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ジャズ喫茶の特異な熱狂から生まれたロカビリーブーム
日本にも訪れた、「耳で、頭で聞くための音楽」と「単純明快に踊れる音楽」の分離。
そこから生まれる逆風は各地のジャズ喫茶や日本人ジャズバンドはもちろん、1955年に日本人ジャズミュージシャンのマネジメントを目的として芸能事務所・渡辺プロダクションを設立したばかりの渡邊晋・渡邊美佐夫妻にも、やはり厳しく吹き付けていた。
しかし1957年11月、渡邊美佐はたまたま、ジャズ喫茶で若者たちの”特異な熱狂”を初めて目撃する。
その熱狂のルーツは、実はジャズと同じく、あの占領期にあった。
進駐軍放送を通じて多くの人がジャズ音楽に夢中になっていた頃、一方ではジャズに交じって時折流れる「カントリー・アンド・ウェスタン」(以下、C&W)に心惹かれる者がいた。
アコースティックギターやバンジョーなどのシンプルかつ明るい音色が印象的なC&Wは、アメリカではジャズ同様に戦前から根強い支持を獲得していた音楽ジャンルである。
そして進駐軍キャンプに場所を移しても、このC&Wはやはり兵士からの演奏リクエストが多かった 。そのため1948年頃には、日本人ミュージシャンの中でも本格的なC&Wバンドを結成する者がちらほら現れ始める。
その後、1952年に日本の主権が回復すると、同時期のジャズバンドと同じように、C&Wバンドもまた主戦場をジャズ喫茶に移し、日本人の観客相手に演奏するようになっていた。
こうして同じ道を歩んでいた日本のジャズとC&W。しかし1950年代も後半に差し掛かると、両者を取り巻く状況は急激に変化し始める。
ビバップ時代に突入することでブームが落ち着いていくジャズとは対照的に、日本のC&Wはむしろここから、人気の枝葉をどんどん伸ばし始めたのである。
その躍進の裏には海外からの心強い援軍の存在もあった。ちょうど同じころ、C&Wも源流のひとつとする新たな音楽「ロックンロール」が、アメリカで大流行し始めたのだ。
――渡邊美佐が目撃していた1957年11月の”特異な熱狂”も、その源となっていたのはジャズ喫茶のステージで演奏している、日本人C&Wバンドだった。
中でも思わず目を見張ったのは、ボーカルの若い男性に対する、女性ファンの熱狂的な反応である。