小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

「笑っていいとも最終回・SMAP香取慎吾の涙に見たアイドルの矜持」

「香取号泣 いいとも終了に喪失感「そもそも、なんで終わるんですか?」」(スポニチAnnex)

私はSMAPがちょうどいいともレギュラーになったあたりから、ずっとSMAPの出演番組を見ていますが、この20年で香取慎吾さんがはっきりと「SMAPでも、辛かったり苦しい時があった」ってテレビで公言したのを、初めて見ました。

アイドルは辛くても苦しくても、ずっと笑顔でいることが仕事です。
そして10代から、しかも国民的アイドルとしてトップを走り続けてきた香取さんならなおさら、テレビにでている自分と一個人としての感情の狭間には、私たちには想像がつかないほどの苦しみも時にあったと思います。

中居正広のスピーチがバラエティーに対する矜持だったなら、香取慎吾のスピーチには、アイドルと呼ばれる人たちの矜持がありました。

香取さんのスピーチの最後です。

「タモリさん、これからも、辛かったり苦しかったりしても、笑っててもいいかな?」


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「笑っていいとも最終回・SMAP中居正広のスピーチ(書き起こし)」


タモリさん。32年間お疲れ様でした。
僕がいいともに携わるのはちょうどこの2014年の4月ぴったりで、ぴったり20年になりました。
振り返ってみますと、94年の4月……

……まだ有名でもないですし、ジャニーズのアイドルとして人気もあるわけでもなかったですし、知名度もなく、ましてやマネージャーさんとかもいない、僕らをレギュラーとして迎え入れてくれて、まず、深く感謝を申し上げたいと思います。
ありがとうございました。

やっぱり、バラエティって非常に残酷なものだなとも思います。
おかげさまで歌もやらさせてもらって、お芝居もやらさせてもらって、バラエティもやらさせてもらって、
歌の世界っていうのは、いずれライブとかやれば最終日があって、ドラマもクランクアップがあって、映画もオールアップがあって、
始める時に、そこのゴールに向かって、それを糧にして進んでるんじゃないかなって思います。
でもバラエティは、終わらない事を目指して、進むジャンルなんじゃないかなと。
覚悟を持たないと、いけないジャンルなんじゃないかなと思いながら、
いいともに出させてもらったのをきっかけに、僕は、バラエティを中心に、SMAPとして、やらさせてもらおうかなと。

非常にやっぱり、バラエティの終わりは……寂しいですね。

他のジャンルは評判がよかろうが、悪かろうが、終わりがあるんですけど、
バラエティって……ゴールないところで、終わらなければならないので、こんなに……残酷なことがあるのかなと、思います。

当時、俺と香取で、ほんと何も出来なかったんですね。
「今日はこれやろう」「今日はこの話やろう」って言って何も出来なかったんですけど、
でも、番組を、タモさんをアシストする事が、楽しい番組を、娯楽を提供する手段の一つでもあるという事を僕は学びました。

残念ですね……
こんなに残念なことはないと思います。

さっきも話してましたが、タモさんは怒りもしないですし、褒めもしてくれない方でしたけど、
ここ……ようやく2年、3年、4年前くらいから、ご飯を食べれるように、タモさんとなり、
ある時お酒を飲んだ時、タモさんが、酔っぱらってたという事もあったんですけど、
僕の事優しく抱きしめて、優しく頭を撫でて、
「中居、俺お前に感謝してるからな」「本気でお前の事感謝してるからな」って言ってくれたのがすっごく……
すっごく嬉しかったです。

今こんな形でジャニーズが、バラエティとか普通にやってますけど、
ほんとに、俺と香取がいいともに出させてもらって、
ジャニーズも全然、バラエティとか育て方とか知らない中、チャンスを与えてくれてありがとうございました。


……20年間、ケガしたり病気した事で休んだ事ありました。
でもどんな事あっても僕は20年間、アルタに通い続けました。

……ある人は、お正月になったら1年に1回休んでる人がいて、
なんでこの人1年に1回……ハワイにいくために……(鶴瓶アップで抜かれる)

毎年毎年休みやがって、特大号のものまねで自分がウケなかったからって、不参加になって……(鶴瓶アップで抜かれる)

……誰かと比較するのは好きじゃありませんが(鶴瓶アップで抜かれる)


僕は20年間、ほんとに休むことなく、サボることなく、
私的な事を除いて、しっかりと全うできたと、
20年間で、タモさんが「もう成人だから卒業していいんだよ」と、おっしゃってくれてるんじゃないかなと、勝手に解釈をして、
今後もいいとものレギュラーとして、
胸を張って”いいともをずっとやってたんだよ”と胸を張って恥じないように、今後もバラエティ、他のジャンル含めて頑張っていきたいと思います。
タモリさんありがとうございました。


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「2013年のさんま&SMAPでいしだ壱成と香取慎吾が18年ぶりに再会」


2013年の「さんま&SMAP 美女と野獣のクリスマスSP」において、ドラマ「未成年」で戸川博人(ヒロ)を演じたいしだ壱成と室岡仁(デク)を演じた香取慎吾が、18年ぶりにテレビ共演。


未成年 DVD-BOX


実は今まで見たSMAP出演ドラマの中で「未成年」が今でもダントツに大好きで、っていうかSMAPのライブに行くようになった1995年(小6)の頃、このドラマにあまりにもハマりすぎて、完全に香取慎吾さんに転んでいった *1経緯があります。
それくらい好きだったんですけど、さんまと大竹しのぶ目当てで見てた「さんまSMAP」にまさかいしだ壱成が出てくるとは思ってなかった、しかも内容が未成年の想い出話、いしだ壱成が色々あった時、こんな場面もう絶対見れないだろうと思ってた。

あまりにも貴重すぎるので、現在クリスマスの深夜2時、完全に時間の使い方を間違えてますが「未成年」に関するくだりのところを速攻で書き起こしました。
需要があるかとかはもうどうでもいいんだ!

