小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

【無料】まえがき(身もふたも無いプロローグ)


2020年の初夏。
子どもの頃から慣れ親しみ、大人になってもずっと愛聴していたアイドルの楽曲が、急に聴けなくなった。
一言でいえば、私は絶望したのである。


(どんな内容であったかはまた別の機会に話すとして)その頃にあった出来事は、芝居がかったことを敬遠してきた人間にさえ「あぁ、私終わったな」という独り言を思わず口走らせてしまう、それほどの破壊力をもったものだった。
するとほどなくしてアイドルの語りかける希望が、自分の中で急激に色を失っていくことに気づき始める。
それまで大好きだった曲ほど、イントロが流れただけで胸が苦しくなってしまう。
さらにそこにあった苦悶は、時を同じくして私がずっと大切にしていた、いわゆる「お天道様は見ている」的な信心までも、いっぺんに吹き飛ばしてしまった。
こうして私の世界からは一度、アイドルの救いも神の救いも完全に消え失せる。
さりとて身近にこの心情をわかちあえる人はいなかった。
オリンピックさえ延期になった、あのコロナ禍真っ盛りの初夏である。


「惰性でとりあえず生きていた」
そんな当時の精神状態がありありと記録されているスマホの写真アルバムに、再び心境の変化が写し出され始めるのは、もうすぐ2020年が終わろうとしている時期のことだ。
再び増加し始めたコロナの感染者数とGoToトラベルの中断を伝えるニュースのスクリーンショット、その間に突然K-POPアイドルの動画が混じっている。
SUPER JUNIOR『SUPER Clap』のMVである。



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それまでの自分を動かしていた絶大なエネルギーが突然消えて、心にはぽっかり大きな穴が空く。
しかし開き直って人生を捨てる勇気もないから、2020年初夏以降の私は細々と、その日一日の空白を違うアプローチで埋めていた。
何をしていたかというと、日本アイドルと少し距離をとる代わりに、東アジア単位でのアイドルの歴史を改めて調べ直していたのだ。
SUPER JUNIORの『SUPER Clap』はそうした道中で、たまたま引っかかった楽曲だった。
すでに発売から1年が経とうとしていた作品。日本語しか理解できない私は、日本語字幕をONにしない限り当然その歌詞の意味も全くわからない。
しかし不思議と、そんなことは最初からどうでもよかった。
なぜなら初めて聴いた時の「面白い」「楽しい」「これは好き」という直感は、たとえ言葉がわからずとも、アイドルを純粋に楽しめていたかつての私の確信と、間違いなく同じものだったからである。


翌2021年も、自分の現状は好転どころか、むしろじわじわと悪化していった。
大好きだった日本アイドルの過去曲は、自分の思い入れが強ければ強いほど、1年を通じてやっぱりほとんど聴くことができなかった。
しかしその一方、同年のAppleMusicの再生数ランキングは、上位10曲が全てK-POPアイドルの作品になっている。
その中でも、今後も絶対に忘れないであろう一曲はBTOBの『MOVIE』だ。
なぜかといえば、ひとり深夜に注射を打たなければならないとき、私は必ずこの『MOVIE』をかけていた。
注射キットを開けるたびに永遠のような恐ろしさを感じていたあの頃、私はこの曲を聴いた時に溢れる「面白い」「楽しい」「これは好き」の勢いだけで、いつもどうにか押し切っていたのだ。
そしてある時、ふと思い出すのである。
10代の頃の私も、思えば体調不良で辛いとき、大好きな日本アイドルの楽曲を聴いて、いつもその場の痛みを紛らわせていたということを。



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救いの神は結局私の人生には存在していなかったし、これからも夢のような奇跡が起こることはおそらくないだろう。
だがそれでも同じ人間、アイドルの創り出している「支え」や「逃げ場所」は、間違いなく、私の人生に実在していた。
大好きだった日本アイドルの過去曲は、再生しようとすると正直いまだに心はヒリヒリする。
ただそれでも、その事実をこうして文章にすることができるまでにはなった。
それは、この世界の「面白い」「楽しい」「これは好き」で、私がこの3年をどうにか生き延びてこられたからに他ならない。


そして、生き延びた今日の私は同時に、こんなことも思うのだ。
「アイドルって一体何だったのだろう」。
形のない神、平等に訪れない幸運や奇跡とはまた別の、だけどこの世界で今も同じように人間の生を支えて救っているもの。
「アイドル」はいつ、どのように生まれたのか。
そしてどんな過程を経て、私たちが出会う「アイドル」となっていったのか。


つまるところ、私は私だけの「アイドルとは一体何か」の解答に近づくためにこそ、歴史に散らばっているはずのそのヒントを、改めて探してみたいと思ったのである。


惰性だろうがなんだろうが、人間がこの瞬間も生きているのは、そういうことなのだ。


(この記事はここまでが全文の、実質的無料記事です)


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