小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

「"危険な距離感"はアイドルだけの問題?:誤認が奪う警鐘」

アイドル刺傷男、人気若手女優も標的 粘着質かつ大量メッセージ― スポニチ Sponichi Annex 芸能

数日前、東京・小金井で痛ましい事件が起きました。
まず最初に被害にあわれた女性の一日も早い回復を祈り、そして本文に入らせていただきます。

"危険な距離感"はアイドルだけの問題?:誤認が奪う警鐘

①被害者のアイデンティティを問い直す

事件が発生した5月21日、第一報としてYahooトップに掲載されていたのは産経新聞の「女性アイドルが男に刺され意識不明 東京・小金井でファンイベント」という見出しでした。
それから3日経った今日も、新聞のテレビ欄ではこの事件を表現するキーワードとして”アイドル”が頻繁に用いられています。

2016年5月24日 朝日新聞 テレビ欄(首都圏版)

■NHK
■テレビ東京
・なし

■日本テレビ
・スッキリ!! 「アイドル「殺すつもりで」容疑者が新供述」「”会えるアイドル”がファンの恐怖体験告白」
・every. 「アイドル襲撃男の素顔」

■テレビ朝日
・グッド!モーニング 「アイドル刺した容疑者 意外素顔&身守る方法」
・羽鳥モーニングショー 「アイドル刺傷で逮捕男 最近ひょう変トラブル多発」
・スクランブル 「悲劇”地下アイドル”襲撃 ①逮捕男・・・偏愛と素性 ②現役アイドルが激白 恐怖の裏事情」

■TBS
・あさチャン! 「アイドル刺傷事件・・・元ストーカー語る心理」
・白熱ライブ・ビビット 「逆恨みアイドル刺傷 執よう…逮捕男の素顔」

■フジテレビ
・めざましテレビ 「アイドル女子大生襲撃 警察が動く線引きは?」
・とくダネ!「雄叫び 謎の張り紙…異様生活 20歳アイドル襲撃男 友人女優が語った前兆」
・直撃ライブグッディ 「アイドル襲撃男の素顔 別女性もストーカーか 密着…ファンとの距離」
・みんなのニュース 「アイドル襲撃男の素顔 なぜ暴走?新供述は…」

しかし、そもそもまずこの事件の被害者を”アイドル”として表現するのが正しいのかどうか。
そのソースの大元であろう(彼女が以前所属していた)アイドルグループ「シークレットガールズ」は、あくまでも同名の連続ドラマから派生した期間限定ユニット*1という位置づけでした。
当時の彼女自身の活動を見ても、むしろアイドル業よりドラマや映画への出演が目立っています。

彼女というアイドルの立ち位置はあくまでも、わかりやすく表現すると、NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」における女優の能年玲奈・橋本愛・松岡茉優*2に近いものだったのではないでしょうか。
そして話し合いの元に最初の大手芸能事務所を離れてもうすぐ2年、その間に2度の舞台だけでなく弾き語りライブ*3をスタートさせた彼女自身は、つい最近、現在の所属事務所の代表にこんなビジョンを語っていたそうです。

「シンガー・ソングライターとしてやっていきたい。勉強しながら詞や曲を作りたい」

http://www.hochi.co.jp/topics/20160522-OHT1T50048.html

そして5月21日に彼女が向かっていたのも、彼女が昨年初めて”シンガーソングライター”として初めてオリジナル曲の弾き語りライブを行ったという、そのライブハウスでした。

しかし事件直後からネットを中心に彼女の置かれていた状況に対する認識の違い、「これはアイドルのリスクではなく、もっと違う部分に問題が潜んでいるのではないか」という疑問が噴出していてもなお、テレビや新聞報道ではいまだに”アイドル”の4文字がこの事件のキーワードとして発信され続けています。

②アイドルだけでなく、誰にでも潜んでいるはずの「距離感」の危険性

報道を見ていると、この事件とアイドルが結びつく根幹には「距離感」が存在している印象を受けます。

「冨田さんが刺された事件は、ファンとの距離の近さが常態となっている現在のアイドル事情を象徴する側面がある」

アイドル、刺され重体 27歳の男逮捕/お騒がせ/芸能/デイリースポーツ online

「近年のアイドルブームは、インターネットでの情報発信や握手会などファンとの交流を重視して人気を集める一方、距離感を見失ってファンが暴走する事件が増えてしまっている」

倉持由香、冨田真由さん事件で「距離感をもう一度考え直さないと」 - サンスポ

ですが実際にアイドルファンをやっている一人の、実際の感覚としては、今回の事件の発生源となった「距離感の喪失」までを「アイドル」の言葉に集約してしまうのは、あまりにも強引すぎる気がします。
例えばAKB48自体は2006年2月の1stシングル「桜の花びらたち」発売時からすでに、店頭での握手会を行っていました。
また同じく当時から活動していたモーニング娘。はその1年前、2005年の時点で27thシングル「色っぽい じれったい」のCD購入者を対象とした東名阪での握手会を開催しており、以降も2007年から定期的にCD購入特典として、抽選のリリースイベント+握手会を開催しています。
AKB48やモーニング娘。が握手会をすでにスタートさせていた10年前、もし同じような事件が起きていたとして、当時の報道は今のように「アイドル文化限定の距離感の喪失」を訴えたのでしょうか?

では、2006年のアイドルになくて2016年のアイドルにあったものとは、一体何なのか。
絡まった歴史をほぐしていくと、それは「インターネットでの自己発信」の存在に行きつきます。

ブレイク前夜のAKB48・前田敦子が個人名義でブログを始めたのは、2009年3月のこと。この時期には同じく大島優子(2009年9月)や板野友美(2009年11月)などの人気メンバーも、相次いで公式ブログを開設します。
またモーニング娘。でも6期メンバーの道重さゆみが、やはり2010年2月に公式ブログを開設しています。
そして彼女たちのブログ開設は、ちょうど日本におけるTwitterやSNSの普及時期とも重なっていました。
ブログ自体は2005年の時点でもすでに利用者が300万人以上、閲覧者は1600万人に達し*4、個人レベルの情報発信が身近なものとして認識されはじめていましたが、
2008年にTwitterやFacebookの日本語版がスタートすると、やはり同時期に日本で販売がスタートしていたスマートフォンの普及と併せて、ネット環境が可能にした個人間での密接なやりとりを、社会全体が徐々に共有していきました。

そしてアイドルとネットといえば、もう一つ重要なトピックがあります。それは指原莉乃の大躍進です。
2009年の第一回選抜総選挙で27位(カップリング曲の参加メンバー)だった彼女は、2010年4月に公式ブログ「指原クオリティー」を開設します。
もともと素人時代からネット文化に親しんでいたこともあり*5、彼女はブログを通じてその才能をいかんなく発揮、そしてブログ発信に関連した人気の高まりが追い風となり、2010年の第二回選抜総選挙では19位(シングルA面の歌唱メンバー)に。
さらに1日でブログアクセス9100万PV+コメント81万件を達成*6した後に行われた2011年の第三回選抜総選挙では、ついに9位(シングルA面の歌唱&新曲プロモーションのメディア選抜メンバー)を獲得。
以降「笑っていいとも」レギュラー、ソロデビュー、そして後の第五回選抜総選挙での1位と、彼女はアイドルとして、人気を不動のものにしていきました。

指原莉乃の歩みに見えるのは、インターネットを通じて個人単位での情報送受信が気軽に行われる、そんなSNS時代に、アイドルと呼ばれる彼女がいち早く対応していたということ。
2010年代のアイドルとファンを近づけたものは握手以上に、ネットを介した個人間の情報共有だったと考える方がきっと近い。