未成年に関するくだりのみ書き起こし&まとめ *2

VTR「18年ぶりにあの時の事を謝ってほしい」(まとめ)
香取が18歳だった、18年前の出来事。
いしだ壱成はドラマ「未成年」で香取と共演していた。

それは第1話、香取といしだが火事に遭遇するシーンを撮影した時のこと。
裸にタオル1枚で逃げる設定だった為、通常であれば前張り*3をするのだが、

香取「いしだくん、前張りしてる?」
いしだ「俺嫌いだからしてない、まぁ大丈夫でしょ」

というやりとりもあり、2人は前張りをせずに撮影に臨んだ。
そして本番、順調に撮影が進んでいたその時…

なんと香取が北原雅樹 *4 にぶつかり、よろけた北原がさらに後方から走ってきたいしだにぶつかってしまう。
その瞬間いしだはバランスを崩してしまい、するとタオルが…

いしだは「あの時、もしかしたら”アレ”が映ったかも」と心配になり、スタッフにもう一度撮り直すか相談。
しかし一緒にいた香取は「大丈夫ですよね!」と念を押し、そのこともあってか、撮影映像はOKカットに。

ところが後日、放送されたあのシーンでは、やっぱりいしだの”アレ”がしっかり映ってしまっており、ファンや共演者の間で話題になってしまった。
…もしやあの時香取は前張りをしない事を知っていて、わざとよろけ、OKカットにしたのではないか?

* * *

中居「(一応謝ってほしいという流れだけど)久しぶりにあった嬉しさで飛んじゃうよね」
いしだ「嬉しいですほんとに、お会いできて」
いしだ(香取の方を見て)「久しぶり」

中居「その間ほんと一回も会ってないの?」
香取「一度、廊下で」
いしだ「そう廊下ですれ違いざまに、僕抱きついた事があったんですけど、慎吾ちゃん多分その時すごい忙しくて、抱きついたけど”ハッ”って顔されて、そのままいっちゃった」
中居「もう話せるような時間がなかったんだ」

中居「未成年は良かったもん」
いしだ「ありがとうございます」
中居「俺一番好きだもん、だって、あのドラマ」


羽鳥アナ「(わざといしだのアレを映りこませようとしたんじゃないか疑惑)は、実際にあった事ですか?」
香取「…いやいやあれはだって前張りをだって!!(いしだが)しないっていうから!!」
いしだ「だって慎吾ちゃんだって、してなかったっしょ?」
香取「してなかったんです前張りを、しないでやったんですよ」
香取「時間もなくて、2人とも若かったですし、”もういいか、いいよねー!”みたいな感じで、もうプラーンです」
香取「スタジオの中プラーン、うわーっ、わーっ、タオル乗せなきゃー!みたいな」
いしだ「みんな若かったし、もうノリで、時間もなかったから」「どうせもう”隠すから大丈夫”だと」
さんま「映ったらオンエアできないしなぁ」
中居「実際(その時の)オンエアどうだったの?」ゲスト「ほんとに映っちゃったんですか?」
いしだ「…そうなんですよ」(スタジオ「えー!」)

いしだ「説明すると、(香取が)ぶつかりました、(北原が)ぶつかりました、その時は隠してたんですよ、隠してたんですけど、その時に倒れかけたんですね一回。倒れると、人って手が出るじゃないですか。」
中居「おのずと」
いしだ「片手はタオルにあったんですけど、両手が前に出そうになったのを瞬間的に感知して、”ヤバい”って思って(ギリギリ片手でタオルを抑えながら倒れ込んだ)」
中居「そのスキに映ったって事?」
いしだ「(倒れ込んだ時)カメラが撮ってた所に…  スッと一瞬」(スタジオどよめき)

木村「それが放送されちゃったの?」
いしだ「映ってました」
さんま「じゃあ、全部は映ってないんだ?」
いしだ「もちろん!よーく見ないと…」
木村「じゃあこういう感じか(顔を両手でふさいで片目だけ出すしぐさ)」
さんま「だからちょっと、根っことかいう事やろ、根本というか」(スタジオ笑い)


いしだ「それで、まぁね、慎吾ちゃんも(前張り)しないって言うし、みんな(前張り)しないって言うんだけども、慎吾ちゃん… あれ、わざとぶつかったの?」
香取「うーんわざとっていうか」
中居「楽しくなっちゃったんでしょ?」
香取「いや、でも!ほんとに、あの…」「……ひっさびさに会えてもうすっごい嬉しい!!!」(いしだと抱擁)

香取「(いしだは)ヒロって役だったんですよ、(デクは)”ヒーロ”っていつも言ってるんです」
いしだ「デク!」香取「ヒロ!」(この後数回「デク!」「ヒロ!」)


香取「ほんとに嬉しいですよ、もうほんとに壱成くんとか反町くんとか河合我聞くん北原くんとか、みんなで若い頃にやってたドラマだったんで」
香取「それも最終回終わった時に、中居くんが電話してきたんですよ」(スタジオ驚く)
香取「”すっげぇいいドラマだった!”って」
いしだ(中居の方を見て)「本当ですか?」
中居「あー俺それ言ったかもしんない、あまりにも良すぎてもう」さんま「そんなにも好きだったん」
中居「これはメンバーのドラマってあんま、まぁ見ますけど、いやまぁ、今でも一番ですね」


<追記>
2020.6.28「【共演者との想い出】未成年より香取慎吾くん【いしだ壱成】」(YouTube)

www.youtube.com
2022.10.2「香取慎吾、連ドラ「未成年」撮影地の想い出を語る」
www.narinari.com

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*1:よく誤解されるんですが、私は香取慎吾さんが一番好きです

*2:文字だけで伝わりにくい言い回しは少しわかりやすい形に調整しています

*3:股間の大事な部分を隠すテープのこと

*4:番組内では共演者という表現

「笑っていいともの終了発表に、中居正広がいた意味」

「笑っていいともが2014年3月で終了」

そのニュースを見た後、本屋に行ったら、こんな田舎でもしっかり『タモリ論』は平置きされていました。



これを読んでからじゃないと書けないと思ったので、買って今一気に読み切りました。
その確信も得てここに書き始めます。

* * *

タモリの口から笑っていいともの終了が発表されたのは、2013年10月22日。
火曜日です。

普通に考えれば区切りがいいのは月曜日か金曜日、盟友・笑福亭鶴瓶の同席を必要とするなら、鶴瓶がレギュラー出演している木曜日に発表をするという選択肢もあったはずです。
しかし結果的にいいともは火曜日に鶴瓶が乱入という形で発表を遂行した。
なぜか?


