小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけ続け、執筆業になりました。著書『SMAPと、とあるファンの物語 -あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど-』(双葉社)好評発売中

「34歳、走り続けてきたフリーライターの悩み」

ここ数か月ほど、悩んでることがありました。
通常であれば一人でじっとして、嵐が過ぎ去るのを待っていればなんとかなってきたのですが、今回はいよいよ煮詰まってきて、検索ボックスに思いつくキーワードを打ち込むと「誰かに悩みを相談しろ」との結果。

「誰かに」で一番最初に思いついたのが近しい人ではなく、ブログを読んでくれる誰かの存在だったので、なんかもういっそのことこれネットコンテンツにしちゃおう、と思った次第です。

<そもそも私の書きたいことってなんだったっけ問題>

個人ブログが発展して、自分の書き物にプロという価値を付けていただけるようになって以降、人生一番レベルでいろんな会社と出会い、人生一番レベルでいろんな人たちと書き物のお話をしてきました。

基本、今お仕事をさせていただいてるところでは、嘘偽りなく書きたいものが書けてます。
その一方で、やっぱり「書きたいけど書けない」という記事だったり企画だったりが、当然ですがそれなりにでてきます。

それまでまったく書き物の仕事に関係ない人生を送ってきた自分にとって、何かを書きたいとか、書くことによって救われてきた思いがあったのは、「人生で唯一自分の気持ちに嘘をつかなくて済んだ領域が文章だったから」、なのだと今になってやっとわかります。
プロとして外面を成立させるなら、きっと量的にはよく知らない知識の引き出しまで無理やり開けまくったり、妬みひがみ悪口でボリュームアップすれば、だいたいどうにかできると思うのです。
でもそれはやりたくない。
読者としていつかそういうのをやらないライターを見て見たかったから、せめてその思いは遂げたい。
しかしそうなると振り返った自分にはあまりにも引き出しが少ない。
あまりにも引き出しが少ないです。
うーん。

<地方でできないのは仕方ないのか言い訳なのか>

地方在住の身としてこれはあまり広げたくない系統の話なんですが、現実でもあるので、今回は書きます。
文章でお金をいただく身としては、せめてもの担保や誠意としてインターネット上だけではなく、納得いくまで書籍や資料は調べたい。
しかし地方ではあまりにも資料が手に入らない。

単発の記事もそうだし、書籍化など想定するのであればなおさら、出来る限りの裏付けはとっておきたいんです。
それが最大に叶うのは国会図書館(東京)であり、大宅壮一文庫(東京)であり、首都圏ならば電車賃で行ける範囲の地域です。

通ったり調べたり無駄足踏んだりするのはなんら苦痛ではなくて、ただ前提が空路というのが辛い*1し、それが言い訳みたいになってしまう自分にもそのうちだんだんと心底腹が立ってくる。

もうなんか今住んでる地方の郷土史とかに興味もたない限り、コツコツそれ用のお金貯めて、東京行って自分の気が済むまで調べたいこと調べて、個人出版とか同人誌で形にして出した方が今の現状では、スッキリと人生前向きに生きられるのではないかと、だいぶ思ったりしています。

<自分の中で埋まらないものがあるまま、ここまできてしまった>

ネット伝いに文章を読んでもらうようになって、その延長線上で本を出すこともできて、特にこの1年は個人のパーソナリティではなく、純粋に書くものへの評価をたくさん聞けた時間になりました。
それは今までずっと望んでいたことで、すごく楽しかったし、人生で初めて覚える嬉しさをたくさん感じられた時間でもありました。

でも実はそのうち、時間が経つほど、評価の言葉に頭が下を向いてしまうようになっていました。
書き物に対して、何かを劇的に変えたからでの手柄ではないという、自分の中の実感の欠如。

これがもし仕事関係者の多い東京だったら、会ったり話したりしてるうちにいい感じに(お酒を飲むように)忘れて、悩みを横によけてどんどん次に進んで行けたかもしれません。
しかし書き物に関係する仕事の会社は、ほとんど東京です。
今住んでる地方に今やってる仕事の相談を、細かい心情の話をできる人はほぼいません。
そもそも書き物に関係するような仕事自体が、限りなく少ないし。

なんかそういう、評価と実感の間で抜け落ちてしまったものを、どうしようもないので一人で探しているうちに、だんだんと気力が落ちてきてしまったような、気がします。

***

悩んでて、ひとつの記事としてこの内容をネットに出してしまおうと思ったとき、なぜかちょっと元気でたんですよ。
だって書いたりするのって純粋に楽しいから。

そう思えるってことは、まだ書く意味までは失ってないということなのだと思います。
ただその、書き物を続けるにあたってのやり方とかで、20代後半からここまでわーっと一気に走り続けて、無理や矛盾がいっぱい溜まってきた頃合いが今なのかな、とも思う。

こういうことあると度々、昔自分が書いてたことを読み返すんですけど、
私書き物を本気でやりたいと思った29歳のときに「くそつまらないと思っていた自分の人生がちょっと面白くなる瞬間を自分に見せたい」って書いてるんですよ。

たぶん「自分自身を幸せにするために書きたい」っていうのが、この問いに対する、この仕事に対する最終的な答えで。

ただ私にとっては何よりも、それが一番、なんだか難しいのです。


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*1:今は家族の事情