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【無料】若者たちがくすぶらせた”踊りたい”衝動、その声に応えたロックンロール

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若者たちがくすぶらせた”踊りたい”衝動、その声に応えたロックンロール

第一次世界大戦終結後の1920年代から第二次世界大戦が終結する1940年代半ばまで、アメリカの若者の心を捉えていたのは、常にジャズ音楽だった。
なぜならこれらの時代の若者にとって、ジャズ音楽は貴重な「ダンスミュージック」だったからである。


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特に太平洋戦争下のアメリカ本土ではグレン・ミラーやドーシー兄弟、ベニー・グッドマンらの演奏によるスウィングジャズが、若者たちの心身を軽快に揺らし続けた。
ただしジャズ自体は第二次世界大戦の終結前後から、複雑な即興演奏=ビバップの登場に代表されるように「耳で、頭で聞く芸術音楽」への進化が始まる。
すると踊れる音楽を欲していた者たちは次第にジャズと距離を置き、その代わりにリズミカルで勢いのある、黒人のリズム・アンド・ブルース(以下、R&B)へ身を委ねるようになっていく。

アメリカでラジオDJとして活動していたアラン・フリードが若者たちのそうした変化に気づいたのは1950年代初頭、地元のレコード店で、白人の若者が黒人R&Bのレコードを買いに来る光景を偶然目にしたときだった。
この出来事をきっかけにフリードは、自身の番組でも黒人R&Bを積極的に放送することを思いつく。
しかし1950年代当時のアメリカ社会は白人社会が豊かになる一方、有色人種への激しい人種差別は依然続いており、黒人のレコードをかけるラジオ番組には白人マーケットからの拒否反応が充分に予想された。
そこでフリードは(「セックス」「ダンス」などの意味で使われていた黒人英語のスラングである)「ロックンロール」という言葉に黒人のR&Bを包み込み、その上で若いリスナーたちの欲する“新しい音楽”をかけることにした。
するとこの挑戦は大成功を収め、黒人R&Bはフリードが発信したロックンロールという表現に乗って、アメリカの若者たちの間で最新の音楽文化として急速に拡散されていくのである。

またロックンロールと1950年代の若者たちの出会いは、ラジオ放送だけでなく、同時期に映画の世界でも大きなムーブメントを生み出していた。
もともとラジオ界でのアラン・フリードの挑戦と同時進行で、映画界では暴走族を題材にした『The Wild One(邦題:乱暴者)』(1953年公開)のような若者の反抗を描いたヒット作が少しずつ生まれ始めていたのだが、フリードがラジオの世界を飛び出し、ついにダンスパーティースタイルのロックンロールコンサートを主催するまでになっていた1955年、映画館では非行少年たちが集まる高校が舞台の『Blackboard Jungle(邦題:暴力教室)』が封切りとなる。
「暴力教室」は後にアカデミー賞にもノミネートされることになるのだが、内容への評価同様に当時大きな話題となっていたのは、劇中で主題歌として流れるビル・ヘイリー・アンド・ヒズ・コメッツの『Rock Around the Clock』だった。

Bill Haley & His Comets『Rock Around the Clock』
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白人のカントリーミュージックをルーツに持ちつつ、同時に黒人R&Bにも親しんでいたビル・ヘイリーの『Rock Around the Clock』は、物語の中だけでなく観客席にも点在していた若者特有のフラストレーションに完璧な形で共鳴し、同曲はやがてレコード売上チャートで8週連続1位の大ヒットを記録。
すると『Rock Around the Clock』大ヒットの翌年、各所で湧き上がる若者の爆発的エネルギーとともに最高潮に達しようとしていたロックンロールの人気は、ついにアメリカのエンターテインメント史を塗り替えるビッグスターまで誕生させたのだ。
そう、エルヴィス・プレスリーである。

Elvis Presley


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このエルヴィス・プレスリーのブレイクに不可欠だったもの、それはずばりテレビの登場だった。
1950年代に入ると、アメリカでは大衆向けメディアの主役がラジオからテレビへ本格移行している。新人歌手のエルヴィス・プレスリーが全米放送の番組に初出演したのも1956年1月、それはアメリカ国内のテレビ普及率が、もうすぐ65%に達しようとしていた時期であった。

「この若者がテレビの歴史を変えることになるでしょう」

彼を最初にフィーチャーした『ザ・ドーシー・ショー』(CBS)の予言めいた紹介通り、以降のプレスリーはテレビに登場するたび、アメリカ社会にセンセーションを巻き起こしていく。彼の刺激溢れるパフォーマンスを視聴した大人が激しい拒否反応を示す一方で、若者はすっかり心を奪われ、レコードはいずれも大ヒット。
さらに彼を取り巻く熱狂の渦は保守的な構成で知られる有名番組『エド・サリヴァン・ショー』(CBS)にまで届き、エルヴィス・プレスリー初登場となった1956年9月9日の放送回は、なんと視聴率82.6%という驚異的な数字を叩き出した。
そして翌1957年1月、3度目の『エド・サリヴァン・ショー』出演でプレスリーが歌い終えたときには大物司会者のエド・サリヴァンが自ら握手を求め、その直後にカメラに向かってこうコメントするのだ。

「このエルヴィス・プレスリーは実に立派でまじめな青年です。仲間のみなさんもそう。いろんな有名なゲストをこのショーに迎えたけれど、こんなに楽しい夜はめったにありませんでした。この素敵な青年に拍手を!」
(萩原健太『ロックンロールの時代:~ロックンロール誕生からフィル・スペクターまで~』シンコーミュージック、1998年)


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――しかし海外型ガールグループの形成という視点から歴史を捉え直すとき、重要なのは、実はこの熱狂のなのである。


(この記事はここまでが全文の、実質的無料記事です)


参考文献:*1
note.com

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drifter-2181.hateblo.jp

*1:※編集の都合上、こちらのみ、noteリンクでの掲載にさせていただきます

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