火曜日には中居正広がいた。



www.youtube.com


鶴瓶乱入のくだりを見ていると、いつもながらのいいともらしい空気から、中居の「エンディング?」という合図で、一気にゲスト登場(仮)の流れへと番組が動きます。

この時の「エンディング?」というやや高めのトーン、「ゲストいらっしゃる」というすごく落ち着き払った合いの手、鶴瓶登場までの微妙な間を絶妙に埋めつつ、しまいには「いいとも終わるってホンマ?」と鶴瓶が切り出した瞬間のあの何とも言えない表情、

中居正広は、完全に全てを知っていました。
ていうか、あの場で終了を知っていた出演者が、タモリと、鶴瓶と、中居、
その3人だけ。


もう一度書きます。
中居くんは、完全に全てを知った上であの場に立っていた。

* * *

「タモリ論」では、いいともレギュラーである中居正広についても触れている箇所があります。

「この日のレギュラーのひとりは、長年出演しているSMAPの中居正広。
SMAPは「世界に一つだけの花」以降、国民的大ヒットこそないものの、高値安定の傾向にあります。
ぼくは不惑の年齢に到達したオヤジですが、SMAPのことをかなり贔屓にしているほうだと思います。
しかしスタッフは、もっと若いジャニーズに入れ替えたいのが本心ではないかと邪推しています。」


中居正広がいいともレギュラーになったのは1994年4月、SMAPがちょうど「Hey Hey おおきに毎度あり」で初めてのオリコン1位を獲得した頃、しかし「がんばりましょう」はまだ出ていない時期です(その後の94年9月に発売)。

その頃の中居正広は、というかSMAPは完全に人気の若手アイドルという立ち位置で、レギュラーも最初は中居正広と香取慎吾が1セットで出演という形でした。
(その後草彅剛がレギュラー加入で香取とセットになり、まず中居がソロ出演に、そして後年香取と草彅もそれぞれソロ出演になり、今のSMAP週3日レギュラーとなっている)

中居正広がいいともに出演を始めてから、SMAPはさらに人気を獲得し、2年後にはゴールデンタイムで初の冠番組も開始。
それでも勢いは止まるどころか、さらにメンバー個々の活動も活発になっていき、中居は25歳の時点で、NHK紅白歌合戦の白組司会まで担当することとなる。

97年以前の過去10年間の白組司会者を見てみると、加山雄三、武田鉄矢、西田敏行、堺正章というラインナップ。
前年まで古舘伊知郎 *1 が3年連続登板し、少し空気を柔和にしていたとはいえ、25歳のアイドルがたった1人であの番組の司会をやるというのは、今においても前代未聞です。

しかし彼は紅白の単独司会を経験しても、ずっと「いいとも」を辞めなかった。

いや、「辞めなかった」のか、「辞めさせてもらえなかった」のか。
それは私には、全くわかりません。
ただ少なくとも、この19年のいいともにおける中居正広を見ていると、最初の「バラエティ向き兄ちゃん」から近年のポジションに辿り着くまでの間、いいともへの熱意を失いかけているようにテレビに映っていた時期は、確かにあったように思います。
帽子を深くかぶり、言葉どころかほとんど表情を崩さずに1時間終わるような中居正広の出演、そんないいとも、一時期毎週ありましたよね。

でも、中居正広はいいともにいた。
というか久しぶりに見るとびっくりするくらい、近年の中居正広はいいともへ意欲的に参加して、コーナーを回し笑いもとっている。


前置きが超長くなってしまったのですが、ここでとあるインタビューを紹介します。

「20代でいろいろやらせてもらって、やっぱり自分はMCをやりたいなと強く明確に思った。次の10年はそれを磨いていく10年だと思ったので、そういう仕事をたくさん、できる限りやりたいという話をしたのは覚えています。」

(中居正広 / ザ・テレビジョン 2013年9月13日号)


若手アイドルというポジションでいいともに出だしたのが21歳、それからスマスマでゴールデンに進出したのが23歳、
紅白の単独司会を経験したのは25歳。

20代で色んな経験をして、そこでハッキリと司会という目標を見定めた時に、中居正広は誰よりもリアルな形で、いつも毎週見ているあの存在に気づいたんじゃないでしょうか。


『四半世紀、お昼の生放送の司会を務めて気が狂わない人間』


その後彼は29歳から「ザ!世界仰天ニュース」や「中居正広の金曜日のスマたちへ」の司会も始めるんですが、あれだけゴールデンで司会者としてポジションを確立してもなお、中居正広はずっといいともから降りなかった。
41歳の今日まで、レギュラーのポジションを後輩に譲るなんて事をしなかった。

そして約20年間、毎週タモリの司会を見てきた中居は、一出演者として、タモリが笑っていいとも終了を告げる瞬間に同席する。

あの場でタモリと鶴瓶と自分だけが、全てを知っていた状態で。

* * *

「タモリ論」は最後、BIG3が揃った2012年の27時間テレビに触れ、そしてtwitterで流れてきたこんなつぶやきを紹介しています。

「タモリ&さんま司会「テレビ夢列島」の初回は1987年で、今から25年前。さらに25年前はというと1962年で、なんと、「てなもんや三度笠」はこの年に始まっている。そこからの25年と比べて、この25年の地続きな感じはいったいなんなのか。いかに今が、テレビの歴史始まって以来の事態か。」
午前2:37 · 2012年7月23日

(佐藤晋/ドジブックス:@roug02 https://twitter.com/roug02/status/227095152123052032


この事実を目の当たりにし、「タモリ論」の中で筆者の樋口さんは一時代の終幕を表現しているんですが
(この辺あえて引用しません、これは本文の方でぜひ読んでみてください)

上記のツイートにもう1つつけくわえるとすれば、「第一回テレビ夢列島の翌年、1988年に誕生したSMAPが、25年後に笑っていいともの終焉を見届ける。」

以前「テレビを背負うSMAPの覚悟」という記事で「SMAPは最後の『テレビが産んだ国民的スター』になるかもしれない」と書いたことがあるのですが、
今日、一つの時代が終わりを告げる瞬間に、テレビはSMAPがいる事を選んだ。

* * *

「タモリ論」では”一時代の終焉”の後、『「ポストタモリ」「ポストいいとも!」は誰にも思い浮かばない。』と続いています。

ここまで書いていると、私は「ポストタモリ=中居正広」信者のようなイメージになってしまっていると思うんですが、これほんと強調しておきたいんですけど、全くそういうのは思っていません。
というかタモリの領域なんてもう誰も届かないだろう。

ただ、じゃあテレビはこのまま「BIG3の光と残像」と共に人々の前から消え失せていくのか、と言われると、そこまで悲観的に思ってる節もなくて、
80年代生まれの自分は、「SMAPがあそこにいた事」にものすごく光が残っているんじゃないかと思っています。