そして今回東京・小金井で発生した事件を振り返れば、被害者も加害者も、ブログとtwitterを利用していました。
加害者がシンガーソングライターである被害者宛のメッセージを送信し、情報を取得し、一方的に感情を募らせていったのも、ブログやtwitterでした。
この問題の本質はアイドル文化が孕んでいるリスク以上に、インターネットで自己発信を行っている人なら誰にでも生じうるリスクだったのではないでしょうか。
しかしそれを単なる「アイドルとファン」の言葉に押し込めるのは、関係性の誤認を広めているだけでなく、同じくSNS時代に浸かっているはずの個人ユーザーから”危険な距離感”の察知能力を奪いかねない。

インタビュアー&書評家・吉田豪さんのツイート

音楽ライター・南波一海さんのツイート


このような事件が二度と起こらないようにするためにも、この事件に潜んでいた問題点が本質から遠ざかることなく、しっかり議論されていく事を祈ります。


<後日追加>
ja.wikipedia.org
www.newsweekjapan.jp

*1:2011年07月26日「週刊アスキー」より / http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/050/50455/

*2:ドラマ内のアイドルユニット「潮騒のメモリーズ」「GMT5」として楽曲が音源化、後にその名義で紅白歌合戦に出場

*3:2015年10月更新 / 「9月は初めての弾き語りのライヴをして、そのあと9月の終わりから10月の最初はミュージカルのお稽古と本番、そして昨日のインプロ。ほんとうによかったって、全部やめなくてよかったって思うことがたくさんです」http://ameblo.jp/mayu-tomita-blog/entry-12083084645.html

*4:2005年5月18日「国内のBlog利用者は約335万人、アクティブは約95万人と総務省発表」http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0505/18/news044.html

*5:2005~2006年頃にはてなダイアリーでモーニング娘。のファンブログを運営していた

*6:1日200回更新の挑戦企画による記録

「色んなことばに触れる前に」 #SMAP

【SMAPあいさつ全文】キムタク「何があってもただ前を見て」― スポニチ Sponichi Annex 芸能

http://www.flickr.com/photos/7471115@N08/3810416462
photo by Mr.TinDC


放送されたスマスマを見て、報道もSNSも何にも目を通さず、今これを書き始めました。
これから色んなことばに触れる前に、最初の自分は何を考えていたのかをそのまま残しておきたかったからです。


「SMAP解散」という一報があった日は、正直何も状況がわからず、すごく不安で涙が出ました。
それからも基本的には毎日泣いていました。
何をやっていてもふとした時に感情がこぼれてきて、わっとこみあげてしまうものがありました。
だけど生放送が始まった瞬間から、これを書いている今も、涙は湧いてきません。
自分でもビックリするくらい普通に、SMAPのその言葉を私はただただ、テレビの前で静かに聞いていました。


この一週間、今回の件のこと、そしてSMAPのことを、何回も繰り返し繰り返し考えました。
SMAPの選ぶ道が常に正解であってほしい、でもだからといって、今回の件を美しい言葉で飾るのもたぶん違います。
さんまさんが言っていた「どっちも正しい」ということばの意味が最終的に今日の放送ではっきりわかりました。
好きな自分がこう表現するのは苦しいです、でも今日のSMAPは、今まで見た中で一番見ていられないSMAPだった。
例え誰かが譲れない何かを、守るために選んだ行動の結果だったとしても。


その上でもう少しだけ、書かせてください。


今回の件があってから今日まで、改めてSMAPの曲を沢山聴きました。
やっぱり涙が出ました。
それは、彼らが歌う世界には、一つも悲しいことばがなかったからです。

私はアイドルという人たちが好きです。
一番好きな理由は、アイドルは、人を肯定する。
彼ら彼女らの笑顔は、どんな時も求める人を孤独にしない。

私という人間の弱さをいつも笑顔で肯定し続けてくれた人たちこそ、今日画面の向こうで立っていたアイドルグループ、SMAPでした。


好きな気持ちで擁護するつもりもありません。
今回の件は迷惑に感じた人嫌悪感を抱いた人も相当いるだろうし、夜が明けたらさらに色んなことばでこれからSMAPは語られていきます。
粛々と、それをただ受け取っていくだけです。

でも、ことばを聞く前から、やっぱり決めていたんです。
悲しみや悔しさや怒りとともに、アイドルで、憧れで、家族で、先輩で、ずっとずっと欲しかった友達で…
私の孤独や苦しみをずっと支えてくれた一番近くて遠くて大好きな人たちを、私は否定しない。


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「2015年の紅白歌合戦における香取慎吾さんが珍しかった件」


「SMAP中居正広とモーニング娘。が持っていた”恥をかく勇気”」

2015年10月9日放送のTBS「中居正広のキンスマスペシャル」にて、司会のSMAP・中居正広さんが、ゲスト出演していたモーニング娘。1期メンバー・安倍なつみさんにこう話しかけるシーンがありました。

中居「なっちはあれだよね、クラシックとかやられてるんですね」
安倍「ポップスとは違う歌をどんどん作品の中で歌うようになって、色んな歌唱法を学んで、今の歌唱法がある」
中居「しんどくなかった?」
安倍「うーん…大変なこともいっぱいありました、だけど、地道にこつこつと…」

中居さんが言及したのは、彼女が今取り組んでいる”クラシカル・クロスオーヴァー”の音楽活動について。
グループ卒業後、舞台出演を機に新たな歌唱法を取得した安倍さんは、かつて故・本田美奈子.さんの作品を手がけた音楽プロデューサーにその才能を見出され、それまでとは全く違う新しいステージで挑戦を続けています。

【オリコン】安倍なつみ、クラシック部門1位「全身全霊で挑みました」 | ORICON NEWS

中居さんは続けます。

中居「僕わかんないですけども、アイドルって”ぱんっ”て10代からでてきてしまうと、んでそこでトップになっちゃったり天下とったりすると、次どっか違う環境に行くときに、やっぱりアウェイになるわけじゃないですか。アウェイに行くってことはやっぱり恥かかなきゃいけないんですよ。」
中居「あの勇気って僕は凄いなって思います。」

中居正広の芸能論とモーニング娘。の18年

話は少し遡って、2014年6月。
翌月に「SMAP×FNS 27時間テレビ」の放送が控えていた中、中居さんはテレビ誌のインタビューでそれまでの27年間を振り返りながら、自身がリーダーを勤めるSMAPについて、こんなことを語っていました。

今回5人で初めてやる『27時間テレビ―』もそうだけど、”初めてのことをやる勇気”を、いつまでも持つグループでありたいんです

SMAPって、小さいころから恥をかいてきたんです

週刊テレビジョン 2014 No.27 / 中居正広

「初めてのことをやる勇気」。それを彼は直後に「恥をかく勇気」とも言い換えます。
ジャニーズアイドルの歴史の中で初めてデビュー1位を逃すという、これ以上ない挫折から始まった彼らは、そこから恥を恐れずにチャレンジし続けることで、やっとトップに登りつめることができました。
そしてその勇気こそが、結成28年目のアイドルグループSMAPを今でも支え続ける力になっている。

news.livedoor.com
www.sanspo.com

そして「恥をかく勇気」。
2015年のSMAP中居さんの口からその称賛がモー娘。OGの安倍さんに向けられた時、私はもう1つ、ある人のコメントも思い出していました。

誰かが抜けると、まぁ、一瞬はガクッとへこむんですけど。その部分を埋めていく過程で、また誰かがグッと伸びる。そうやってモーニング娘。は変わってきたから

モーニング娘。×つんく♂ / ソニーマガジンズ / 2002年

初期メンバーによる1997年のグループ結成から総合プロデューサーとして17年間モーニング娘。を見守り、現在も変わらず現役生のサウンドプロデュースを手がけているつんく♂さん。
思えばモーニング娘。というグループを作り上げた卒業・加入の歴史はその全てが「初めてのことをやってきた勇気」、「恥をかく勇気」を積み上げてきた歴史だったのではないでしょうか?

