こちらの書評が、すごく面白かったんです。
【書評】日本文化の論点/宇野常寛 ★★★☆☆ (倒錯委員長の活動日誌)
まず一度元記事を読んでいただいてから、こっちを読み進めてもらえたらと思います。
で、私が特に興味深かったのは、この部分でした。
『ここでぼくはドテーってなったんですよ。結局あんたもそれかい、と。』
確かにアイドルって考えれば考えるほど、奥が深い。
パートやポジション取りに始まり、個人の成長度合い、さらにはグループ内の人間関係も含めたパワーバランスとかグループを拡販するための各メンバーの仕事観だとか話は尽きなくて、んでハマればハマるほど、それを人と共有したくなっていく。
ただ、ここでアイドルファンが置いてきてしまう事実がある。
メディアがどれだけアイドルの裏側を可視化しようと、その時流に当てられた意識の高い人たちがアイドルをどれだけ懸命に○○論の類へ組み込もうと、
私らの好きなものは、かわいい女の子なんです。
『最後に残るのはそうした厳然たるジェンダーの非対称性』
* * *
私も以前は同じように、アイドルは一般に受け入れられる題材、普遍的になりうる題材と思っていました。
モー娘。を立て直した吉澤ひとみのリーダー論はもっと公式に語られるべきだし、安倍なつみは神様だと思っていた。というか今でも新垣里沙は菩薩だと思っている。
ただ、違うんだよ。
私らが好いているものはまずあくまでもかわいさで集った女の子のそれで、リーダー論がどうだとか仕事観がどうだとか社会的論点を訴えかけていく前に、見方がもう公平じゃない。
世間から見れば、私たちは「きもちわるい」んです。
そしてこういうズレって、これから大量に表面化してくるんだと思われます。
それはブレイクの派手さで食べていけた時期が過ぎて、戦国時代ブームのファン全体が、再び進路選択の時期に差し掛かりつつあるから。
そこでこれからもアイドルを追いかける!と決めたファンの中では、その後もアイドルのイメージは絶頂期だし、新しい発見やパフォーマンスに絶えず心を躍らせられる。
しかしアイドルに興味のない人たちにとっては、一旦売上がしぼめば「落ち目」になり、露出が減れば「消えた」と表現されていくんです。
だけど、変わらず夢中になっている人たちは気づかない。
なぜなら自分を迎え入れた”ブレイク”は、すでに「アイドルをきもちわるいものから解放した」と信じ切っているから。
* * *
私が心配しているのは、私らが醜いレッテルを貼られることじゃなく、アイドルが気色悪い存在と思われてしまう、その一点だけです。
アイドルは気持ち悪くない。
私らが気持ち悪いのです。
はっきりいって、アイドルを好きなことは恰好がつかない。
何かを好きになることで自分に箔をつけたいと思っている人がいたら、アイドルは向いてない。
アイドルにあるのは非対称な観点しかない。
ただ、かっこ悪さのハードルも抱えてなお「好き」を発信したいと思い始めた時、それは安易な美化より、相当な意味と強さを内包することになる。
そしてそれくらいやってはじめて、アイドルは社会的認知の一端を得るのではないでしょうか。
”きもちわるい”を連呼しちゃったんだけど、これはあくまでも私の考えであり、元記事さんの考えではないですよ、と一文書かせてもらってこの話を終わります。