思えば、2012年のFNS27時間テレビでBIG3が集結した時も、中居正広はあの場所に居合わせていた。
そして、あの時やはり同席していた鶴瓶と共に、中居は途中、一度自らカメラの外に出ているんです。


『みんなBIG3が見たいでしょう』


BIG3の一番近くで、アイドルという諦念のサングラスをかけて
ビートたけしという芸人の生き様を、明石家さんまという神の話術を、
そしてタモリという偉大な狂気のサマを、
つぶさに吸収しているテレビの申し子があそこにまだ1人いる。


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*1:当時はまだ報道ステーション出演前のフリーアナウンサー

「保田圭さんがついに歴史的映り込み芸を達成」

160 名無し募集中。。。 2013/10/22(火) 13:07:52.41 0
54 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2013/10/22(火) 13:06:17.21 0
驚く保田
歴史の一場面





いいとも終了
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1382414229/


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「テレビを背負うSMAPの覚悟」

今も、すごくドキドキしています。

何の気なしに見ていたフジテレビ開局55周年記念特別番組、「SMAP GO!GO!」。
目的は『古畑任三郎 VS SMAP』の続編だったんですけど、その後の最後の最後に、どえらい映像流れたと思った。

中居「SMAP GO!GO!という事で、55周年のフジテレビと関西テレビ。さぁ今回はフジテレビの昔の映像や、昔のボクらとコラボして、こちらの歌を届けたいと思います。」


”デビューの頃のSMAPに会いたいなぁ…”
”昔、大好きだったあの番組にも出演したいなぁ…”
そんなテロップから始まる、最新曲「Joy!!」。

『あの頃の僕らを思い出せ出せ』というサブタイトルがついたこの映像は、出だしの香取が<欽ちゃんのドンとやってみよう!>の世界に入り込む所から始まる。
「♪生真面目さんはごくろうさん」と、スーツ姿の萩本欽一に歌いかける香取。

次の場面では香取と草ナギが<なるほど!ザ・ワールド>に出演。
愛川欽也、楠田枝里子の進行を、解答者席から眺めている。

中居・木村・稲垣は<オレたちひょうきん族>に出演。
中居と稲垣は熱々のおでんをつつきながら、ビートたけしと片岡鶴太郎のやりとりを見守り、木村はタケちゃんマンとブラックデビルの対決に立ち会う。

サビでは、5人揃って<夜のヒットスタジオ>に出演。
小泉今日子から番組名物のOPメドレーを受け取り、1本のマイクでアピール。
そしてその先、SMAPが出演した<夢がMORIMORI>をきっかけに、2番は過去のSMAPの映像へ…


っていう流れの映像で、
特に1番のくだりが、正直すごくて。

* * *

なんというか、やっぱどう考えても、世間がテレビに注目する時間というのはだんだん減っていってて
もしかしたらSMAPは、最後の『テレビが産んだ国民的スター』になるかもしれない。
そんな彼らが、テレビに力があった時代の”あの頃の僕ら”に会いに行っている風景が、まずすごくグッときて。鼓動が早くなった。

あとやっぱり、そういうのは、SMAP自身が一番よく感じているんだろうなっていう。

テレビには確かに力があって、時代が変わっても先人が落とさずに繋いできたバトンみたいなものがあって、それを今SMAPが持っていることを、きっとSMAP自身が一番よく知っている。

…これを書いていてなんとなく、ザ・ドリフターズのリーダー・いかりや長介が亡くなった時の事を思い出した。

365 :名無しさん@恐縮です :04/03/21 01:41 ID:0bvbT0tj

7時から昔話みて7時半からクイズダービー
(だいたいこの時にばあちゃんが部長刑事を観たがってたな)
そして8時からは全員集合、楽しみだったよなー
9時はGメンを少し観て寝たふりしながらウィークエンダー始まるのを待ってた
(ガキだったから本当に寝てしまい夜中に目が覚め
子供ながらに激しく後悔したのを覚えてる)
あの頃ほとんどの家はテレビが1台しかなくて子供部屋も無かった。
チャンネル争いしながら親父の強さに尊敬もしてた。
そんな自分も今では結婚もして子供もいる。
チョーさん亡くなっていろんな事、思い出しちゃうよな。
30代半ばの奴には特にツライことかもね
今夜は昔を思い出していつもより念入りに歯みがくよ

(【ドリフ】2ちゃんねらに見るドリフと土曜と思い出の原風景【チャンネル回し】)


今やテレビが一人一台、それどころかみんなが自分の部屋にこもってインターネットを見るような時代になったけど、いくら「テレビを見なくなった」と言われても、いくら時代が変わったと言われても、
テレビには最後までテレビの力を信じ続ける理由がある。

だからきっと、SMAPはSMAPをやり続けてる。
”あの頃の僕ら”と対峙しているSMAPには、全国民の視線をたった5人で背負う覚悟がある。

…これをさー、アイドルだからこそ歌える『Joy!!』の世界観に乗せて流すもんだから、またグッときてしまうんです。

”どうにかなるさ人生は”


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Joy!!(初回限定盤)(ライムグリーン)(DVD付)

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  • アーティスト:SMAP
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SMAP 25 YEARS (通常仕様)

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「モー娘。再ブレイクにおけるSMAP中居正広の意外な働き」

最新シングル『わがまま 気のまま 愛のジョーク/愛の軍団』がオリコンウィークリーチャートで3作連続1位を獲得し、ついに”倍返し”の始まったモーニング娘。。
芸能界でも再びファンが急増し、マツコ・デラックス、ユースケ・サンタマリアなどが<今のモー娘。推し>を公言している。

そんな中、モーニング娘。が再び注目されるまで、静かに彼女たちをアシストし続けていた芸能人がいる。
SMAPの中居正広だ。


モーニング娘。と中居といえば思い出されるのはやはり「うたばん」(TBS)での共演だが、2010年3月に番組は惜しまれつつ終了。
その後モーニング娘。のメンバーはかなり入れ替わり、さらにはAKB48の大ブームがテレビ業界にも到達したため、テレビが結んでいた二者の縁はここで一見途切れたかのように見えた。
しかしうたばん時代を知らない中高生新メンバーが3分の2を占めるようになり、まだフォーメーションダンスも完成していなかった2012年4月、モーニング娘。はとある番組に呼ばれた。
それが通称黒バラこと「中井正広のブラックバラエティ」(日本テレビ)である。