モーニング娘。は1期メンバー(1997年加入)から最新の12期メンバー(2014年加入)まで全員がオーディションによって選ばれている言わば”挑戦者”の集合体であり、その中で1期メンバーは一から未経験の世界でグループを作り上げるという「恥」を、そして2期メンバー以降の後輩たちはすでに出来上がった有名グループの中に未経験で飛び込んでいくという「恥」を、それぞれ一生懸命にかいてきました。


www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

決してモーニング娘。の歩みも順風満帆ではなく、ブームの収束後は常に「消えた」と囁かれたり、大きい会場でコンサートができなくなっていた時代もありました。
しかしそこで解散せずに=諦めずに新しい魅せ方、進化を常に探し続けていく"勇気”をずっと持ち続けたからこそ、やがてモーニング娘。はもう一度再評価のチャンスを掴み、もう一度日本武道館や横浜アリーナでのコンサートができるようになっていったのです。

www.barks.jp
natalie.mu

日本の女性アイドルグループの中で前例のなかった”永続的な卒業・加入”システムによって、モーニング娘。は所属してきたOG+現役全員が、今も自ずとSMAP中居正広の芸能論「恥をかく勇気」を実践している。そしてその強さと輝きを、全員が身をもって知っている。

僕たちも、もしかしたら楽をしようと思えば、できるのかもしれない。でも、楽をしないようにしようって心掛けてます。

だからこそ、いまだにずっと恥をかいてもいいような器を持ってるグループなのかなと思います

週刊テレビジョン 2014 No.27 / 中居正広


SMAPが結成28年、モーニング娘。が結成18年、どちらもいまだ歩みを止めることなく、第一線でアイドルのエンターテイメントを追及し続けている。
そしてステージを降りた後も、その勇気を糧に新しい世界で一から恥をかき、努力を続けている仲間がいる。

尊い偶然だなと、私は思います。


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SMAP 25 YEARS (通常仕様)

SMAP 25 YEARS (通常仕様)

  • アーティスト:SMAP
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「SMAPはMステの出演時に歌の中で何回”ターン”をしてきたのか?(記録メモ)」

「SMAPはMステの出演時に歌の中で何回”ターン”をしてきたのか?(記録メモ)」

ソース:2015年9月11日放送のテレビ朝日系「ミュージックステーション」(集計対象:1991年~2015年9月までのMステ歌披露・計124回)

http://www.flickr.com/photos/87305017@N00/4738743895
photo by EadaoinFlynn

91年9月「Can't Stop!! -LOVING-」 中居3回 木村3回 稲垣2回 草なぎ2回 香取2回 合計12回

(記念すべきデビュー回。ちなみにトークで中居くんは「移動が車になったんですよ」と嬉しそうに話していた)

91年9月「Can't Stop!! -LOVING-」 中居7回 木村9回 稲垣6回 草なぎ8回 香取7回 合計37回

(±最大3回。すでに草なぎのターン回数が中居を追い抜く)

91年11月「正義の味方はあてにならない」 中居14回 木村17回 稲垣11回 草なぎ15回 香取13回 合計70回

(±最大6回。稲垣~木村間のターン回数が大分開き始める)

92年11月「笑顔のゲンキ」 中居33回 木村40回 稲垣31回 草なぎ37回 香取35回 合計176回

(±最大9回。映像ではSMAPに交じって当時Jrだった現V6の長野博も華麗な3ターン)

92年12月「雪が降ってきた」 中居38回 木村46回 稲垣36回 草なぎ43回 香取40回 合計203回

93年1月「雪が降ってきた」 中居46回 木村52回 稲垣43回 草なぎ49回 香取46回 合計236回

93年1月「雪が降ってきた」 中居53回 木村60回 稲垣50回 草なぎ56回 香取54回 合計273回

(±最大9~10回。この曲で中居が猛追してるのはバスケットボールをしながら歌うという自由度の高い振付の影響か?)

93年2月「ずっと忘れない」 中居58回 木村72回 稲垣56回 草なぎ62回 香取60回 合計308回

93年3月「ずっと忘れない」 中居61回 木村76回 稲垣59回 草なぎ66回 香取65回 合計327回

(±最大16~17回。最多の木村から遅れること約1か月、ついに稲垣”56”回達成)

94年4月「Hey Hey おおきに毎度あり」 中居112回 木村137回 稲垣106回 草なぎ124回 香取114回 合計593回

(±最大31回。VTR中のナレーション曰く、間奏でフォーメーションの円形移動と個別ターンが重なる部分のカウント集計がかなり大変だったとのこと)

94年7月「オリジナル スマイル」 中居131回 木村166回 稲垣147回 草なぎ159回 香取136回 合計739回

(±最大35回。ここで一度稲垣が中居&香取を一気に追い抜き、SMAP内ターンランキング第3位に浮上)

94年10月「がんばりましょう」 中居159回 木村207回 稲垣165回 草なぎ196回 香取163回 合計890回

(±最大48回。同曲は間奏の3-3円陣で上位2人のターンが特にはかどったはずです。稲垣は引き続き3位をキープ)

94年10月「がんばりましょうを含むメドレー」 中居163回 木村210回 稲垣167回 草なぎ199回 香取167回 合計906回

(±最大47回。多分1回前の出演と思われる↑に比べここで香取が稲垣の2倍ターンしているのは、この回では同時期に行われていたコンサートツアー「SEXY SIX SHOW」内のソロダンスがそのまま披露されており、その部分で稲垣のターンは2回なのに対し香取のターンは4回あったのがきっとでかい(※ライブverと同じなら、香取はターンしながら中央に出てくるダンスだった)

94年12月「たぶんオーライ」 中居177回 木村222回 稲垣176回 草なぎ205回 香取179回 合計959回

(±最大46回。ここ数か月分はメンバーが均等にターン回数を重ね、気が付けば稲垣がまた5位に)

95年1月「がんばりましょう」 中居184回 木村229回 稲垣184回 草なぎ211回 香取183回 合計991回

(±最大46回。…と思ったら実は動きに省エネ傾向がある香取がいつのまにか5位に(※ただし中居稲垣香取の回数差はわずか1))

95年2月「たぶんオーライ」 中居186回 木村230回 稲垣186回 草なぎ213回 香取185回 合計1000回

(±最大45回。ここで草なぎがSMAPにとってMステ1000回目のターンをソロで決める(イントロ部分))

97年12月 「Peace!」 中居284回 木村332回 稲垣283回 草なぎ315回 香取286回 合計1500回

(±最大49回。続いて木村がSMAPにとってMステ1500回目のターンをソロ2回転でキメる。この流れさすがSMAPターン2TOP)

06年5月 「Dear WOMAN」 中居383回 木村429回 稲垣380回 草なぎ423回 香取385回 合計2000回

(±最大49回。そして曲中の5人のターンで仲良く2000回達成)

14年9月 「Otherside」 中居454回 木村487回 稲垣457回 草なぎ493回 香取452回 合計2343回

(±最大41回。計124回の出演内ターン、この時点までの集計結果は最後の最後に草なぎが木村を抜いて第1位に!)

