小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

「都会と地方と光ケーブルのあいだ」

「インターネットは都市部と地方の格差を縮めたか」
「国道沿いでも、若い人はネットをちゃんと使いこなしてますよ」

ひええええええええ

ついこないだ「都会と地方のあまちゃん」みたいなのも書いていた事もあり、ちょっと足つっこんでみようかと思った。

* * *

1999年からおおかた、地方でインターネットの成長を見てきた層(15歳~今29歳)ですが、長年都市と地方で格差を感じてた事といったら、情報うんぬんよりリアルにはまず「ブロードバンド環境の提供スピード」だったんじゃないかな。

「インターネットは都市部と地方の格差を縮めたか」の中に

自分が大学に入って知り合ったとある地方県の県庁所在地出身の友人によれば、「高校時代(2007年以前)に地元ではYoutubeを知っている同級生は誰もいなかった」そうだった。
TwitterやFacebookはおろか、彼は上京後にmixiを知り、加入したのだという。

という記述があるのだけど、同時期に地方都市で大学生やってた私の場合、2006年までISDN使ってましたからね。

いや、地方都市の当時住んでいた我が家にだって、本当は2004年くらいにはADSLのエリア提供が始まってたんですよ。
でもいざ申し込んで、当日やってきた工事の人に「これは工事やっても、基地局から遠すぎて速度ほぼ出ないんでやっても無駄です」と言われて断念。
しかしだからといって当時の地方都市に、他の代替策はあるわけもなく…

画像の読み込みすら正座で全力待機だったような環境、しかもさらに選択肢のなかった2007年以前の高校生が「神奈川県の湘南であれば、みんな高校時代にSNSや動画サイトを楽しんでいた。」って言われても、そりゃ意識っつうか、まず物理的なハードルが高かったんじゃないだろうか。
地方だと県庁所在地ですら、そのネット環境レベルだったよ、本当に。*1

んで私は一旦就職で横浜に行き、人生初のブロードバンドデビューを果たして(2006年の横浜市中心部ではすでにBフレッツがかなり普及していた)、数年後に北海道へ再引越し。
2008年くらいになると、さすがに首都圏以外でもだいぶ光が使えるようになっていて、2009年頃には、長年ISDNを使い続けていた実家にも光の提供エリアが到達。
ここで地方民的にはやっと物理的なネット環境の格差から解放されてくるわけですが、地方の若者が「みんな高校時代にSNSや動画サイトを楽しんでいた。」と同じレベルで言えるようになったのは、まだここ5年くらいの話じゃないかな。


ていうかグダちゃん日報さんの方で論じられてる「地方と都市部の深刻な情報環境の格差」、これは情報格差っていうか、単に「属する地元コミュニティの違い」の話な気がします。
グダちゃん日報さんの属する「首都圏の主要ターミナル駅まで電車で30分」の若者コミュニティと「地方県庁所在地までバスで3時間」の若者コミュニティは、そりゃ単純に景色が違う。
その景色の違いを、自分の育ってきた「地元感」で

「首都圏ではSNSと都市文化が密接にリンクし、デジタル時代の新たな文化やライフスタイルがどんどん洗練性を高めている」
「都会に行けば山ほどさまざまな文化があり、いろんな生活様式があっていろんな人がいて、さらに、日本を飛び出せば、世界中には無数の多様性があるのだけど、そういうことを知る術としてのインターネットというものは地方にはありえない」

「同じような同級生と、イオンを筆頭とした同じような店の並ぶ地元の国道沿いに篭りっぱなし」
「ガラケー的な画一的な閉鎖環境」

と優劣をばっさりキメちゃってるのがこの記事の胸糞悪い感じで、そもそもそれって「インターネットにおける情報格差」に関係あるのかという。

都市と地方のコミュニティ論はそもそも、若年層が簡単に優劣を断言できるものではないし、インターネットは情報環境は変えてくれるけど、首都圏まで飛行機乗って2時間の距離を変えてくれるものではないじゃん。


むしろ近年のネット環境ですと、地方民は昼は雄大な自然を満喫し、夜は家でゴロ寝しながらWi-Fi飛ばしてタブレット、みたいなライフスタイルが容易にできるようになってるわけで、
それも1つのデジタル時代の新たな文化やライフスタイルがどんどん洗練性をなんちゃらかんちゃら
最後めんどくさくなっちゃった。


<STORE>

*1:でも私はその環境でブログもSNSもやってた