当時のモーニング娘。には新垣里沙・道重さゆみ・田中れいな*1など、知名度の高い、またうたばんの出演経験も豊富な先輩メンバーが複数在籍していたが、なんと「黒バラ」ではその先輩メンバーをあえて外し、新規加入の9~10期メンバーだけで出演。*2
9~10期にとっては初めての本格的バラエティ出演、しかもいつも頼りにしている芸歴10年前後の先輩メンバーは全員いない状況……

……だったが、この番組で9~10期メンバーは予想外の大健闘
特に共演の女性アイドルグループ・Fairiesと行った即興ダンス対決では安室奈美恵やSPEEDの直系の後輩*3であるFairiesに対し、ダンスが得意な鞘師里保(9期)と石田亜佑美(10期)が、MC中居のムチャブリにも対応した見事なパフォーマンスを披露。
この日の出演は既存のモーニング娘。ファンだけでなく、番組を見ていた一般視聴者にも強いアピールになった。



そしてしっかりと爪痕を残した新生モーニング娘。の面々は、もう一度「黒バラ」に呼ばれ、レギュラー出演者との運動会企画に参加。
すると今度は美少女ながら実はかなり負けん気の強い工藤遥(10期)が、出川哲朗との見事なケンカ芸を披露し、彼女は同い年の佐藤優樹(10期)と共に出川哲朗との新たなロケ企画にも出演する。

その間にモーニング娘。は50枚目のシングル『One・Two・Three』で息を吹き返し、ついにフォーメーションダンスが世間で注目され始めるのだが、



www.youtube.com


残念な事に、『中井正広のブラックバラエティ』は2013年3月に放送終了してしまう *4
しかし実はその後も、新生モーニング娘。は中居正広の冠番組に呼ばれ続けていた。『ナカイの窓』(日本テレビ)『中居正広のミになる図書館』(テレビ朝日)などである。
ここでも知名度の高い先輩ではなく、加入からまだ日の浅い生田衣梨奈・鞘師里保(9期)にそれぞれ出演オファーがあり、彼女たちは貴重な経験を重ねる事ができた。


もちろん、中居がモーニング娘。へ特別に肩入れしているわけではないだろう。
現にモーニング娘。最大のライバル・AKB48は、SMAPの看板番組『SMAP×SMAP』(フジテレビ)に何度もゲスト出演し、さらに『火曜曲!』(TBS)ではレギュラーとしてMCの中居と約1年半共演をしている。

ただ確かなのは、他アイドルに差をあけられなかなかテレビに出られなかった苦しい時期、中居の番組が現モーニング娘。にどれだけ貴重なチャンスを与えてくれていたか、である。
そして彼女たちはそのチャンスを決して逃すまいと奮起し、その頑張りに呼応するかのように新規のファンが増え、結果としてオリコン3作連続1位をとるまでに巻き返してきた。

思えばモーニング娘。の躍進には、いつも中居正広がいる。
彼女たちの再ブレイク前夜、13時間を超える大型歌番組『音楽の日』(TBS)の出演時、まだ新生モーニング娘。の変化を知らない全国の視聴者に向けて

「いろいろとメンバーが入れ替わりますが、今はこのメンバーが一番ですか?

と”今のモーニング娘。”を発信した司会者も、やはりこの人だったのだ。


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*1:当時は他に8期メンバーの光井愛佳も在籍していたが、足の怪我のため出演できなかった

*2:正確には初回の「黒バラ」には先輩メンバーも出演しているのだが、歌部分だけの参加だった。ちなみに「黒バラ」で歌った当時の最新シングル『恋愛ハンター』は、他に出演したどの歌番組よりも長い尺で流れた

*3:ライジングプロダクション所属

*4:実は最終回にも、黒バラスタッフは現モー娘。へのオファーを出していた。(スタッフのtwitterより) しかしモー娘。はツアー前日のため出演ならず

「現モーニング娘。のMステを見た一ヲタの感想」

2013年8月23日、現モーニング娘。が6年ぶりに単独で、ミュージックステーションに出演。

ここ数年はずっと、ネットの書き込みを見ながらTV視聴をする事が多かったんだけど、この日は逆に、一切ネットを見ないでTVを点けた。
なんか、そういう気分だった。


一言でいうと、「夢のようだった。」
っていうかこの10年近く、ずっと信じて追いかけていた風景だった。
前世代のイメージではなく、今やっている事をきちんと見てもらえ、評価され、歓声と拍手で迎えられるモーニング娘。の姿。

ビックリしたのは、変な事承知で書きますけど、ハピサマが始まった瞬間、金色の衣装がダブって見えたんです。
2000年に金色の衣装で、人気絶頂の国民的アイドルとしてハッピーサマーウェディングを歌っていたグループ、あの時も私同じように、TVの前で座って見てたんですよね。
もちろんモーニング娘。が大好きで。

あれから13年経って、本当に色々あったけど、またモーニング娘。を好きだって言ってくれる人が増えて、そして今のグループがやっと同じステージに立てて、その姿を、私は同じようにTVの前で、見れた。

言ってしまえばたかがアイドルとファンの関係、それでもあの瞬間は、そんな言葉では片づけられない時間と感情が確かにあって、一生忘れられない経験をしたと思います。


「大好きなモーニング娘。が、変わらずにそこにいた。」


今もう一回見返したんだけど、本当にメンバーみんな楽しそうで、そして自分たちにしっかりと自信を持って臨んでいて、いい表情だったなぁ。
今できる事を全てやりつくした、最高のステージだった。
緊張したり、思うようにできなかったとか涙が出たりした事も含めて、素晴らしいパフォーマンス、最高の出来だった、と思います。



あともう1つ絶対に書いておきたいのは、Mステにおけるマツコデラックスの仕事がまじ完璧だった。

マツコがあんな簡単に『美しい』なんて24歳の小娘を絶賛するだろうか?

いや、本心なのかもしれないけど。
でも普通に考えて、本気でそう思うほど別に盲目な気持ちでもなく、

音楽番組のVTRという、確実に一瞬しか使われないコメントにおいて
まず世間が一番良く知っている道重さゆみを最上級にピックアップした『美しい』の3文字、
そして以前プラチナ期や”日の目を浴びなかった時代”にも言及している/認識のある人が
たった数秒しか使われない中、道重を盛り立てる事でさりげなく印象付けた『カッコ良さ』の単語。

最後に今推されてるフォーメーションダンスについて聞かれ
『カッコイイ』『わかりやすく』『凄いことやってる』という
一般人が口コミで評価する時にまんま流用できる文例を提供したという点も含めて、
この出演タイミングで「世間の誰かに興味を届ける最短で最適のTV用コメント」を確実にぶっ放していたマツコデラックスは、本当にすごかった。
そしてありがたかった。
マツコありがとう。本当にありがとう!