思ったこと

木村草なぎのターン回数がずっと飛び抜けているのは、中居香取が細かな動作で魅せるタイプなのに対し、この2人は基本的に昔からターンの美しさで魅せるタイプ、個人のクセとして備わっているのも大きいと思います(フリーダンスでもよくターンを取り入れてる印象がこの2人)。
常に素早い動きで踊っていた印象の中居(青年期)が意外にターン数を稼いでいないのはダンスの特色の違い、中居(壮年期)は体力問題。
香取もダンスの系統がやや違うのと、彼は最小の燃費で最大を表現するのがとても上手いというところもあり、あまり気張ったターンはしてこなかったタイプ。
そして稲垣はちゃんとターン回数を重ねてきていたことをむしろ評価したい絶対最下位だと思ってましたごめんなさい。
(ちなみに森くんは回る直前に首肩に少し力が入るクセがあり、基本的にいつもきっちり真面目なターンをしていた人でした)


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「”5人の仲間”とともに。V6・岡田准一がアイドルであり続けることの誇り」

2015年8月22~23日に日本テレビ系列で放送された24時間テレビ。
番組の中で、メインパーソナリティを務めたV6・岡田准一さんのこんな印象的な言葉がありました。

「僕が役を演じることで、僕が5人の仲間と歌うことで、その仕事は誰かの心に届いているでしょうか?」

 (岡田准一 / 日本テレビ「24時間テレビ」 / 2015.8.23)


これは岡田さんが2014年に亡くなった俳優・高倉健さんに向けて書いた手紙の一節。


http://www.flickr.com/photos/84713287@N00/3469305764
photo by LucasTheExperience


近年は俳優としての活躍が目覚ましい岡田さん。2014年にNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で初の主演に選ばれ、そして2015年には第38回・日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞も受賞するなど、日本を代表する俳優としてその名が挙げられることもかなり増えてきています。
実は成長とともに役者業にも目覚めていく中で、”アイドル”という自分の肩書に戸惑いを感じる時期もあったことを過去に告白している岡田さん。
しかし時が経ち、彼はかつて自分を気にかけ、人づてに自分へのメッセージも託してくれたという天国の高倉さんに向け、その足跡を辿る旅で得た発見も元に、こんな自身の思いを伝えていました。

「健さんによって思いを繋がれた、沢山の人たちに会う事ができました。その方々は、様々な境遇、様々な仕事を持った人たち…そして知りました。」
「どんな仕事でも、どんな使命でも、そこに人を思う心があればその仕事は誰かの心に必ず届く」

 (岡田准一 / 日本テレビ「24時間テレビ」 / 2015.8.23)


「アイドルであることに誇りを持ってくれ」20年の葛藤とそこで得た”強さ”

2015年に発売された雑誌のインタビューの中で、岡田さんは自身が所属し今年がデビュー20周年となるアイドルグループ「V6」との歩みを振り返り、こんな話を打ち明けています。

「メンバーから”アイドルであることに誇りを持ってくれ”と言われたこともありました」

 (岡田准一 / anan / 2015年8/5号)

後に明かされたそのメンバーとは、三宅健さん。
V6結成時はまだ14歳、それからの20年の中ではグループに対しての”反抗期”もあったという岡田さん。
事務所に入って1年も経たないうちにデビューが決まり、何もわからないままにスタートしたグループ最年少の彼の成長を誰よりも近くで見守ってきたのもまた、グループの仲間たちでした。

「(デビューから今までの中で一番変化したなと思うメンバーは)やっぱり岡田じゃないですかね。変化というか何も知らないところから入って、吸収力が凄かった」

 (坂本昌行 / 日本テレビ「LIVE MONSTER」 / 2014.10.19)

「あれだけ主演張っててさ、大河もそうだしさ、映画もそうだしさ、大きい作品がきてさ、全部乗っかるわけじゃん。全部数字(視聴率)とかも言われるわけじゃない。すごいプレッシャーだよね」

 (長野博 / NHK「SONGS V6~僕らが歩んだ20年~」 / 2015.8.1)


24時間テレビで岡田さんが手紙を読む前、番組のVTRでは、生前の高倉健さんが岡田さんを「最近気骨のある俳優が出てきて嬉しい」と評していたことが明かされます。
思いがけずその事実を知り、目を潤ませる岡田さん。
しかし彼がその言葉に出会えたのも、やはり沢山の人の支えがあってこそでした。
家族、スタッフ、観客、一人一人が大切に演者へ繋ぎ、注ぎ込んできたその思い、

そして俳優・岡田准一の人生にとっては、かつての名優たちもそうであったように、肩書こそ違えど確かに”仲間と歩んできた時間”もまた、存在していたのです。

「(日本アカデミー賞の)この場所に立てる岡田というのは誇りに思います」

 (井ノ原快彦 / 第38回日本アカデミー賞の受賞が決まった岡田准一へ送ったメール / 2015.2.27)

「俺はね、想像できないから、その岡田が背負ってるものとか…だから大変だなと思うけど、こうやって集まってるときくらいは、何も考えずに笑っててほしい」

 (森田剛 / NHK「SONGS V6~僕らが歩んだ20年~」 / 2015.8.1)

「小さい頃から母親に「あなたは男だからこれから家族を作っていくんだ」ってすごい言われて、(14歳で上京して)メンバーに会って2年3年ぐらいは、坂本くん”お父さん”で、長野くん”お母さん”とか、なんかずっと家族とダブらせて、「あぁこれが東京に来て新しく作る家族なのかな」みたいな…感覚があったんだけど、途中からやっぱ「それは違うんだ」って自分で思い始めました。

 V6っていうのはやっぱり…変な言い方をしたら他人です。やっぱり何かを生みだしたり作っていかなきゃいけない。

 でも何かで”死ぬ時に自分の名前を5人覚えてくれてたらそれだけで生きてきた価値がある”っていう本を読んで、「もしかしたら俺ってもう”5人”いるんじゃないかな」

 僕にとってはメンバーだったりV6っていうのは、大切で大きい存在です」

 (岡田准一 / TBS「学校へ行こう!MAX」 / 2005.11.1)


第38回・日本アカデミー賞の受賞スピーチで、岡田さんは第1回の受賞者でもある高倉健さんについて「人が人を思うことの大切さを伝えてくれた」と話しています。
「人が人を思うことの大切さ」。その意味が肩書ではなくその人の在り方に存在しているものだとすれば、岡田准一の生き方が伝えるべき使命は「役を演じること」、そして「仲間とともに歩み続けること」

だからこそ岡田さんは手紙を通じ改めて自分の生き方を、託され次に伝えるべきその”心”を、高倉さんに報告したのではないでしょうか。

高倉さんに「勉強して来なさい」と託された昭和の名優・志村喬さんの役者としての在り方にも触れる中で、岡田さんはふと、こうもつぶやいていました。

 「本当に強い人は、優しい」

 (岡田准一 / 日本テレビ「24時間テレビ」 / 2015.8.23)


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オカダのはなし

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「After SMAP ~SMAPがジャニーズを変えた3つのターニングポイント~」

「After SMAPで時代が変わりすぎ。
そう、スマ暦とは、SMAPがデビューしてから始まった新しいジャニーズの暦のことでした。勝手に作りました。」
(「西暦2014年、スマ暦24年」/over and over)

いつも読ませていただいているジャニーズファンのさささんのこちらの更新を、個人的にすごく興味深く読ませていただいたのですが、ジャニーズの歴史を追っていく中で最後に
「なんだかとりとめのない話になってしまいましたが、じゃあSMAPがどうやって変えてくれたのか?」
「SMAP陣営が意図してグループを「長生き」させようとしていたのか? それとも時代がそうさせたのか? あるいは…? 」
という問いかけがあり。

そこを読んでいて、それの返答というわけではないんですが
ちょうど27時間テレビを中心に、グループに関する色んなコメントが発信されまくったこの2014年…
その一つの句読点として、自分が収集してきたSMAP本人たちの発信をちょっと整理してみたいなーとふと思い立ちました。
(以下敬称略)

