小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。著書『SMAPと、とあるファンの物語 -あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど-』(双葉社)発売中

敗北の共有/日常系プロ野球

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 開幕1か月強の時点で、すでに7回ほど球場に通っている。そのうち5回は横浜スタジアムだ。もういい加減断りをいれるのもなんだと思うのだが一応、当方の自宅は北海道にある。
 3月29日は念願の開幕試合観戦だった。開幕投手はこれまた1週間前に横浜赤レンガ倉庫での生発表に立ち会った、プロ4年めの今永昇太。
 野球ファンの方であればご存知の通り、ルーキーイヤーから順調に勝ち数を増やしていた今永は昨年2018年、肩の違和感により4勝11敗と不本意なシーズンを過ごしている。本人曰く「プロ野球選手として恥ずかしい日々を過ごしてしまった」。昨シーズンの時点でまだ25歳と若い選手なのだが、本人にとって昨シーズンはもはや言い訳や責任転嫁をすでに通り越して「恥」の一言だったのである。
 この言葉選びに見て取れる聡明さとエースとしての自覚、またその裏に隠されているようで全然隠しきれていないナイーブさ*1は自然とファンのハートを熱く揺さぶり、当の開幕投手という晴れ舞台、今永が第一球を投じると横浜スタジアムは大地鳴動といったような大歓声が沸き起こり、結果として今永も8回を見事に投げ切った。
 しかし、あんなに素晴らしい開幕試合を見届けたのに、今振り返ればより強く脳裏に刻まれているのは、その後の負け試合なのである。
 4月3日、神宮球場で行われた対ヤクルト戦。この日も私は現地に行っていた。
 ビジター球場で初の公式戦となったこの試合、序盤こそベイスターズの大卒3年目・濱口遥大とヤクルトの高卒4年目、高橋奎二による締まった投手戦となる。
 その後4回にベイスターズがソトのホームラン等で一気に4点をもぎとり、その後も有利にゲームは進んで、6回終了時に濵口が降りた時点で4-1とスコアは圧倒的にベイスターズ優勢だった。
 そしてベイスターズは当然、濵口の後に勝ちパターンの中継ぎ陣を投入する。7回は三嶋一輝が出てきて無失点。そして8回といえばスペンサー・パットン。1年目は防御率2.70、2年目も防御率2.57という抜群の安定感を見せ、メジャー復帰も噂されたがフタをあければ2年契約でベイスターズへの残留を決めてくれた、ファンにとっちゃ神のような助っ人外国人である。
 しかしそのパットンの投球がしょっぱなからおぼつかない。あれ、と客席の横浜ファンがそわそわし始めた瞬間、雄平がライトスタンドへの同点スリーラン。一斉に開く傘の花。一旦こうなってしまうと神宮球場の(選手もファンも含めた)チーム・ヤクルトはもう手が付けられない。
 一瞬にして空気が変わってしまい、最後はパットン、エスコバーに変わってマウンドに上がった三上がストレートのフォアボールを連発、最後は押し出しでヤクルトがサヨナラ勝ちを決めた。
 数年前にやはり神宮で目撃した鵜久森の代打サヨナラ満塁弾の方が、よっぽど胃に優しい負け方であった。

 スポーツはその性質上、試合開始の瞬間から勝者と敗者の誕生が運命づけられる。
 だが人間は誰だって、負けたくない。みじめな思いをしたくないし、泣きたくない。それこそ恥だってできることならかきたくないのが本音だ。
 しかし勝負の終わりには必ず勝者の栄光と、敗者の屈辱が刻まれる。
 3塁側の内野席でそれまで元気に応援歌を歌っていた私は、雄平のスリーランの後、盛り上がるヤクルトファンの間で降板するパットンにかける言葉ひとつもすっかり失くしてしまっていた。
 そして後で知ったのだが、そんな私の座席下のベンチで、パットンはグラブを叩きつけるほど感情をあらわにし、肩を落としてうなだれていたそうだ。
 
 しかしこのスポーツにおいて、負けの事実が救われる瞬間というのが実はあって、それは「敗北の感情を誰かと共有できたとき」なのである。
 もしあのパットン―三上大炎上の様を、いつものように私は一人テレビで見ていたら、最後のあたりで終了まで見れずにきっとテレビを消してしまっていたと思う。
 敗北の感情は一人きりで抱え込むには、あまりにも重いからである。
 だが現地で試合を見ていると、この悲しい記憶や感情を刻まれて帰るのは私だけじゃないんだな、と不思議な安心感を覚える。
 ホッシーのカンフーバットを持参してずっと応援していた手前のご夫婦も、代打梶谷の登場にひときわ盛り上がっていた梶谷ユニのお兄さんも、あの惨状を心に焼き付け、ビジターの大歓声の中でそっと恥をかいて、とぼとぼと日常に帰っていっただろう。そしてどこかしらで悪夢のような逆転劇を時たま思い出しつつ、新たな朝を迎えたのだろうなと思う。
 そしてそれはグラウンドの選手たちだって、パットンだって三上だって、言ってしまえば同じなのだ。
 負けは、一人きりで抱え込むほど辛い。しかし誰かと共有できていると信じられたときに、攻撃的な自己嫌悪に繋がるみじめさや恥ずかしさは少しだけ緩まり、そしてその奥に潜んでいる本当の「勝負の価値」を見つけることができる。
 4月3日の試合における価値は、翌日パットンがSNSで参照していたセオドア・ルーズベルトの言葉、まさにそのままであった。
 「名誉はすべて、実際に競技場に立つ男にあり、その顔はほこりや汗、血にまみれている。勇敢に戦い、失敗し、何度も何度も繰り返す。そんな男の手に名誉はある。なぜなら失敗と弱点のないところに努力はないからだ」
 「そして失敗に終わったとしても、それは全力で挑戦しながらの敗北である。彼らの魂が眠る場所は勝利も敗北も知らない、冷たく臆病な魂と決して同じにはならない」

