小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。著書『SMAPと、とあるファンの物語 -あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど-』(双葉社)発売中

「吉澤ひとみさんへの言葉」 #helloproject

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吉澤さん。


芸能界に入ったときからずっと応援してきたファンの中の一人として、今回の引退は妥当である、という前提のもとで、以降の文章を書いていきます。


***


2000年春にモーニング娘。4期として私たちの前に登場した女の子。キリっと引き締まったビジュアルが印象的だった半面、歴代のメンバーが時折そうであるように、彼女もまた、なかなか前に出てこないモーニング娘。の新メンバーの一人でした。

年頃の女の子が前に出てこられないというのは人によって理由がまったく異なりますが、彼女の場合は加入当時の立ち位置や表情を振り返るに、上昇志向という名の主体性は、最初からあまり持っていない人だったのではと思います。
ただ同時に彼女は「役割を与えられたときに」とてつもないスター性を発揮する、そんな天賦の才を持っていました。

彼女が初めて金髪になって登場した『ザ☆ピース!』 、そして続けて初のセンターを勝ち取った『Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~』、この2曲の彼女は前年まで普通の中学生だったということが信じられないほど、見違えるように輝き、国民的アイドルとして立派にその役目を果たしていました。

しかしその後、後輩の加入などもあって新メンバーやセンターという役割から外れた彼女は、変わらず仕事をこなしつつも、結果として体形が大きく変わっていくことになります。
164cmの身長に対し、本人曰く”70キロ近く”にまで至った体重の大変動。

もともと細身だった彼女がテレビ越しに明らかに変わっていく姿を見て、リアルタイムで見ていたファンの一部はこの時、彼女が隠し秘めていた内面の脆さに、すでに気づき始めていたはずです。

しかしそんな彼女が輝きを取り戻すことになったのは、やはり役割を与えられた瞬間、2004年に芸能人フットサルチーム・Gatas Brilhantes H.P.(以下ガッタス)のキャプテンに任命されたときでした。



少し前の日韓ワールドカップがまだ記憶に新しいこの時期、ガッタスはまだ今ほど知られていなかった女子サッカーやフットサルの応援企画として立ち上がり、その後ブームとなる第一次・芸能人女子フットサル(2004~2009年頃)のパイオニアとなっていった大きな存在です。

モーニング娘。のメンバーとしてはセンター曲の『Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~』以降、なかなか前に出てこないままの吉澤さんでしたが、フットサルチームのガッタスでキャプテンという自分だけの役割を得ることができたこの2004年頃から、また見違えるように体形が絞られていき、”天才的”と言われたそのビジュアルをあっという間に取り戻していくことになります。

きっと運動の場が与えられたことだけが理由ではない、というのは、大なり小なり当時のガッタスの活動に触れていた人ならおおよそわかる話だと思います。


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「女子芸能フットサルチーム」のパイオニアは、本来なら2カ月限定のプロジェクトだった。だが、大敗が彼女たちに火を付ける。

週2回の練習では、お互いのミスを許さないピリピリとした空気が流れていた。
「今のこっちのこと見えてた? 見えてたの?」
「……見えてました」
「見えてたのならいいわ!」
そんな刺々しくも思えるほどの会話の中で、彼女たちはフットサルにのめり込む。

練習でも試合でも負傷する。その傷をごまかしながら、彼女たちはステージで踊っていた。

彼女たちは、キレイな女性たちがかわいく、そしてケガをしない程度にやっていたわけではない。

彼女たちのプレーを見たことがある人は、どれほど必死だったかを知ることができただろう。

試合前の円陣にまでカメラを突っ込まれるほどプレッシャーを受けながら、勝つことで自分たちの価値を証明しようとしていた選手たちは「リアル」だった。汗も涙も怒りも喜びも、みんな本物だった。

彼女たちの技術は飛躍的に進歩したが、一般の大会に参加したときには苦戦することが多かった。0-7、2-9など大敗した試合も少なくはない。それでも彼女たちは厳しい相手との挑戦を続けた。その姿こそ、彼女たちが目標とした「フットサルの普及」に勇気を与えたことだろう。「負けても、勝つまで続けよう」という無言のメッセージを発信し続けたのだ。