After SMAP ~SMAPがジャニーズを変えた3つのターニングポイント~

1・アイドル冬の時代に芽生えた『自覚』

こちらは女性アイドルを軸としているnaubootlegさんのtumblrからなのですが、(こちらも私すごく好きなブログです)、まずアイドル冬の時代に関して、こちらの記事を引用させていただきます。

「アイドル」を「10代の著名な歌手」と規定する。

wikipediaを参照すれば1988年には、まだ「年間売上金額TOP10」に光GENJI、中山美穂、南野陽子、中森明菜が入っているが、この中では中森、南野は既に10代ではないので、ここでの基準からすれば2組となる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1988%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD
この基準で言えば89年は工藤静香、光GENJI、Wink(相田翔子がまだ10代)の3組で、まだ少なくはない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1989%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD
これが90年になると工藤とWinkが2人とも20代になるので0組になる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1990%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD
そして91年には「元アイドル」としても小泉今日子のみ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1991%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD
92年には「元アイドル」も姿を消すことになる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1992%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD

1995年にはSMAPが「年間売上金額TOP10」に入ってくる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1995%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD
(「「アイドル冬の時代」とは何だったのか」/naubootleg)

オリコンの年間売上TOP10から10代のアイドルが消えていた1990年~1994年を「アイドル冬の時代」とすると、その間にデビューしたジャニーズグループは忍者(1990年)、SMAP(1991年)、TOKIO(1994年)の3組。
その中でも忍者はデビュー前の88年からすでに『少年御三家』として光GENJIや男闘呼組と同列の芸能活動を行えていた事*1
またTOKIOのデビュー時は同年にSMAPが初のオリコン1位を獲得するなど、アイドルジャンルにもだいぶ復活の兆しが見えていたという事情を踏まえると、
少なくともこの3組の中で時代の逆風を一番被ったのは、やっぱりSMAPだったのではないかと思われます。

デビュー曲『Can't Stop!! -LOVING-』がオリコン1位を取れず、ジャニー喜多川氏に怒られたというエピソードはもはや超有名ですが、じゃあこのアイドル冬の時代にSMAP自身が何を見たのかというと、それは「アイドル」という生き方の残酷なまでの現実。
そこから、全ては始まりました。

「最初は勘違いをしていた」
(木村拓哉 / 「Bananavi!」2014 Vol.001)

「エンターテイメントに、僕らSMAP何ができるんだって言っても、とても微力と言えば微力なんですよ、何もできないんです」
(香取慎吾 / NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」(2011))

「安心感なんてないです」
(稲垣吾郎 / 「週刊SPA」2014.7.22/29 合併号)

「アイドルだから、”SMAPの中居”だから司会をやらせてもらえてるんじゃないかなと思ってます」
(中居正広 / 「Bananavi!」2014 Vol.001)

「(デビュー曲で1位を取れず)社長から『前代未聞だよ』って怒られましたね。それが最初の挫折です」
(草なぎ剛 / 「Bananavi!」2014 Vol.001)

<2015.1 追記>

「(SMAPは)踊れる子たちから見れば、踊れません」
(メリー喜多川 / 「週刊文春」2015年1月29日号)

2・アイドルグループの武器が『リアル』になったその理由

「当時のジャニーズに司会業をやっている人がいなかったので」*2
「SMAPというグループとして、そういう人間がいるのも絶対プラスになる」*3
という考えの元、司会という道筋を定めたと話している中居正広ですが、
27時間テレビを直前に控えたインタビューでは、自らの司会経験も踏まえながら当日の見所をこのようにイメージしています。

「メンバーには楽しく、素直に感情を出してもらって。それがSMAPの一番いい形だと思うので、ありのままのリアルなSMAPを見てもらいたい」
(中居正広 / 「Bananavi!」2014 Vok.001)

中居正広がSMAPの一番いい形だと考えるこの『リアル』、
実はこれはリーダー1人だけではなく、年長メンバーとして現在も共にグループを牽引している木村拓哉も同じ見解を示しているのです。

「偶像を作り上げてるんじゃなくて、常にその時のリアルを見せてる」
(木村拓哉 / 「月刊TVnavi」2015年1月号)

「当時のジャニーズに司会業をやっている人がいなかった~」というくだり、実際にはデビュー前のSMAPもレギュラー出演していた「アイドル共和国」の時点で、光GENJIの年長メンバーであった内海光司が、グループ在籍中に同番組の司会を務めています。

同じインタビューで「17歳前後で、まずメンバーの中で一番仕切れるようになろうと思いました」というコメントもあるのですが、中居正広の17歳前後はちょうどアイドル共和国に出演していた”1989年前後”でもあり、
まずここで、中居はアイドルグループのメンバーの司会という立ち回りを実際に見ていること。

その上で、初登場2位という”前代未聞”のデビューを飾った冬の時代のアイドルグループが生き残っていくためには歌でもなく、お芝居でもない、
バラエティという『リアル』を通じて知ってもらう方法しか残されていなかった。
SMAP以前のジャニーズが自分たちのことを操り人形と例えていたならば、アイドル冬の時代にデビューしたSMAPにはそもそも操り人形になれる選択肢がなかったという決定的な違いがあり、
それがSMAP、特に年長2TOPの共通見解として「アイドルグループSMAPの武器はリアルであること」になっていった。
そして同時にアイドル中居正広の目標も、”自ら究極のリアルを探し伝える”、司会者へと定まっていく。

「SMAPというグループとして、そういう人間がいるのも絶対プラスになる」

…そしてこの話はまだもうちょっと続きがあって、SMAPが『リアル』で生き残っていったタイミングというのは、ちょうどバブル崩壊とも重なっているんですよね。
(バブル崩壊の始まりと言われる景気後退開始が1991年3月、SMAPのCDデビューは1991年9月)

バブル、いわば偶像の崩壊と共に若者の価値観も大きく変化していったこの時期に、
例え偶然だったとしても、リアル路線へと舵を切っていった選択は結果的に大正解だったわけで
後にその変化をもたらした不況ムードが失われた20年という言葉が生まれるほど長引いたという現実は、実際にバブル崩壊後の世代である1983年生まれの自分の肌感覚で考えても
”リアルアイドル”SMAPのブレイクに続いた以後のジャニーズタレントの活動、そしてジャニーズ自体の人気の継続にも、大きく関わってた…ような気がする*4

3・歴史まで変えたSMAPの『前例』

ちょっと前のくだりが長くなってしまいましたが…これが最後の3つめ。
2013年のいわゆる「スマスマ5人旅」あたりでいよいよ広く知れ渡ってきた感じがありますが、SMAPの根幹にあるのは、特にリーダーを中心としてずっと貫かれている「グループへの愛情」です。

「今大切なのは、何よりもSMAPだから、6人で大きくなる事が第一の望み」
(中居正広 / 「ポポロ」1994.4月号)

「5人でいればなんとかなるだろうと思えるし、どうなるか分からないものに対しても立ち向かうことができる」
(中居正広 / 「週刊ザテレビジョン」2014 No.49)

すでに30年近く抱き続けているメンバーのグループへの思い入れが1つだけ<After SMAP>という歴史を作ったとしたら、それは「脱退でグループを終わらせなかった」、という事だったのかもしれません。

というのは、史実を振り返ると、SMAPの結成メンバー6人が事務所に入った1987年時点ですでに所属していた先輩ジャニーズは近藤真彦と少年隊を除き、後に全員が脱退や解散(活動休止)の道を選んでいます。
この決断のタイミングがさささんのブログにもでてくる”年齢制限”というワードと関係あるのかは、はっきりとはわかりません。
ただ少なくとも一つ確実なのは、SMAPにとって一番直近の先輩でもあった光GENJIと忍者は、それぞれメンバーの脱退から1年後にグループ解散の道を歩んでいたということです。

