昨日の「ふつうの人はCDなんてもう買わなくなった」というタイトルは、Negiccoの「アイドルばかり聴かないで」という楽曲が元ネタでした。
「ふつうの人はCDなんてもう買わなくなった」
これが元ピチカートファイブ・小西康陽の言葉である意味は重い
(はてブコメントより)
ずっと応援しているファンの体感として、あれだけ長期間見てもらえなかったモーニング娘。が今年これだけ再注目されるようになったってのは、いまだほんと信じられないんですよ。
そのスイッチを入れてくれたのは完全に「オリコン3連続1位」。
実際ネット上では2011年くらいからだんだん再評価の動きがあって、去年も『One・Two・Three』の時点で相当反響はあったんですけど、実際のメディア露出やライブ動員まではまだそんなに動きがなかったんですね。
ただオリコンで3回連続1位とって、それをもってついに8月のMステで「再ブレーク」って言葉がつけられた、そこから急激に注目度が変わり、メディア露出が跳ね上がり、大きい会場でのライブ開催も可能になり、しまいには長年蚊帳の外だった紅白歌合戦にまで、出るか出ないかが大きな話題になった。
(結局出れなかったけど)
世間に幅広く知ってもらうツールとして、やっぱオリコンランキングは今だすごい力を持ってるんだって体験も、まさに今年したんですよ。
ただ、散々既出だと思いますけど、近年のCDランキングが特典ランキングに変わってきちゃってるのは誰が見ても明らかで。
私はアイドルヲタである一方、今でもたまにバンドやるくらい音楽自体も好きですが、アイドル問わずいろんなライブを見たり、専門メディアに触れてると、やっぱ音楽って何も死んでないよなぁって感じるんです。
今も続々面白いミュージシャンが出てきてるし、良い曲沢山あるし、音楽の言葉にならない楽しさは何も変わっちゃいない。
ただ同時に、今私がこう思えてるのは、「能動的に音楽に触れてるからだろうな」って。
オリコンランキングと音楽メディアの両方を渡り歩いててひとつ思うのはランキングがああいう形になりつつあって、じゃあ受動的な興味がどこに向かえばいいかなってなかった時、たぶん今の音楽って、わかりやすい受け入れ先がないんですよね。
ナタリー編集長の言葉を借りると”教室でギター練習してた1~2人”以外だって「受動的な音楽への興味」は持っているはずなのに、それが音楽メディアに到達する前に零れ落ちた時、受け止める術が今限りなく減ってきてる。
って書くと「いやyoutubeで探せよ」とかって話だと思うのですが、受動的な興味の中ではそれさえ労力のかかる事だし、ランキングが機能しなくなってきた現状、まず何を検索すればいいのかすらちゃんと伝わりきってない。
だから定期的に「音楽業界の出すCDが死んでるから買わなくなった」って結論を出されてしまう。
CDが売れなくなってきた事で何が一番ヤバイかって、現状のままだと、オリコンランキングと音楽ファンとそれ以外の人たちの間にどんどん大きな裂け目ができつつあるんですよ。
もともとニッチなもの、だけどあんなに可能性を秘めてるものなのに、三者の間で今共有する手立てが一つもない。
それどころか各自の興味すら音楽とうまく噛み合えなくなってきてる。
それは「CDなんてもう買わなくなった」、その先の返答を何より業界が今だ見つけられていないからで、だから時間が経てば経つほど、さらに裂け目が広く深くなっていく。
それが価値観の多様化という事なのかもしれないけど、でも、音楽の行き先は本当にそっちでいいんだろうか。
私がたまにこの手の話に熱が入るのは、もちろん自分の趣味を存続するためというのがあるけど、自分自身が音楽をやっていた事、あとぶっちゃけ学生の頃から音楽やってる人たちをずっと間近で見続けている*1っていう環境もあります。
趣味で音楽をやってる人はもうそれで成立してるからいいんだけど、やっぱプロになりたい、音楽で食っていきたいっていう人には、綺麗事と隣り合わせで「売れる」「売れない」っていう概念がどうしても存在します。
それはミュージシャンにも、才能の先に生活があり、人生があるから。
私はもちろん音楽の才能を持ってる人間ではなく、実際生き方として堅実な方面を選んで歩んでるけど、それでも、ミュージシャンの才能を持ってる人が食えませんなんて世の中は、はっきり言って夢がないと思う。
だから才能の周りに存在する、そして楽しんだり励まされたりしてる私たちは少しでも才能を持つ人にきちんとした評価を返せる世の中にするために、何ができるんだろうってっていうのは、常にずっと考えています。
「アイドルばかり聴かないで 心配してるのわかって
アイドルばかり見てないで ねえ、わたしを見て」
<MUSIC STORE>
*1:メジャーもいるし、インディーズもいる