなということ。

 決してその選択が良かった悪かったというような内容の話ではなく、その上で
 1997年から2010年までの25人、1期から8期までのモーニング娘。を振り返ると、そのメンバーというのは完全に素人orアマチュアレベルのスクール経験者でしか構成されていなかったんです。
 事実ソロデビュー以後に変則的に編入された藤本美貴さんを除けば、それまでのモーニング娘。たちのスタートには、ステージに立つアイドルとして何かしらの赤点ポイントがありました。

 しかし90~00年代のモーニング娘。というのは「ほぼ素人」という出発点だけは揃っていたからこそ、歌が下手でも、ダンスが下手でも、リズム感がうまくとれなくても、メンバーやファンは成長をじっくり待てたし、成長がなければ個性という形での結実をゆっくり待つ、そんな心的余裕も同時に持ち合わせていました。
 その時代の最高傑作が6代目リーダーの高橋愛さんだったとするなら、モーニング娘。在籍10年の彼女は最初から何もかもがすごい人だったというわけではなく、デビュー時のリズムキープなどの自己課題を何年もかけて克服していった、努力による後天的な”プロフェッショナルの神様”だったんです。


 しかし約4年にわたるメンバー固定も経て作り上げられた「プラチナ期」は、特にライブステージにおいてのモーニング娘。への期待値を、どんどん引き上げていきました。
 その流れの中でグループがもう一度卒業と加入という自らのアイデンティティに向き合うことになったとき、素人集団だった歴史と直近の高い期待値の間に架けられた希望の橋が、まさに若くして高いスキルやステージ経験値を備えていた鞘師さん、そして後に9代目リーダーにもなるエッグ出身の譜久村さんの存在であったのだろうと思います。


 ここで話の主役をもう一度尾形さんに戻します。
 9期メンバーの加入によって”プラチナ期の後のモーニング娘。”が進むべき方向が定まり、その分岐点から数年が経つ2014年9月に、モーニング娘。の新メンバーとして加入した当時15歳の尾形春水さん。
 元フィギュアスケーターという華々しい経歴こそあったものの、でも本当にオーディション当時の彼女を構築していたのはスケートを辞めた後の「普通の高校生の生活」、そして東京に行ってみたい、憧れのモーニング娘。に会ってみたいと想像する「普通の女の子の心」、その2つでした。

 キラキラの笑顔で、学校で友達とモーニング娘。のダンスを真似する、ごく普通の女の子。
 本当はそれだけで、モーニング娘。って、良かったはずなんです。

 だけど2011年1月からプロ集団という新しい靴にだんだん履き替えていたモーニング娘。の中で、歌やダンス経験がそれまで(アマチュアレベルでも)全くなかった彼女は、すでに完成された高い経験値や若さの伸びしろ、生まれ持った才能といった隣人の芸才と密に接する中で、おそらく自分自身が一番「モーニング娘。」としての存在意義を感じることができずにいた。

 ファンにとって、そして尾形さん本人にとっても象徴的な出来事となったのは、後輩メンバーも加入してすでに先輩となっていた尾形さんが、同期の羽賀さんと『ハロ!ステ』というYouTubeの番組で受けることになった特別ダンスレッスン。


ハロ!ステリニューアル!J=JMV2曲&コメント、モー娘。'17ドキュメント、研修生紹介、アンジュ中西MV紹介、J=J宮崎ヘアアレンジ、Q&Aコーナー MC:宮本佳林、山木梨沙【ハロ!ステ#214】 - YouTube
(元映像:12:06~)

羽賀朱音:『ハロ!ステ』というYouTubeの番組の企画で、ふたりでダンスレッスンをやっていたんですけど、私もたぶん同じ気持ちだったんですよ。13期が入ってきて、最初からいっぱい歌割りとかももらっていて、その中で12期の私たちがダンスレッスンを受ける企画……こういうのって普通はいちばん下のメンバーがやるじゃないですか。だから「なんで私たちなんだろう」と思っていたんですけど