ですがご存知の通り、言ってしまえばジャニーズグループの伝統でもあった「方向性の違い」が自分たちに訪れた時も、SMAPは解散しなかった。
30代までに数回あったというその危機をなぜSMAPは思いとどまってきたのか、その理由自体はまだはっきりわかりませんが、
結果的に脱退者が出てもグループは存続できるという前例を、ジャニーズ事務所において「SMAPがこれ以上ないレベルではっきりと作ってしまったこと」が、
その後の後輩ジャニーズと世間の”脱退”の受け止め方に大きな影響をもたらしているのは、まぁ間違いないような気がします。

スマスマの5人旅見たよ。カラオケで最後にベストフレンド歌って、泣いてくれてありがとう
(森且行 / 「27時間テレビ」(2014年))

* * * * * *

というわけでなんだか触発されて、ここまで色々と楽しく書いてきましたが
ここで最後にはっきりと書いておきたいのは、「これが決して、アイドルグループ・SMAPの全てではない」ということで。

期せずしてSMAPの動向を追うようになって、メンバーより最大11歳年下の私でももうすぐ20年になりますけど、
いまだに新証言は出るわ、歴史は塗り替えられていくわで、たぶんこの先も…
当分SMAPの全てを私たちが理解するのは到底不可能だと思います!
特にリーダーの中居正広さんに関しては最近のインタビューでもすでに「来年も時間かけて準備して何かやりたい」とか「SMAP30周年を機に何をするのか考えなくてはいけない」とか言い始めているので、もはや公式コメントレベルでもご本人がどんな未来を描いて動いているのか、わかるわけがない!

…あ、でも最近買ったMr.SツアーのライブDVD(BD)の特典映像にある、「10年前の自分に一言」という問いへの中居さんの答えは、ちょっと意外で興味深かったです。
テレビや雑誌では絶対に言わないであろう、アイドルにとってホームは”ファン”であるからこその選んだ言葉かなとも思いました。
気になる方は、ぜひ現物で!

関連リンク
「西暦2014年、スマ暦24年」(over and over)
「SMAPという時代」(ねぼけまなこ)


<STORE>

*1:ちなみに1988年当時、光GENJIは『パラダイス銀河』、男闘呼組は『DAYBREAK』が大ヒットしていました

*2:「Bananavi!」2014 Vol.001

*3:「Bananavi!」2014 Vol.001

*4:今回はジャニーズがメインテーマなのでそれ以外のアイドルについては触れませんでしたが、長引いた不況と”リアルアイドル”については、女性アイドルの方でも結構関係性が強かったんじゃないかなと書き終わってから思いました

「モーニング娘。OGとナインティナインが映した、矢口真里へのメッセージ」

正直、グッときました。
何がって、12月12日に「バナナマンの決断は金曜日!」(フジテレビ系)の中で放送された、あの人に関するモーニング娘。OGの会話です。

加入後もしばらくはメンバーに弱い部分を見せられず、裏で一人落ち込んでいた保田圭が、
矢口真里に「うちら仲間なんだから、一緒に頑張ろうよ」と声をかけられたことですごく励まされたという話の流れから
モーニング娘。の初代リーダーでもある中澤裕子が自ら、矢口真里の話題を切りだしました。

中澤「矢口は…色々あった。でも、私たちから(縁が)切れる人じゃないからね」

そこで同じくグループの結成メンバーである安倍なつみもさりげなく、
でもはっきりと、こう断言するのです。

安倍「うん、仲間だしね」

そして1期生の2人の会話は、さらにこう続きます。

中澤「だから… 今ある現状は彼女が自分で、ちゃんとクリアしていかなきゃいけないことで、私たちができることって本当に限られてるし」

安倍「(ミヤネ屋の生出演を)わたし家で見ててさ、なんか泣いたね」「あんなに緊張してるあの子を見るのはさ、初めてだったし」
  「あとは…ね。頑張っていくしかないね」


放送時間にすれば1分にも満たなかったこのやりとりが、今でも何気に私の心をしっかり掴んでいるのは、2013年5月以降の矢口真里に関するテレビ放送で、一番まともなやりとりを見た気がしたからかもしれません。

確かに矢口真里の引き起こした”修羅場”は、色々言われても仕方ない行動です。
ただ人んちの不倫が当事者間ですでに離婚という形の決着がついてしまってる以上、
鬼の首を取ったように「反省が見られない」「都合が良すぎる」という第三者の感想がずーっと発信され続けるのも、
それはそれでどうなんだろう、とふと思ってしまったりもするわけです。

その中で過剰に庇うわけでもなく、かといって切り捨てるわけでもない、
それぞれが自分たちの考え・言葉で復帰した彼女にさりげないエールを送ることを選んだその姿こそ、
本当はテレビから伝わるべき、大きな意味のある情報だったのではないでしょうか。

そしてもうひとつ、

その2日前にバラエティーという切り口で矢口を取り上げていた「めちゃ×2ユルんでるッ!」も、私はすごく愛と、そして意味のあるものだったと思います。

君が転んでしまったことに興味はない。
そこからどう立ち上がるかに興味があるのだ
(めちゃユルの最後に映し出された、エイブラハム・リンカーンの言葉)

www.youtube.com

モー娘。もナイナイも、決して彼女のやった事を正当化したかったわけじゃない。

ここで私たちが一番視るべきだったのは、両者が同じようにASAYANから彼女を見てきた”仲間”であった、というお話です。


<STORE>

「SMAP×27時間テレビは紛れもなく「あの頃の未来」だった」

すみません。今日は本当にただただ私的な文章を書きます。


実は森くんの脱退会見が行われるちょうど1か月前、12歳の私は、SMAPのコンサートを見に行っていました。
その時行われていた「Smap Spring Concert 1996」。
このコンサートツアーではMC内に質問コーナーがありました。
指名された客席のファンがマイクでSMAPに直接質問ができる、そのような内容の企画でした。

1996年4月、私の行っていた北海道公演の質問コーナーで、指名されたファンはステージのSMAPに突然こんな質問を投げかけました。

「森くんがSMAP辞めるって本当ですか?」


当時子供だった私は知らなかったのですが、3月末の時点ですでに一部では森くんのオートレーサー受験報道があり、それをうけてファンは質問したようでした。
そして同じように噂を耳にしていたファンも多かったらしく、質問が出た瞬間、会場全体が少しざわつきました。

次の瞬間、SMAPはとっさに口を開きました。

「こういう場だから、違う質問にしましょう」


冗談ぽく、あくまでも穏やかに、違う質問を促したステージのSMAP。
その2か月後、ファンに何も言えないまま、見せられないまま、テレビから6人組のアイドルグループSMAPは姿を消しました。

…それから18年後、30歳になった私は、テレビを通じてあの時ステージのSMAPが何を思っていたのかを、やっと初めて知りました。

「森くんが辞めるっていった時に中居くんが僕に「解散しようか」って言ったのが(SMAPの解散を考えた)1回目です」

(2014.7.27 / 27時間テレビ / 香取慎吾)


「SMAP森且行」が最後に送ったこの言葉を、グループは今までずっと、背負って走り続けてきました。

「ずっと一番でいて欲しいね。絶対に。」

(1996.5.29 / TK MUSIC CLAMP / 森且行)


テレビから生まれ、テレビと共に育ってきたSMAP。
時代が変わったと言われる現代、それでも彼らが全国民の視線を背負ったのは、「彼ら自身にテレビの力を信じ続ける理由があった」からなのだと思います。
そして違う道を選んだ森且行にもやはり、その力を信じ続ける理由がありました。

「SMAPのメンバーであったということを常に誇りに思っててください」

(1996.5.29 / TK MUSIC CLAMP / 中居正広)


