小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

「アイドル神格化の違和感―”普通の女の子”モーニング娘。道重さゆみの軌跡」

先日、こんな記事を書きました。

「つんくのコメントで振り返るモーニング娘。道重さゆみの11年 その1(加入~吉澤ひとみ卒業まで)」
「つんくのコメントで振り返るモーニング娘。道重さゆみの11年 その2(プラチナ期)」
「つんくのコメントで振り返るモーニング娘。道重さゆみの11年 その3(9期加入~リーダー就任まで)」
「つんくのコメントで振り返るモーニング娘。道重さゆみの11年 その4(再ブレイク~卒業発表まで)」

なぜこのような更新をしようと思ったかというと、卒業発表以降「キリストを超えた(?)道重さゆみの犠牲的精神」など、一部で道重さゆみの神格化が加速している事に、正直違和感を感じていたからです。

最初はむしろ”赤点”で始まった女の子

今でこそ唯一無二の存在感でモーニング娘。を牽引する道重さゆみですが、加入直後の彼女は、むしろ”赤点”の要素の方が多いメンバーでした。

それはモーニング娘。がボーカルオーディションから始まっているという点。
結成メンバーでもあり近年ミュージカルで評価を高めつつある安倍なつみ、ハロプロ在籍時からプロダンサーを従えてライブパフォーマンスを行っていた後藤真希、グループ卒業直後に帝国劇場の舞台へ立った高橋愛など、歴代のエースメンバーを見ても、モーニング娘。はやはり音楽畑のアイドルグループだと思います。

その中で、同期の田中れいなはデビューシングル『シャボン玉』でいきなりセンターに選ばれ、亀井絵里も加入3作目の『愛あらばIT'S ALL RIGHT』で早々にソロパートを勝ち取っているのに、道重さゆみは加入6作目の『涙が止まらない放課後』まで、ソロらしいソロがなかった。
もちろん、加入当初から可愛さでは群を抜いていて、加入数か月でソロのレギュラー番組を持つなどの活躍はしていましたが、モーニング娘。としての活動のメイン、楽曲披露の場になると、道重はとことん目立たない。

グループでのテレビ出演時、カメラがソロパートを歌う高橋愛、田中れいななどに沢山寄っていく中で、もっぱら「叫び担当」「吐息担当」であった道重さゆみがどれだけ映っていたか。
彼女がモーニング娘。に加入してからのソロパートは、シングル27枚をかき集めてもたった1分48秒しかありませんでした。


モーニング娘。としても、遅咲きだった女の子

モーニング娘。に憧れていた少女は、加入後に歌割でグループの現実を感じつつも、自身が憧れた”日本のトップアイドル”の姿に早く追いつきたいと日々歌やダンスを頑張っていました。
そんな彼女に、ある転機が訪れます。

バラエティで一人で外へ出て行ってみたら、すごい現実を知ったというか、あ、今のモーニング娘。は全然知られてないんだな」っていう。
ファンの方は知って下さってるけど、世間の方だったりとか同じ芸能人の方とかも「今のモーニング娘。って誰がいるの?」とか、「誰がリーダーなの?」とか。
「あぁそういう事全然知らないんだ」って事を初めて知って、そこからバラエティに出るに当たっての意識が変わって。

(「モーニング娘。55スペシャル!」(NHK・2014年3月30日放送))


ソロでバラエティ番組に出演し、そこでかつて自身が憧れたモーニング娘。が「知られてない」存在になりつつある事を悟った彼女は、ある目標の為に、あえてナルシスト・毒舌キャラを全面に押し出し、嫌われ役を買って出ます。

「性格が悪く思われても、それをキッカケにモーニング娘。を調べて知ってもらえたら」

Top Yell 2012年 5月号


後にプラチナ期の名で再評価されるような時期にあっても、当時の道重さゆみはパフォーマンス面での努力がなかなか結果に結びつかず、本人もグループ内での立ち位置に、一時期ずっと悩んでいました。
しかし、かつて自分がずっと憧れ、加入後もどこか追いかけていた「あの頃のモーニング娘。」の幻影と自らの意志で決別し、「今のモーニング娘。」として歩む覚悟を決めた彼女は、そこでついに「モーニング娘。の道重さゆみ」がどう生きていくべきかを発見します。

そして、ついにあるべき自分を見つけた一人の女の子の姿を、プロデューサーのつんくはこんな形で表現しました。

ようやくキャラが固まったわ 時代が私に追いついた
少し出し惜しみしましょうか イケイケで行きましょうか

『女子かしまし物語 2009秋ver』
(モーニング娘。コンサートツアー「2009秋 ~ナインスマイル~」収録)

「ようやくキャラが固まったわ」
道重さゆみがモーニング娘。でそんな歌を歌う事ができたのは、彼女がモーニング娘。になってから、7年目の事でした。

今の道重さゆみを作ったものは何か

モーニング娘。に加入した2003年、当時13歳の道重さゆみは、普通の女の子でした。
モーニング娘。が大好きで、でも歌がちょっと下手な、山口県の普通の女の子でした。

そしてモーニング娘。の8代目リーダーとなった、24歳の道重さゆみの姿、それは一人の人間が自らの青春をかけて、悩みや苦しみと対峙しながら懸命に生きてきたその結果です。
今の彼女を輝かせているもの、それはむしろもっとも人間らしい「人が生きていく」という点での美しさです。


道重に限らず、近年の女性アイドルはときに「神」や「犠牲的精神」といった言葉で表現されることが少なくありません。
しかし、エンターテイメントとしての側面以上に、存在そのものまでを神格化してしまうのは、どこか行き過ぎてしまっているように思えてなりません。
恋愛禁止以上の内面を求める事は、果たしてアイドルの支えになるのでしょうか?
偶像の先には一人の人間が存在していることを、私たちは絶対に忘れてはいけない。

彼女たちは、生きている。
そしてこれからも、生きていくんです。


関連リンク
キリストを超えた(?)道重さゆみの犠牲的精神(WEBRONZA)
前田敦子はキリストを超えた(筑摩書房)

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