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「現モーニング娘。がついにMステに出る件」



「モーニング娘。スペシャルコラボレーション」名義で、前回の出演が2009年8月14日。(なんちゃって恋愛・OGコラボ)

「モーニング娘。」単独名義だとさらにさかのぼって、前回の出演は2007年4月6日。(悲しみトワイライト)


色々思う事はあるけれど、今回出演が決まった事で、モーニング娘。は誕生から16年、1期から11期まで全員がMステの出演を果たす事に。
それがまずとにかくほんとに嬉しい!!!

悲しみトワイライト以降も、なんちゃって恋愛でOGと出演した時だって、いつだって私は、「今のモーニング娘。」をもっと見てほしかった。


あれから、さらに4年。


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「『音楽の日』の新生モーニング娘。が凄すぎた件」

新生モーニング娘。すげええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!


TBS「音楽の日」2013年版にモー娘。、大塚愛、シド、マツケンら追加 - TOWER RECORDS ONLINE


思わずすげー純な気持ちを叫んでしまうほど、今日の音楽の日のパフォーマンス良かった。
ライブじゃなく一般人も見れる状況で、9~11期の加入以降では過去最高の出来じゃないか?

* * *

10年選手・田中れいながついにいなくなり、いよいよ完全に世代交代の時期がすぐそこまで迫ってきているモーニング娘。
それでもやはり若手メンバーはまだまだ経験不足、歌と存在感の柱だった田中の穴はかなり大きい…

っていうのを、完全に蹴散らしてきたねこれは。
何これ最高すぎるでしょ!!!れいなの卒業をネガティブに捉えるのではなく、新時代への強力なブースターにしたこの10人の強さ!!!!


16年の歴史を背負って9割が新規若手メンバーという状況、その環境で10代だからできる『やるしかないじゃん!』感に満ち溢れた全力のパフォーマンス。
これははっきりいって、黄金期もプラチナ期も見せられなかった『モーニング娘。』

もちろん、この2年くらいの間にぐんぐん上達してるメンバーのスキルもあるんですよ。
でもそれ以上に今回は、全員の表情がほんとに素晴らしい。
誰一人この3分を捨ててない。全力で掴みに来てる。

「まぁそれでも、そりゃ新メンは若いんだし何でも楽しいんじゃ…」って思う人は、正座して開始24秒あたりを見てほしい。
最近すっかりエロスマイルが定着した10年選手の道重さゆみリーダーが、あんなに素で楽しそうに笑っているのを見て私は泣きました *1

<追記> YouTubeコメント欄より

nantknno

ダンスバトル最初の一回転で石田髪飾り落とす。→「とにかく良い­夢」石田見渡す→「どうせならそいつを」工藤気づく→「か弱き乙­女」直前に全員内側を向いたとき一瞬小田が指差しアイコンタクト­→「通ってるスクール」直前工藤が確認しその上に座って客から隠­す→「健気に」生田振り返りターゲット確認→「人見知り」生田右­足でシュート‼でOK?


※放送見れなかった方はせめて公式を…

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*1:「ラッキーが来そうな感じ」のとこ

「都会と地方のあまちゃん」

まず最初に私のことを話します。

私は北海道の地方都市で生まれ、その後5歳の時に、親の転勤で横浜へ引っ越しました。
それからは幼稚園・小学校・中学校と横浜で育ちましたが、高校進学の際、親の転勤で再度北海道へ引越し。

以降高校・大学は北海道で過ごし、就職でまた一度横浜へ出ましたが、現在は両親が住む実家や、結婚した夫の出身地でもある北海道に住んでおり、たぶん今後は、こちらに骨を埋めるのかなーと思っています。

で、なんでこんな書き出しから始めたかというと、そんな経歴を持ってあまちゃんを見ていて、色々感じる事があったからです。

<2人の”あまちゃん”>

「おら、東京さ行くだ!」(6/22放送)にて、印象的な1シーンがありました。
アキは皆に送り出されて、地元の東京へ。
ユイは家族の病気により、自分がずっと夢見ていた東京への列車を、目の前で見送る。



このシーンを見て確信したのは、あまちゃんの根底にあるものは”2人のあまちゃん”なんだ、という事。
都会の少女と、地方の少女。

先に、ドラマの例も用いて、そもそも都会の子、地方の子とはどういう違いがあるのかを書きます。

<地方の子・ユイちゃん>

ユイちゃんに代表される、いわゆる『地方の子』。
この子たちは、一言でいうととても色彩が豊かです。

ある程度不変の環境で育ち、変わらない景色、変わらない友達…

イメージだけで見ると、不変というのは穏やかな風景かもしれませんが、多感な若者にとっては刻むものもより深く、より濃くなる場所です。

<都会の子・アキちゃん>

アキちゃんは東京で生まれ育った、まさに『都会の子』。

これは、私は高校で地方都市に引っ越してきたときに初めて知ったのですが、都会の子は、想像以上に淡い世界に守られて生きているんだな、と。

パッと見、都会は激変、という文字が思い浮かびます。
めまぐるしく変わる風景に、早期から受験などで分かれる進路、毎学期やってくる転校生…

しかし逆にいえば、都会では、周囲が勝手に形をめまぐるしく変えていきます。
つまり自分でわざわざ刻む必要もない。
薄くても浅くても、周りが色濃いので、都会の子は特に疑問も持たず充分に生きていけるわけです。
しかも何か興味を持ったことがあれば、達する苦労はそこまでせずに、すぐ触れる事ができる。

そんな2人の人生が、アキがユイの地元・岩手にやってくる事で一旦重なるのが、このドラマの前半の物語です。


豊かすぎる環境で、ただ生きてきた都会の子、アキ。
しかし、限られた土地で人生を色濃く、深く刻んでいる人たちに出会い、自らも海女という、とても濃い経験を人生に刻む。
その視野を持って、アキはもう一度帰っていきます。
地元である東京に。

一方、何もない所で、強くアンテナを張って生きてきた地方の子、ユイ。
彼女は自らを濃く、深く探していく中で「ご当地アイドル」という存在に出会い、狭い地元からそれでも少しずつ世界を広げていって、東京まであと一歩、まで近づく。
しかし彼女の歩みは、予期せぬ事情で止まります。
家族が残る地方に。


