(別題:「一人で行ったSHINGO KATORI 1st LIVE TOUR Circus Funk 2025@北海道」)
2025年7月12日、北海道・真駒内セキスイハイムアイスアリーナで行われた「SHINGO KATORI 1st LIVE TOUR Circus Funk 2025」の1日目公演に参加してきた。
香取はグループ時代から、具体的には2008年*1からコンサートの構成・演出をずっと担当していたのだが、そんな彼にとって今回のツアーは、「生まれて初めてソロ名義で開催する全国ライブツアー」である。
だからこそ、彼は一体どんなライブ空間を創造してくるのだろうと、個人的に当日までネタバレは一切見ずにそのまま開演を迎えた。
そして、約2時間半に及ぶステージ。
私が観客の一人として『SHINGO KATORI 1st LIVE TOUR Circus Funk 2025』で目撃したのは、
日本の現代「アイドル」像を創り上げたその人だからこそ成立する、自身との、そしてエンターテインメントの歴史を紡いできた様々な「idol」たちとの、ステージを通じた対話だった。
アイドルとidol
本題に入る前に、「アイドル」と「idol」の違いとは何なのかを、少し説明しておきたい。
外来語が排斥された戦争時代を挟んで、日本国内で若者人気の高い有名人が「アイドル」と表現されるようになっていったのは、おおよそ1950年代からである。
といっても、実は1950年代~1964年上半期までの日本語における「アイドル」の意は、どちらかというと英語圏の「My Star」や「Icon」といったニュアンスに近かった。
これは終戦後に「アイドル」表現をいち早く再輸入し始めたのが、外国のコンテンツと距離が近い映画専門誌・音楽専門誌だったことの影響が大きいと思われる*2。
しかし1964年下半期にビートルズ主演映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(邦題)」とシルヴィ・ヴァルタン主演映画「アイドルを探せ(邦題)」のいわゆる海外アイドル映画が日本公開されると、日本語の「アイドル」の意は少しずつ”分離独立”し始める。
その後1966年初夏のビートルズ来日公演、そして1966~1969年に起こった日本独自のグループサウンズブームでのイメージ混合を経由して、1970年代になるとグループサウンズと入れ替わりで登場した若い歌手たちが、もっぱら少女誌の誘導で、現代の日本語のニュアンス「アイドル」と表現されるようになっていくのだ。
このような流れを踏まえた上で、1977年生まれ&1987年芸能界デビューの香取慎吾はというと、もちろん現代の日本語のニュアンスが定着した後の「アイドル」である。
またさらに言えば、1991年のCDデビュー以降、彼を含むアイドルグループ・SMAPが現代日本における「アイドル」の定義を築いた存在であることも、やはり間違いない事実だろう。
その彼が、己の「アイドル」性を自律的に魅せながら、同時に「idol」と対話する。
私の目に映った「SHINGO KATORI 1st LIVE TOUR Circus Funk 2025」とはつまり、そういうステージだったのである。
ーー以降ネタバレ含むーー
香取慎吾
まず最初に、あなたは香取慎吾という名前をパッと見たとき、一体どんな「楽曲」が思い浮かぶだろうか。
それはSMAPの有名曲かも知れないし、もしかすると、たまたまYouTube上で見かけていた彼のソロワークなのかも知れない。
端的に、それらの全てが「アイドル」香取慎吾、である。
今ツアーのセットリストから抜粋すると、ドラマの主題歌として使用された『Circus Funk(feat. Chevon)』や『BETTING』などはまさにアイドル・香取慎吾の今を象徴するステージだと言えるだろう。
※また世代によっては、香取慎吾の初主演ドラマの主題歌「愛の言霊 〜Spiritual Message〜」のカバーに、アイドル・香取慎吾の歩みを感じ取る人もいるだろう。こちらはNight Tempoとのコラボによるリメイク作品になっている
フランク・シナトラ
そして、まずオープニングから6曲ほど、日本の「アイドル」香取慎吾が数十年かけて築き上げてきたステージをしっかり魅せた後に、最新アルバム「Circus Funk」に収録された『Full Moon(feat. 村田陽一)』が自然と始まる。
近年、香取慎吾のソロステージにバンドマスターとして参加しているトロンボーン奏者&作編曲家・村田陽一*3が、香取慎吾に提供した作品。
曲が流れ、バックバンドを背に香取慎吾が歌い出したその瞬間、直感的に「あ、これはフランク・シナトラだ」と思った。
ご指摘のように昨今男性ボーカルの歌唱音域が高く、ファルセットのクオリティや地声のハイトーンも見事な方々が主流ではありますが、この香取さんの歌唱の音域は女性には出ない極めて昨今の男性のそれとは違う色気があるのです。こういうのもっと流行るといいなと思います。#男性ボーカル https://t.co/hdSwFNeLSx
— 村田陽一 (@YoichiMurata) 2025年1月31日
日本で外来語が排斥されていた、その同じ1940年代前半に、海の向こうのアメリカでフランク・シナトラはまさに「idol」と呼ばれていた。*4
出生時の医療ミスにより兵役に就くことができなかった当時20代の彼は、アメリカに残された可愛らしいボビーソックスを愛用する年齢の少女(ボビー・ソクサー)たちの熱狂を、そのまま一身に引き受ける形になる。
当時その道しるべとなっていた彼の「若い娘ならだれでも通過する、男の子に夢中になる年ごろを利用し、(中略)その歌でキスし抱擁してくれる夢の王子さま」*5像は、もちろんプロモーション戦略としての確かに側面があったのだが、ここで重要なのは、フランク・シナトラ自身も自覚的に「idol」を演じていたという点だ。