尾形春水:その企画では、ふたりでめちゃくちゃ悩んだし、悔しいと思ったし、その中で「やってやるぞ!」って話していたんですけど、私がすごく弱くって「なんで私が……」となっちゃって、そのダンスレッスンは何回かあったんですけど、そのうちの1回を私がお休みして、あかねちんがひとりになっちゃったときがあったんです。そのときは「申し訳ないな」という気持ちはあったけど、「もう無理だ。行けない……」となってしまって

モーニング娘。'18尾形春水卒業記念12期全員インタビュー | Special | Billboard JAPAN


 後に尾形さんはちゃんと企画に復帰し、実際モーニング娘。としてステージでのスキルアップにもこの企画を元に成功しているのですが、きっと90~00年代のモーニング娘。と、10年代のモーニング娘。である尾形春水が挫折感の中で立たされていた場所っていうのは明らかに違ったと、ファン歴の長い私はずっと、そう思っています。

 だからこそ、卒業の直前に尾形さんが話したこの言葉が、なおさら胸にきたわけです。

(自身では、どんなモーニング娘。人生だったなと感じていますか?)
本当にたっくさんの人に出逢えた! 普通の高校生をしていたら、同期もそうだし、メンバーもそうだし、大阪から飛び出して日本中の方々と逢うこともなかったですし、いろんな大人の方々と話す機会もなかっただろうし、バースデーイベントで大勢の人が私の誕生日をお祝いしてくれることもなかった訳で。そんなこと、普通に生きていたらないじゃないですか。だから本当に貴重な経験だったなと思いますし、いちばん大きいのはファンの皆さんの存在で、私のコンプレックスとか……歌やダンスの苦手なところとか、すべてを愛してくれて、「こういうはーちんも個性だよ」って言ってくれて、「歌もダンスも成長している姿が好きだよ」って言ってもらえて……

そうやって自分に自信をつけることができたモーニング娘。人生でした。

モーニング娘。'18尾形春水卒業記念12期全員インタビュー | Special | Billboard JAPAN


 モーニング娘。ってやっぱり、本当は歌の上手さや、ダンスの上手さだけで説明できるものではないと私は思うんです。
 上手く歌えなくても、上手く踊れなくても、モーニング娘。のメンバーに選ばれた人たちは必ず全員にその加入の意味というのがあって。
 モーニング娘。12期メンバー・尾形春水の加入はこれからも新時代の本格派グループへ目標高く向かっていくモーニング娘。とファンにもう一度、「女の子がコンプレックスも含めて自分を愛せるようになっていく尊さ」を、スキル時代の前に確かにあったモーニング娘。のその愛の形を、見せてくれたんじゃないかなって。


 いつも懸命に胸に手を当てて歌っていた姿も、どこかついつい目で追ってしまうダンスのときの表情も、そして本当に楽しいときに出るあのくしゃっとした人懐っこい笑顔も、それは今のモーニング娘。にとって、とても大事な存在でした。

 そして、これからもきっと歴史が必要とするはずです。





 武道館へと続く遠い空の下より、尾形春水さん、ご卒業おめでとうございます!

 明日からのはーちんの人生も、笑顔が溢れる、どうか幸せなものになりますように。


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「稲場愛香には東京でしか見れない夢がある」

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 ハロー!プロジェクトにおいて、また大きな動きがありました。2017年秋からソロ活動を行っていた稲場愛香さんが、アイドルグループ・Juice=Juiceに加入することが発表されたのです。


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【ハロ!ステ#274】稲場愛香今後の活動について、モー娘。20周年企画、モー娘。12期定点観測、ハロプロ研修生LIVE、新グループ加入メンバー発表、ランチ MC:尾形春水 - YouTube
(発表時のドキュメント映像)