「地方に来て海女に憧れた少女が、今度はアイドルに憧れ、都会に戻る」


このあらすじだけ見ると、なんだか荒唐無稽なストーリーだと思います。
東京編を目前にして「海女の成長ストーリーだと思ってたのに、ひでぇドラマ」みたいな感想もネットだと結構見かけます。

私も最初は「海女」とか「じぇじぇ」とか、あとクドカンならではの小ネタとかが面白くて、そういう感じで見てました。
アキがいきなりアイドルになりたい!とか言い出して、実際に強引に方向転換してったここ数週は、正直ちょっとなんじゃこりゃとも思った。

しかし春子が送り出し、アキは旅立ち、ユイは残ったあのシーンを見て、なんかすごく思ったんです。
あぁこれは、”2人のあまちゃん”の物語なんだと。

アキとユイ、アキと少女時代の春子、そして岩手のアキと、東京のアキ。
『都会で生きる少女と、地方で生きる少女』


* * *


今回特に書きたかったのはとりあえずこのあたりまでなんですが、あとついでに、東京編に漂う”荒唐無稽感”の原因の1つに間違いなく「アイドル」だの「GMT47」だのがあると思うんですけど

このブログ、メインはアイドルなんで、その辺もついでに書いちゃおうかなと思います。

<補足・なぜ2010年代の少女たちはアイドルを目指すのか>


以前、こういう記事を書いた事があります。
「震災と少女たち」
「あの日見たアイドルの意味を僕たちはまだ知らない」

もともとAKB48の握手会ブレイクによって、以前からアイドルは相当身近な存在になってきてたんですけど、
2011年の東日本大震災を機に、特に普通の少女たちの中では、アイドルの定義がかなり変わってきてるんですよね。
それはアイドルは夢であるとともに、力でもある、ということ。

現時点でのあまちゃんは、2009年の夏なんでもちろん震災以前なんですけど、震災後の2013年の現実ではスターとしての憧れ以外に幼い自分でも笑顔や勇気という「力を届けられる存在」、そういった視点で憧れて、ステージに立っている少女もかなり増えてきているんです。

…そういうのも見ていると、アキが、しかも岩手にルーツを持ってアイドルの世界に飛び込んでいくのは

現代日本を舞台とした少女の成長ストーリーとしたら、実はすごくしっかりした柱に添って書かれてるような気もするのですが、どうでしょうか。

という感じで、じぇじぇ。


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「アキちゃんとユイちゃんのアイドル観考察(あまちゃん)」

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「アキちゃんとユイちゃんのアイドル観考察(あまちゃん)」

NHKの朝ドラ「あまちゃん」にやたら「モー娘。」の単語がでてくるので、そういや潮騒のメモリーズは、どういう感じでアイドルを見ながら育ったのだろうと考えを巡らせてみました。
(ちなみに執筆時点でまだ放送途中のドラマですので、現段階までのざっくりとした情報での考察になっていることを、あらかじめご了承ください)


連続テレビ小説あまちゃん Part2 (NHKドラマ・ガイド)

アキちゃんとユイちゃんのアイドル観考察(あまちゃん)

大前提:2人は2008年夏で高2=1991~1992年生まれ

<幼稚園>(~1997)

この頃はSPEED全盛期ですが、アキは春子(母)がまだ夢破れてまもなく、また今よりさらに血気盛んな年齢でもあるので(アラサー)、チャラチャラした歌番組はほとんど見る機会がなかったと思われます。

ユイは母親が八木亜希子なため(元アナの設定)、テレビ視聴には抵抗がない環境だったと思われますが、現在のパフォーマンスを見る限り、ダンス特化型アイドルへの憧れは持たずに育ってるぽいので、SPEEDは特に通ってなさそう。

<小学校>(1998~2003)

この頃は思いっきりモー娘。黄金期
そして特に91~95年生まれくらいの女の子は、子供の頃好きだったアイドルを聞かれるとほぼ100%「モーニング娘。」の名を挙げる傾向があり、アキやユイも同じように、最初にアイドルを覚えたのはモーニング娘。でほぼ間違いない。
ただどちらも、ライブにいったりカードを集めたりというほどの思い出は出てこないので、モー娘。に対しては友達と歌うとか、学校で話題にする程度の穏やかな好意・憧れに留まっていたとも思われる。



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※アキちゃんとユイちゃんが小学3年生のときに大ヒットしたのが『恋愛レボリューション21』

ただここで、アキに関しては↑程度でほんとに留まっていたと思われますが、ユイは後に地元でも名の知られるほどの美少女になる=つまり小学生くらいから「自分が可愛い」事を、なんとなく自覚していたはず。
という状況を考えると、ユイはアキと少し違い、自分とそんなに変わらない年齢で活躍するモーニング娘。を見て「可愛いって仕事にできるんだ」的な意識を日々育てていたとも考えられる。
(後につづく)

<中学校>(2004~2006)

アキユイ世代が一番憧れたであろう辻加護も、2004年夏にはモー娘。を卒業。
前後して始まるモー娘。ブームの鎮静化や、また岩手にくるまでの雰囲気も見るに、アキはおそらく中学入学くらいのタイミングで一旦アイドルからは離れている。

しかしユイは、小学生の時に黄金期モー娘。の活躍を通じて「自分の可愛いは仕事にできる」ことに気づいていたため、中学生になっても、そのまま女性アイドルの活動はなんとなくチェックしていたはず。

――色々ごちゃごちゃと浮かんできたので、ちょっとここからは仮説で。

(仮説)

世間的なモー娘。ブームが終息しつつあっても、美少女・ユイにとって「可愛いを仕事にしている」アイドルは気になり続ける存在であり、ユイはなんとなく、各種歌番組をいまだチェックし続けていた。
また、中学生となったユイは反抗期にも突入しており、ユイは田舎でずっと「だっさいポロシャツ着て残念なエプロンつけてシチュー作って」いる母親の姿に、嫌悪感も抱き始めている。

そんな中、ユイは2004年9月4日深夜に放送されたNHKの歌番組「ポップジャム」を見る。
その回の特集は「地域限定アイドル(ロコドル)」。
出演していたのは新潟のNegicco*1など、自分と同じく地方で暮らしているアイドルたちであった。



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※2004年9月4日深夜の「ポップジャム」にて歌われた、Negiccoの『恋するねぎっ娘』


『ユイには衝撃でした。自分と同じように地方に住んでいる女の子が、東京のテレビにでているのです。
 ”地方から、アイドルをやって東京に行く。”それを初めて意識した、ユイ13歳の夏でした。』(夏ばっぱの声で)