 4月5日、もう一度横浜スタジアムで見た巨人戦も、やはり負け試合であった。
 こちらは今シーズン2戦目となる今永が7回まで孤軍奮闘するものの、球界のエース・菅野智之の前に打線が最後まで沈黙した。
 この日は今シーズンから増設されたウイング席での初観戦となったのだが、(12階建てのビルと同じとも言われる)高層から見る負け試合はより「共有」が感じられ、想像よりずっと満足感があった。
 チームがチャンスを作ったときの高揚、そして繋がらなかった時のため息。負けはしたものの、試合終了までほとんどの人が帰らずに声援を送っていたというのもウイング席でははっきりとわかったし、その光景がとても心強かったのである。
 リモコンの電源スイッチには伝わらない球場と、人の温度。あれこそが現地観戦の醍醐味だろうな、と思う。
 現時点で、ベイスターズは9勝7敗。少し貯金があるような状態だ。これはあの4月3日ヤクルト戦で勝ちがつかなかった濵口、また4月5日巨人戦で負けを喫した今永が、その翌週にそれぞれ見事完投勝利したことで、チームにはずみをつけたのも大きい。
 事前の順位予想では昨年に比べ、優勝予想がめっきり減っていたのを覚えている。
 その屈辱も恥も決して忘れまじと、ファンは明日もひとり、試合開始を待つ。

*1:入団初年度のドキュメンタリー映画・FOR REALでプロ初登板の朝に「3回10失点でもこの映像使われるんでしょう?」みたいなことをつらっと言っていたのが忘れられない

35歳、頑張れないと自分だけに告げる日/日常系プロ野球

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 35歳になってもうすぐ半年ほど経つのだが、なんだか最近辛いな、と感じるようになっていた。
 体力なのか、気力なのか、いろいろ探ってみるものの、そんな表面的なことではどうやらなく、辛さはもっと奥深くの方にあって、なかなか手が届かない。
 
 とうとう思いあまって、横浜に帰ってみる。
 故郷と言い切るにはもう少し時間が必要だったとしても、横浜は自分にとって子供時代のほとんどを過ごした、人生のスタートの街であることは間違いない。
 しかしその横浜で、今までならばこの地に触れることで意義や目標を見定めて、もしそれが見つからずとも明日に繋がる少しのエネルギーくらいは蓄えて、歩き出すことができたのに、いざこの街で今の私が思い出せたのは若かった親と、小さな自分の記憶ばかりだった。
 「若かった」そんな風に親を思い出すのは、自分がそれだけ大人になったからなのだろうなと感じる。
 1日1日、昨日は遠くなっていく。
 
 それでも、納得いく答えを探したくて、街を歩き回り、そして苦しみながら放浪の末にやっとひとつ絞り出せたもの。
 
 それはどうやらもう、私は「頑張れない時期に来てるんじゃないか」、ということだった。
 
 その言葉が浮かんだ瞬間、合点がいってしまったのだ。
 今までのように未来を想像できなくなってきていることの苦しさ。
 過去をバネにできなくなっていることをどこか認められずにいた気持ち。
 それでも「頑張ること」がセオリーであったはずの、自分という矛盾。
 
 ただがむしゃらに頑張ると口に出して、見通しの良い明日を想像し続けることで可能性を切り開いていく、それがもし若さであったとしたらなら、私は頑張って、いろんなものを吸収し、経験を溜め、そうやって自分なりに歩き続けることで、いつのまにか頑張ることのゴールテープが切れていたのだと思う。
 そしてそれはむしろ仕事で、家庭で、日々の暮らしで周りを見ていて、きっと誰にも、人知れず訪れているものなのだろうと、この年齢までやってきてやっとわかってくる。
 
 35歳。
 ひとりそんなことを考えていた夜、マリナーズのイチローが現役引退を発表した。
 普通の私と歴史に残るアスリート、そのシンプルな違いは、イチローは私よりもさらに10年もの長い間、自らを鼓舞し、頑張れる限界を明日へ伸ばし続けてきたこと、その簡単なようで、凄絶な偉大さであったような気がする。
 
 それでも、あのイチローでさえ、もう自分は頑張れないと、自分に告げる日がやってくるのだ。
 

「人よりも頑張ってきたなどとは言えないけれど、自分なりに頑張ってきたとははっきりと言える。これを重ねてきて、重ねることでしか、後悔を生まない、ということはできないんじゃないかと思います」

2019.3.21 引退記者会見/イチロー *1


 そう思うと私はこの辛さを、もうそろそろ降ろしてもいいんじゃないかと、「若かった」はずの自分に言ってみたくなった。
 でないと、35歳の私の明日はいつまで経っても、今日の繰り返しのままであり続けてしまうのである。