 これがなぜハロプロファンをざわつかせたかというと、1つは稲場さんのソロ活動までの経緯。彼女はすでに2015年に一度、カントリー・ガールズというアイドルグループの一員としてメジャーデビューを果たしています。
 しかし故郷の北海道から上京した彼女は同時に持病の喘息にも悩まされるようになり、2016年4月に一度芸能活動を休止。
 その後もなかなか症状の改善には至らず、「グループの活動にもこれ以上迷惑をかけられない」という本人の意思と家族や医師を交えた話し合いの結果、稲場さんは2016年8月をもってカントリー・ガールズから卒業という形になりました。
 
 そして次に表舞台に出てきたのは活動休止から1年半後の2017年9月。
 地元北海道で改めて治療に専念し、芸能活動に支障がないレベルまでの回復に至った彼女は、そのままソロタレントとして北海道で復帰します。

 以降の彼女は北海道のローカルテレビやラジオ、また後輩たち(ハロプロ研修生北海道)の教育に力を注ぎ、精力的に活動していました。


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知っとく北海道&おひな❁︎♡ | 稲場愛香オフィシャルブログ「まなかんめもりーず」Powered by Ameba


 実際北海道ではこの1年、ローカル番組でアシスタントとして出演したり、札幌のイベントのステージに立ったりという稲場さんの姿が頻繁に見られました。
 
 その際の彼女というのはいつも懸命で、笑顔で、ひとつひとつの仕事をとても大事に行っているのがすごく伝わってくる姿だったのですが、同じ北海道に住む自分には、いつからかそこに重ねて気になり始めていたことがありました。
 「彼女はこの先に、どんな夢を描いているんだろう」
 
 稲場さんはもともと幼い頃から、ずっとダンスや歌のステージに憧れながら、この北海道で生活していました。
 4歳からダンススクールに通い、デビューオーディションを受け続け、ハロプロ入りの前にも一度北海道のローカルアイドルグループのメンバーになっています。しかしそのグループはたった1年、わずか1枚のシングルだけで解散の憂き目にあいました。
 
 そしてハロプロ研修生のオーディションに合格したのが2013年。
 それからはデビューの確約がないまま、故郷の北海道と東京を行き来しつつバックダンサーとして必死にステージに立つ日々。
 それでも彼女が頑張れたのはおそらく、その「東京」にこそずっと追い求めていた自分の夢の形が存在したからです。
 
 人は生まれる場所は選べませんが、どんなに遠くても、どんなに理不尽でも、芸能の夢を見た人が才能の花を本気で咲かせられるチャンスは、これからもきっと東京という限られた場所にしか存在しません。
 それをわかっていたから彼女は諦めず、北海道からデビューを勝ち取り、一度チャンスを掴みました。
 しかし待っていたのは体調問題という10代の子には想像もできなかった「壁」と「東京での挫折」。
 
 きっと療養中も復帰後も、芸能の才能に恵まれた彼女の中では、夢と現実の狭間の逡巡というのは、私たちの想像以上にあり続けたのではないかと思います。
 だからこそ彼女は一生懸命に北海道で活動していたし、実際に、このままローカルタレントとして北海道で生きていくという選択肢も内心には少なからずあったはず。
 
 でも彼女はグループでの再デビューという所属事務所の打診に、もう一度夢を追うこと、「大きな挫折の先でもう一度東京に行くこと」を決めた。
 
 まだ20歳の若さでのこの決断は、本当に本当に、勇気がいることだったと思います。
 
 
 もちろん、その復帰先が(昨年から活動方針の変更により活動ペースが緩くなり、体調問題も考慮しやすかったであろう)カントリー・ガールズではなかったこと、また全国ツアーのあるグループへの加入で再度体調管理が心配されることなど、いろいろ思うことは、ファンの方ほどあると思います。
 
 ただ同じ北海道に住んでいる者として、これだけは知ってほしいのは、「若い彼女にはこの遠い北海道じゃ叶えられない夢が、やっぱりまだあったんです」。
 
 東京でしか叶えられない夢を地方の子が見続けるのは、本当に大変で、辛く苦しいこともあります。
 だからこそ若い彼女の選んだ道を、どうか暖かい光で照らしてあげてほしい。

 それが一番できるのは事務所でも業界人でもなく、絶対に、ファンなんです。

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