<高校入学~アキが岩手にくるまで>(2007春~2008夏)

アキちゃんはアイドルどころか引きこもり気味の東京のJK。

「NHKポップジャム・ロコドル特集」以降のユイは、自分の中でアイドルが現実的な進路のひとつになり、それゆえにいろんな情報をチェックしていたはず。
その中にはロコドルはもちろん、各種メジャーアイドルのオーディション情報もあったと思いますが、おそらく本人の気持ち/また家庭の都合などで、すぐに上京する選択
は難しかったのか、高校はとりあえず地元の学校へ進学。

ただいろいろチェックしているだけに、ユイ自身はすでに「メジャーアイドルとしてデビューするなら、小中学生のうちからオーディションやレッスンを受けていた方が有利」というアイドル業界の特性も、すっかり把握していたはず。
ましてや現時点で芸能事務所や芸能スクールに所属しているわけでもない、地方在住の女子高校生が、一発逆転で東京アイドルの道を掴むとしたら…

※補足:実際の「2007春~2008夏の女性アイドル界」について
ここで実際の「2007春~2008夏の女性アイドル界」がどうだったかを振り返ると、モーニング娘。は藤本美貴が熱愛報道で初夏にグループ脱退、そこから秋には(後にプラチナ期と命名される)新体制へ移行したものの、世間的には沈黙中。
またAKB48は2006年にメジャーデビュー、2007年には”アキバ枠”で紅白初出場も果たしていますが、2008年2月発売の『桜の花びらたち2008』の特典商法が独占禁止法に引っかかったことで、レコード会社の契約が終了。そのため2008年6月の『Baby! Baby! Baby!』が急遽配信限定のリリースになるなど、女性アイドルはローカルどころかメジャーも、ちょうどこの2008夏のタイミングが、一番逆風が厳しかった頃なんです。

だからあまちゃんを見ていて、芸能関係の何かに所属してるならともかく、なぜ岩手の普通の女子高生が、2008年の時点ですでにご当地アイドルの存在を猛プッシュしてたのかなぁとずっと疑問に思っていたんですが、

おそらくユイちゃんの中ではあの2004年のポップジャム視聴が、やはり強く感化された出来事になっていて、
その上で自分の可愛さの自覚、そして東京への憧れも日々募らせながら2008年の岩手の高校生になったときに、いざ自分がアイドルになることを現実化するには「もうご当地アイドルしかない!!」

となったのだと繋げると、2008年設定のあの切り抜きだらけの部屋が納得がいきます。

<アキが岩手にくる~海女ソニックまで>(2008夏~2009夏)

アキは岩手にきて以降、いろいろあってアイドルに関する話をする機会が増えていきました。
その時に、アキが必ず最初に出すのが「モーニング娘。」

これはアキのアイドルの原風景がモーニング娘。であり、またそれ以降は特に意識したアイドルがいないため、彼女がアイドルの話になったときにまず思いつくのが、子供の頃に通ったモーニング娘。なのだと思われます。

ただ春子が過去を話す回(5/14放送)で、人数が多いアイドルグループを聞かれると、アキはモーニング娘。の後に「AKB」と答えている。
この回の設定は2008年で、なおかつまだ海に入れる時期。
実際の久慈市の海女さんが実演をやってるのが7~9月らしいんですが、2008年の9月だとしてもその頃、AKB48の人気が上がりはじめた「大声ダイヤモンド」はまだでてないんですよね(2008年10月発売のため)。

一般層への浸透はまだ少し距離がある時期なので、それでも若いアキはともかく、なんであの調子だった春子まで、認識を共有できているのだろう…

と思ったんですけど、よく考えたらAKBは前年(2007年)にアキバ枠で紅白初出場しているので、おそらく2007年の大晦日、アキと春子は東京でNHK紅白歌合戦を見ていたのでしょう。
そして(春子はビール飲みながら)AKBって人数多いねーとか話していたのだと思います。

そして海女~ソニックの開催年である2009年夏は、AKB48が前年の『大声ダイヤモンド』からじわじわ人気を上げ、この頃にはもう第一回選抜総選挙も行われているんですけど、ただ老若男女が集まる岩手のあの場ではまだAKB48の知名度は厳しい、というわけで新人海女さんの出し物はモーニング娘。メドレーになる。


とりあえずこんな感じで、想像がいきつきました。


<追記>
記事の投稿後に、「そういやperfumeは?」という話がありました。
アキとユイが出会う1年前(2007年の秋)にはもうperfumeがポリリズムでブレイク済なんですが、出会った2008年の時点で嵐のCD発売日をしっかりチェックしているなど、ややミーハーな所もあるユイが、ブレイク後のperfumeを知らないことは絶対にないはず。
しかもperfumeはもともと広島のローカルアイドルで、ましてやユイは80年代アイドルにまで明るいアイドル勉強家!
…なのにご当地アイドルを猛プッシュしているユイから、perfumeという単語はまだ出てきていない。

これは彼女が90年代SPEEDブームを通らず、モーニング娘。で最初にアイドルを知ったという世代事情もかなり大きくて、17歳のユイのアイドル観にはまだおそらく「パフォーマンス特化型アイドル」のカテゴリがなかった。
しかも徹底して名前がでてこない所を考えると、ユイがperfumeを知ったのはポリリズム以降であり、ブレイク後のパフォーマンスしか見ていないユイちゃんの中ではperfumeは「アーティスト」。
少なくとも自身がアイドルでやるとして、お手本にするには難しすぎるので、彼女の中のアイドルという枠からは外れている …とかかな?

↑しかしこの辺は、NHKも関わったリサイクルCMも背中を押しての大ブレイク、さらに今もNHK歌番組レギュラー&紅白常連のperfumeを、あのクドカンが絡めないもんなのかなぁ?とちょっと不思議にも思う。
もしかしたらあの環境で不自然なほどperfumeの単語が出てこないのは、クドカンの中でもperfumeはアイドルと考えていないのか、もしくはあまちゃんの世界ではperfumeはいないのかもしれない(鈴鹿ひろ美パターン)。


関連記事
「都会と地方のあまちゃん」

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*1:この2004年9月4日の「NHKポップジャム・ロコドル特集」にNegiccoが出演していたことは有名で、後年本人たちも度々言及しています。Negicco、NHK「MUSIC JAPAN」で号泣(BARKS):https://www.barks.jp/news/?id=1000112920