そして吉澤さんがフットサルによって輝きを取り戻したこの時期、奇しくもほぼ同時に、モーニング娘。としての活動もまた大きく動くことになります。3代目リーダーになったばかりの矢口真里さんが恋愛スキャンダルによりグループを脱退したため、在籍メンバーの中で年長だった吉澤さんが2005年、急遽モーニング娘。の4代目リーダーに任命されたのです。

『LOVEマシーン』の国民的大ヒットからすでに6年。26枚目のシングル『大阪 恋の歌』が発売された頃、と書いて、当時のモーニング娘。の姿を思い出せる人は一体どれだけいるでしょうか。

でもファンだけは見ていました。
実力も経験も十分だった先輩メンバーがスキャンダルで突然抜け、演出もパート割も振り付けも全て変わってしまった、たった2日後の全国ツアーのコンサート。
まだほとんどが10代で不安定だった若いメンバーを背に、自身もまだ若いのに新リーダーとしてステージに上がった吉澤さんのその姿と言葉は、本当に立派で、ただただかっこよかった。


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「矢口さんが、自分からモーニング娘。を辞めると決めたことは
誰にも説明できることじゃないかも知れないけど
矢口さんとずっと一緒にやってきたわたしたちメンバーには、
とても理解できると思います
ファンのみなさんの中には納得できないかたもいるとは思いますが、
わたしたちメンバーは、やぐっつぁんらしい、潔い決断だなと思いました
そんな矢口さんの気持ちを汲んであげてください」
一拍あける。会場から拍手。
「(声色がちょっと明るめに)やぐっつぁんが突然いなくなっちゃったけど、
わたしたちモーニング娘。は、応援してくださるみなさんと一緒に
今日のコンサートを、盛り上げたいと思ってます(会場拍手)
もちろん矢口さんもそれを強く望んでると思います(会場拍手)
わたしたち10人で、矢口さんのぶんまで頑張っていきます!(会場歓声)
それでは、モーニング娘。コンサートのスタートです」


www.youtube.com
(同ツアーの最終公演の映像)


モーニング娘。が後に再ブレイクを果たす頃、フィーチャーされたのは著しくスキルアップしてライブ特化型アイドルになっていった2007年からのいわゆる”プラチナ期”でしたが、私自身は今日のモーニング娘。があることに対しての大きな感謝を、吉澤さんがリーダーだったその前の2年間にも向けたい、とずっと思ってここまでやってきました。

人数が増え、オリジナルメンバーはいなくなり、テレビや新聞では落ち目と書かれるばかりの時代、メンバーを鼓舞し、残ったファンを引っ張っていたのは間違いなく吉澤さんでした。だからこそモーニング娘。はあの苦しい時代にもシングル『歩いてる』で3年半ぶりにオリコン1位をとることができたし、『リボンの騎士』の好演でその後に続く本格的アイドルミュージカルの素晴らしい歴史も作ることになりました。


そして私はファンなので、吉澤さんがリーダーとしての仕事を全うし、彼女が”元モーニング娘。”になって以降の姿も、変わることなくずっと見てきました。
卒業後に出会ったロードバイクやダイビングに打ち込んでいるとき。出身地の広報大使に任命されたとき。そして長い不安を乗り越え、愛するわが子にやっと出会うことができたとき。
「役割を与えられたとき」の彼女のスター性、すなわち輝きとは、今思えば主体性の乏しさが隣り合っていることゆえの、「居場所を見つけた」自信や充足感から来ていたのだと思います。

そしてそれが彼女の場合は幸福でもあり、不幸でもあることに、芸能という世界と繋がっていた。



ニュースを見るのは辛いです。
ただただ、悲しいし、ずっとむなしいです。
だけど眩い世界でいつしか流され、一人の人間として見失ってしまっていたものがあるなら、罪と向き合うとともにどれだけ時間をかけても失くしたものを取り戻して、今度は確かに自分の意志で、一歩一歩人生を歩んでいってほしい。
たとえそれがステージではなく、もう私が知ることのない、遠い日々の中にあったとしても。


そしてファンであると同時に、社会の隣人でもある私にできることがあるとしたら、それは吉澤さんが芸能人ではなくなった今日も、過去にあったその感謝までを無かったことにはしないと、こうして自分の小さな意志を書き残すくらいことなのかなと、思いました。


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