18年の月日を経て、2014年のSMAPが限界を越えた先に最後にテレビで映したものは、
あの日テレビから突然消えてしまった、6人のアイドルグループSMAPの未来でした。


* * * * * *


2014年、グループ解散をテーマにしたドラマの中で、18年後の香取慎吾はふとこうつぶやいています。

SMAPじゃなくなったら僕は誰になるんだろう


あの時テレビを見ていた誰もがきっと答えることのできなかった、SMAPという人生の問い。
その問いに答えられるのは、過去も今もそしてこれからも、やはりこの世界でSMAPしかいないのだと、18年の月日を重ねて今回はっきり感じる事ができました。

「SMAPは、SMAPじゃなくなったら一体誰になるんだろう」

「SMAP。僕の友達は5人以外にいません」

(2014.7.27 / 27時間テレビ / 森且行)


関連記事
「武器はテレビ: 2014年のSMAPが選んだ挑戦の27時間」
「笑っていいともの終了発表に、中居正広がいた意味」
「テレビを背負うSMAPの覚悟」

<STORE>

「武器はテレビ:2014年のSMAPが選んだ挑戦の27時間」

いよいよ放送1日前ということで、これまでに出されたSMAPの色んなコメントの中から、
27時間テレビに関するものを厳選してまとめてみました。

中居正広

「僕のほうが経験あるからとかは関係ない」
(週刊ザテレビジョン 2014 No.27)

「メンバーには楽しく、素直に感情を出してもらって。それがSMAPの一番いい形だと思うので」
(Bananavi! 2014 vol.001)

木村拓哉

「非常に実験に近い」
(月刊TVガイド 2014.8月号)

「「当たって砕けろ」精神。CM中に砕けた自分を拾い集めます」
(月刊TVnavi 2014.8月号)

稲垣吾郎

「2日目の午後あたりの自分が全く想像できなくて不安」
(月刊TVnavi 2014.8月号)

「結成27年目でもこういうイレギュラーな状況に置かれると未だに新しい関係性を発見する」
(月刊TVnavi 2014.8月号)

草なぎ剛

「僕は集中力が本当に2時間くらいしか持たなくて」
(月刊TVnavi 2014.8月号)

「ただ、追い込まれれば追い込まれるほど、SMAPはすごい魅力が出てくる」
(月刊TVnavi 2014.8月号)

香取慎吾

「カメラに収録中の赤いランプがついていれば、疲れた顔をすることはない」
(月刊TVガイド 2014.8月号)

「同時代を生きてきた、同世代のスタッフたちと一緒に番組を作ることができるのも、すごくうれしい」
(月刊TVガイド 2014.8月号)



『武器はテレビ』というテーマを掲げたSMAP×FNS27時間テレビ。
テレビを取り巻く環境が今も変化し続けている中で、2014年のSMAPが選んだのは、『限界への挑戦』でした。

「一回限界に挑戦してみようという事でこの27時間テレビを引き受けたと思う」
(中居正広 / Some girl' SMAP)


偉大な先人たちからバトンを受け取った”テレビが産んだ国民的スター”
2014年のSMAPが限界の先に映すのは、一体どんな未来か?

SMAP×FNS27時間テレビは2014年7月26日(土)、まもなくスタートです。


<おまけ>

「僕は予定調和が崩れて残骸が散らばった時に、また違うものになるのかどうかを目撃したいし、それが面白いんです。
怖さ半分興味半分ですけど、結局は今そこで起こることが一番面白いわけですから」

(タモリ / Switch 2009年7月号)*1


関連記事
「27時間テレビに見るSMAPの5つのアプローチ:テレビのプロから傍観者まで」
「笑っていいともの終了発表に、中居正広がいた意味」
「テレビを背負うSMAPの覚悟」

<STORE>

*1:「タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?」参照

「27時間テレビに見るSMAPの5つのアプローチ:テレビのプロから傍観者まで」

2014年もいよいよ「27時間テレビ」の話題が聞こえてくる季節になりました。
今年はSMAPが初めて同番組の総合司会を務めることが発表されており、今月の各月刊テレビ情報誌には、グループへのインタビューが掲載されています。

その中の1つを買ってインタビューを読んでいたところ、内容はもちろん共通して27時間テレビについてなんですが、その中で同じ「テレビ」を題材にしゃべっているSMAPが見事にそれぞれはっきり違うことをしゃべっていて、そしてその視点がなんだか面白かったので、こちらで考察がてらちょっとまとめてみました。
コメントは全て「月刊TVnavi」(2014年8月号)より引用しています。

完全にテレビのプロ・中居正広

「テレビに出てる人の中には「自分が楽しまないと見てる人には伝わらない」という考え方もあるけど、僕はそういうタイプではなくて、自分が楽しくなくても見てる人に楽しんでもらえるものを常に探しながらやっていこうというスタンス」
「今は娯楽の術がいっぱいあるけど、「テレビってやっぱり面白い!」ということを再認識してもらうためにも、細かいところまで準備することが成功の近道になるんじゃないかなと思います」

20年間生放送の「笑っていいとも」に出続け、現在も5番組の司会を毎週こなしている中居にとって、27時間テレビはもはや「日常」の延長。
そもそも27時間テレビの司会自体も彼は今回で7回目になります。

「楽しい人、苦手な人ができてしまうとMCが成立しなくなる」*1という考えの元に、一個人の感情までも全て仕事に投じている中居の言葉には、27時間の生放送に対する浮かれは一切なし。
淡々と、そして最強の”テレビのプロ”であろうとする、その姿勢がコメントから浮かびます。

アイドルクリエイター・香取慎吾

「僕らはアイドルですから。
アイドルが笑顔で元気な王道バラエティーと、アイドルがよくわからなくてやっちゃってるふうに見せるブラックなバラエティ、その両方を兼ね備えた27時間になると思います」

そんな中居正広と共に17歳の時から「いいとも」に出続けた香取慎吾は、”僕らはアイドル”と前フリをした上で、「バラエティにおけるアイドルの見られ方」をはっきり意識し、それをコンテンツとして表現しようとしています。

いいとも最終回においてバラエティという存在にフォーカスを当てた中居のスピーチと異なり、香取のスピーチは「アイドルとしての生き方」に言及していた事からもわかるように、*2国民的アイドルグループにおいて誰よりも人生をアイドルに投じてきた彼は、まさに現在日本でトップクラスの”アイドル”クリエイター。
中居正広がテレビのプロであるならば、徹底的に「アイドルのプロ」*3
を追及しているのが現在の香取慎吾という人なのではないでしょうか。

生粋の演者・草なぎ剛

「全部任せるのは人としてダメだと思うので(笑)僕がどこまで戦力になるかはわからないけど、助けられるところは助けていきたい。
…まぁでも、最終的には8割くらい中居くんが仕切るでしょうね(笑)」

上記の2人とは異なり、27時間を思いっきり他人事のように語る3人目のいいともレギュラー、草なぎ剛。
このコメントからは性格以上に気質として、中居&香取が制作側の視点も持っている演者であるのに対し、草なぎは「100%演者」としてテレビ・バラエティに取り組んでいる事が垣間見れます。

そして演者に全振りしているからこそ、彼は時たま予想を越える特大ホームランを打てるわけで、ここまで3人のコメントから見えるのは、そのバッターボックスの立ち方が見事に三者三様。
そしてその位置取りこそ、SMAPのバラエティ面を長年支えてきた絶妙なバランスなのだと思います。

ザテレビスター・木村拓哉

「生放送番組はテレビを通じて、顔も声も全部「剥き出しのオンライン」になる。それはTwitterやFacebookのような一辺的なつながりではないですよね。
スポーツ的な要素で日本がひとつになることは多々あるけど、番組でなれるかなぁ。なれたらいいなぁと思います」

