小娘のつれづれ

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日本の若者たちの出発点

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日本の若者たちの出発点

一方、同時代の日本である。
まず近代義務教育制度の整備についてだが、日本では1872年(学制の発布)がその始まりとされており、これはアメリカやイギリスとほぼ同じタイミング であった。
そして1900年代に入ると、もうすでに大学生が主人公のいわゆる青春小説(小栗風葉『青春』、夏目漱石『三四郎』など)が国内で流行し始めており、 そして1914年にはあのスタンレー・ホール『青年期』も、最初の翻訳本が出版されている。
ここまでの流れを見ていると、欧米と日本における伝播のタイムラグはあまり感じられない。
ただし、1914年に勃発して欧米の若者に多大な影響を与えた第一次世界大戦の受け止め方が、日本の若者視点ではかなり異なっている。
なぜなら国土に被害の及ばなかった日本では、泥沼の塹壕戦も人類の歴史上例を見ない犠牲者数も、結局は最後まで遠い“欧州大戦”の出来事でしかなかったからだ。

だが日本の若者にも、結果的にはそう遠くない時期に2つのターニングポイントが訪れている。
その始まりは、第一次世界大戦の終戦から約5年後に発生した大災害にあった。

1923年9月1日、最大震度7(推定)の地震を引き金に日本の関東地方南部を襲った関東大震災は、10万人を越える死者・行方不明者を出しただけでなく、首都圏の広域をほとんど壊滅状態にしてしまう。
被災地域のあまりの惨状に、一時は首都移転も検討されたが 、最終的に政府は引き続き東京を日本の首都とする形で、6年計画の大規模な震災復興事業を決定。
すると元号が大正から昭和へと移行し、復興事業のスケジュールがちょうど折り返す1926年頃、その復興最中の都市部を歩く革新的な若者たちの姿が「モダンガール」「モダンボーイ」の名で注目を集めるようになっていく。

「眼にする大都会が茫茫とした信ずべからざる焼野原となつて周囲に擴つてゐる中を、自動車といふ速力の変化物が初めて世の中にうろうろとし始め、直ちにラヂオといふ声音の奇形物が顕れ、飛行機といふ鳥類の模型が実用物として空中を飛び始めた。これらはすべて震災直後わが国に初めて生じた近代科学の具象物である。焼野原にかかる近代科学の先端が陸続と形となつて顕れた青年期の人間の感覚は、何らかの意味で変らざるを得ない」
(横光利一『刺羽集』生活社、1942年)

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