初めての著書を出した2017年に、「乗田さんはこれからもライターを名乗るのか、それとも作家を名乗っていくのか、楽しみにしてます」と言われたことがある。
本を出すと各々にどう見られたいかという欲ができてきて、その欲と連動して書き手の肩書もまた変わっていく。
その時はそういうもんなんだなぁ、自分は一体どうするんだろうな、と割とのんきに構えていた気がするのだが、あれから1年半ほど経ったところで、その答えがなんとなくわかってきた気がする。
私は商業ライターにも、作家にも、結局本当の意味ではなれはしないんじゃないだろうか。
2018年の秋、あれだけ好きだった文章が、まったく書けなくなった。
ちょうど本を出して1年経とうかという時期で、その直前まで本を持っては出版社を回り、編集者を回り、顔を売らなきゃと必死だった。
北海道に住んでいるというだけで、私には営業活動に充分必死になる理由があった。
何かを生みだすにはあまりにも静かすぎるこの場所で、東京から届く「ぜひ一度ご挨拶を」の一文は、私の書くものを誰かに読んでもらえる数少ない生命線になっていたからだ。
しかし東京の、創作のめまぐるしいスピードに刺激を受け、その気になって帰りの飛行機に乗ると、電灯が少なくなり、ありのままに真っ暗になっていく北国の景色とともに、私は静かな街の生き方をもう一度思い出していく。
本屋にあんなに人が溢れている日常と、本屋が小さくなり消えていく日常と、そこにあるメッセージの意味はもはやあまりにも違い過ぎているのではないか。
そう実感してしまっているのに、私が商業ライターとして、あるいは作家として求められるのは、いつもエンターテインメントについてだった。
私はエンターテインメントに育てられてきたという自覚がある上で、それでも人をもっとも落胆させる文化のひとつが、エンターテインメントなのではないかとも思っている。エンターテインメントこそ、すべての正解は東京にあるからだ。
それは新しいコンテンツが毎日周知され、アップデートされていく風景の話だけではない。
特に言葉で語り、それを売り買いするという点において、出版社が東京一極集中な時点で東京の感性がひとつの正解であることは絶対に避けられない関門になっている。
だが私はひとたび飛行機に乗ってしまえば、その感性を育む日常には存在しない人間だ。
そして”東京に売れる形”でエンターテインメントを見ることは、書くことは、東京ではない場所で生きることを選んだ人間にとっては「なぜ自分は東京にいないのか」ということを問う、そのとても孤独な繰り返しでもあった。
やがて何にも書けなくなってしまった私から生まれる企画や原稿はというと、やっぱりひどく拙いもので、いくつもいくつも没になった。
途中で「また連絡します」と言ったままフェードアウトしていった編集さんも少なからずいて、それでもとりあえず最後の気力で手を動かし続け、どうかこれはと思っていた原稿もあったが、結局没になり、その瞬間に心がポッキリと折れた。
ただ心が折れたなと思った瞬間、同時になぜか心の底からホッとした思いもあった。
少なくないお金を払い、飛行機に乗り、一人で歩き回り、もうそういうことを頑張らなくていいな、とやっと納得する形で自分に伝えることができたからだと思う。
そしてその日の夜、家の外に降っていく雪がやけにゆっくりと、そして綺麗に見えたのを覚えている。
求められた原稿も満足に書けない私はライターでも作家でもなく、ただ地方で生きることを選んだ、そんな一人の人間だった。
この文章も決して多くの人を楽しませるものではない、いわゆる”売れない”原稿のひとつだな、と思いながらキーボードを打っている。
しかし売れなくても誰かひとりに届けばいいと思っているし、その届けたかった相手とは結局のところ、自分自身だったのかもしれない。
私はきっとこの場所にいることを選んだ時点から、今ここで生きる私以外の何者かに、もうなれなくてもよかったのだと思う。