そして本来バラエティ路線ではない、SMAPのドラマ班を担当している木村拓哉は「自分は全部顔に出ちゃうから(苦笑)。生放送はちょっと危険で不安です」と話しながらも、テレビにおける生放送番組の魅力をしっかり捉え、それを27時間テレビで表現したいと期待を寄せています。

SMAPのリーダーである中居が27時間テレビに「娯楽手段」という立ち位置を見据えているのに対し、同じ年長組で、言わば2TOPとしてグループを牽引してきた木村が「一体感」を見出しているのは、すごく興味深いところ。
そして芸能界でもトップレベルの一体感を生み出してきたのが、まさにSMAP木村拓哉、その人です。

傍観者でありバランサー・稲垣吾郎

「(僕は)傍観者的で、会社でいえば総務部とかそういう感じかなと」
「(27時間テレビは)スタッフも、見ている方も一緒の旅」

最後に同じく本来SMAPのドラマ班、稲垣吾郎。
彼のコメントは中居や香取とも違う別の俯瞰視点、まさに傍観者のようなポジションです。

ですが彼のコメントを最後に持ってくると、なんだか落ち着きがいい。
それは結成当初から彼がグループの真ん中世代、年上と年下を繋げる「中間管理職」的ポジション*4を担っており、プロすぎる中居、アイドルすぎる香取、演者すぎる草ナギ、スターすぎる木村というキャラクター、その”すぎる”芸能集団における重要なバランサーとなっているのが27時間をひっくるめて『旅』と言いのけてしまう稲垣吾郎の感覚なのだと思います。
(そして中居が『なんだかんだで(27時間)ピンピンしてそう』とコメントしているのもこの稲垣吾郎)


毎週見慣れているように感じるこのグループの姿ですが、改めて思い返すとグループのテレビレギュラーとして現在成立しているのは「SMAP×SMAP」のみで、私たちの見ているSMAPのほとんどはソロだったり、歌番組の一時的なゲストとしての姿です。

その中で改めてグループで新しい一つの番組を作ろうとしている今は、もしかしたらとても貴重で、新鮮な瞬間なのかもしれません。
それこそ18年前にスマスマがスタートした時の感じを、ちょっと思い出しました。
中居の『ついにこの時がきたね』という発言は27年前の初レギュラーから始まり、6人でスタートさせたスマスマを通って辿り着いた「テレビの未来」である今、もう一度SMAPが始まる、その密かな号砲なのかもしれません。

…とか言ってても一応、冷静に考えると27時間テレビは本当に難しい番組で当たる年もあれば当たらない年だってあるし、今年のSMAPがどっちに転ぶかは、実際当日になってみないとわからないというのが正直なところなんですが

でも最後に、中居正広さんがこう言い切っていたということも、こちらに載せてみます。

「間違いなく楽しい27時間になると思うから、楽しみにしててほしい。なんとなくだけど自信があります」


関連記事
「SMAP×27時間テレビは紛れもなく「あの頃の未来」だった」

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*1:2013年6月12日 ニッポン放送「ダイノジ 大谷ノブ彦のオールナイトニッポン」出演時の発言(要旨)

*2:「笑っていいとも最終回・SMAP香取慎吾の涙に見たアイドルの矜持」http://drifter-2181.hateblo.jp/entry/2014/04/01/192545

*3:ちなみに近年の香取は中居に代わり、SMAPのライブツアーにおける構成・演出も担当

*4:ちなみにこの稲垣と同い年だったのが森且行。森も現役当時から上2人や下2人との思い出エピソードが多く、稲垣とは違うアプローチでの”中間管理職”的ポジションだった

「テレ東音楽祭(初)の9分でわかるモーニング娘。の進化」

テレ東 音楽祭(初):2014年6月26日(木)夜6:30生放送:テレビ東京
後藤真希、2年半ぶり生歌披露 復帰後テレビ初出演 | ORICON NEWS

www.dailymotion.com

コーラスグループとしての出発

1・モーニングコーヒー(1998)

テレ東音楽祭・参加メンバー 中澤 石黒 飯田 安倍

今まで不参加だった1期石黒が復活し、ほぼオリジナルメンバーのデビュー曲『モーニングコーヒー』。
デビュー時のモーニング娘。は細かい振付はほとんどなく、コーラスやハーモニーで繋いでいくタイプのアイドルグループでした。


リズム&ユニゾン

2・LOVEマシーン(1999)

テレ東音楽祭・参加メンバー 中澤 石黒 飯田 安倍 保田 後藤 石川 吉澤
(※石川と吉澤はオリジナル発売当時、加入前)

オリジナルで目立つパートをもらっていた矢口が色々ありいないものの、こちらも長らく不参加だったオリメンの石黒が復活。
上記のモーニングコーヒーから1年9か月後のシングル(7th)になりますが、まずダンスの面が大幅に進化。
各メンバーのポジショニングが強調され、振りもパートごとにかなり細かく分けられています。

そして近年においてテレ東音楽祭でしか見られなかったシーンが、オリジナルの石黒&保田による「明るい」「未来に」の部分。
2010年代のアイドル界においてもモーニング娘。の絶対的強みとなっている「リズム」。
これを一番最初に、そして個性として表現したのは、LOVEマシーンの石黒彩でした。
そして、今も現モーニング娘。を大きく支えている「歌の強さ」。
これは初期モーニング娘。において保田圭が担当していた「ユニゾンを支える歌唱メンバー」が、後のメンバー構成にも大いに繋がっていきます。


センターポジションの確立

3・恋愛レボリューション21(2000)

テレ東音楽祭・参加メンバー 中澤 飯田 安倍 保田 後藤 石川 吉澤
(※LOVEマシーンまで参加していた石黒はオリジナル発売当時すでに卒業していた為、こちらの曲には不参加)

有名な安倍&後藤の2TOP。
デビュー当時からモーニング娘。は”メインボーカル”のポジション*1が存在するグループでしたが、
『LOVEマシーン』のヒットをきっかけとして、歌唱面でのメンバー構成以上に「どのメンバーが真ん中で目立つのか」という要素が求められていき、
その行き着いた先が、安倍なつみと後藤真希という”エースのフィーチャー”でした。

↓それから14年後

4・Password is 0(2014)

テレ東音楽祭・参加メンバー モーニング娘。'14(2014年現在の在籍メンバー)

デビュー曲から数えて16年、56枚目のシングル。
まず初期とは比べ物にならないほどダンスのレベルが高く、これはデビューからグループが16年間積み重ねてきたアップデートの賜物でもあります。

また現グループは、特にリズム感の良いメンバーが揃っていることもあって、つんくプロデュースの極地であるハイレベルなリズム表現にもきっちり対応。
これも言ってみれば、LOVEマシーンの『あかるぅい』から始まったモーニング娘。のリズム表現が行き着いたひとつの未来なのではないでしょうか。

10人がそれぞれ分かれるユニゾンパートにも実はそれぞれの歌唱力や声質に応じて細かい振り分けがされており、メインメンバーだけでなく、昔の保田圭のように後ろにいる事が多いメンバーも決して手を抜かず、要所要所でユニゾンを支えていたりする。
(現在歌唱力の評価が高いのは2012年加入の小田さくら、また2011年加入の鈴木香音はユニゾンパートでの期待値も高い)

そして安倍なつみや後藤真希から続く「エースの系譜」、現グループでは2011年加入の鞘師里保がそのポジションに立つ事が多く『Password is 0』でもそのプレッシャーをはねのけるように自身のソロパートを熱唱しています。



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*1:『抱いてHOLD ON ME!』における安倍&福田、『ふるさと』における安倍など