「だれもぼくを愛してくれない、とフランクが歌えば、少女たちは悲痛な叫びをあげた。「嘘でしょ、フランキー?」「わたしたちが愛してる。わたしたちが愛してる」フランクが目を閉じ『アイル・ネバー・ウォーク・アローン』を悲しげに歌えば、感動で泣きそうになった若者が叫んだ。「おれがついていってやるよフランキー。ほんとだ、おれがついてってやる」彼らは、自分の父親とも叔父とも兄とも、夢の結婚相手ともなったこの男を抱きしめキスしたがった。彼らはフランクに触れる機会を争ったが、同時にフランクを大切に扱いたいとも思っていた」
(キティ・ケリー(柴田京子訳)『ヒズ・ウェイ』文藝春秋、1989年)
「ぼくはあの女の子たちみんなを愛している、彼女たちがぼくを愛してくれているように」
「ぼくを愛してくれている女の子たちから週に何千通もの手紙をもらう。でもセックスとは関わりがない。堕落したものは何も感じられない。彼らはぼくと同じようにフランキー・シナトラ風ボウタイをつけ、ぼくの歌にちなんだ名称のフランキー・シナトラ・ファンクラブを作ってくれている」
(フランク・シナトラ/キティ・ケリー(柴田京子訳)『ヒズ・ウェイ』文藝春秋、1989年)
フランク・シナトラのこのやりとりを思い出しながら、楽曲を聴き、同時に香取が書いたという歌詞(実際には香取が日本語で歌詞を書き、それが英訳されている)をなぞると、そこには「idol」に願いをかけてきた全ての者たちの足跡が、ぽつりぽつりと浮かんでくるのである。
「壮大な「Circus Funk」でバンドの鳴らす音がひしめき合って、ダンサーが踊りまくる。そんな中でポツンと1人ピエロが歌っていて、ポロッと涙して笑顔でいるような曲になったかなと思います」
(香取慎吾「香取慎吾「Circus Funk」全曲解説インタビュー|3rdアルバムに込めた“笑顔の決意表明”」音楽ナタリー)
ジェームス・ブラウン
またライブの後半、『10%』や『UNERI KUNERI』のような”私たちのよく知っている”香取慎吾の楽曲が散りばめられたゾーン&MCを抜けた後に、やはり最新アルバム「Circus Funk」に収録されている、『カツカレー(feat. 在日ファンク)』は始まる。
この『カツカレー(feat. 在日ファンク)』、文字情報だけ読めば、内容はもっともアルバム名に直結した「ファンク」であり、実際に歌詞を読んでも、そして再生しても、やっぱり超ストレートなファンクナンバーという印象になるだろう。
ただこれを、ステージで表現するとなったときに、香取慎吾はとんでもない方向から閃きを引っ張ってきた。
この超ストレートなファンクナンバーの途中で、香取慎吾はスタンドマイクの下に(わかりやすく)倒れ込んでしまう。
そして観客が思わず声を上げた次の瞬間、ステージ横から出てくるのだ、「マント」が。
「This was the first time that Brown, while singing “Please, Please, Please,” pulled out his “cape act,” in which, in the midst of his own self-induced hysteria, his fit of longing and desire, he drops to his knees, seemingly unable to go on any longer, at the point of collapse, or worse. His backup singers, the Flames, move near, tenderly, as if to revive him, and an offstage aide, Danny Ray, comes on, draping a cape over the great man’s shoulders. Over and over again, Brown recovers, throws off the cape, defies his near-death collapse, goes back into the song, back into the dance, this absolute abandonment to passion.」
(ブラウンが「プリーズ、プリーズ、プリーズ」を歌いながら、初めて「ケープ・アクト」を披露した。自ら引き起こした激しい興奮、渇望と欲望の発作の最中、彼は膝から崩れ落ち、もはやこれ以上続けられないかのように、崩壊寸前、あるいはもっとひどい状態に陥る。バックシンガーのフレイムズが、まるで彼を蘇生させようとするかのように優しく近づき、舞台裏でサポートしていたダニー・レイが登場し、この偉大な男の肩にケープを掛ける。ブラウンは何度も何度も立ち直り、ケープを脱ぎ捨て、瀕死の崩壊をものともせず、歌に戻り、ダンスに戻り、情熱に身を委ねる)*6
(David Remnick『The Possessed: James Brown in Eighteen Minutes』THE NEW YORKER 100)
ジェームス・ブラウンに「idol」のそれを重ね合わせるという行為。これは25年前なら間違いなく”ホンモノの音楽ファン”に怒られているのだろうし、15年前でも……やっぱり怒られていたような気はする。
そしてその25年前、実は本物のジェームス・ブラウンその人が、SMAPに『ジャラジャラJAPAN 〜for the Japanese〜』(アルバム「S map〜SMAP 014」収録)というオリジナル楽曲を提供していたりするのだが、同曲のパフォーマンスを唯一行った「SMAP'00 "S map Tour"」におけるステージ上のSMAPは、やはり非常にお手本的な日本アイドルのそれであった。
といっても当時23~28歳、CDデビューからはまだ10年経っていない、だけど人気絶頂で想像を絶するハードスケジュールの中にあった彼らのことを考えると、むしろそれが最大の正解であったと思う。
だが、自らとその周りで起きた全ての出来事を越え、また今もなお、そこから続く道の途中にいる2025年の香取慎吾には、蓄積された経験とインプット、そして何より”肝っ玉”が、備わっているのである。
ちなみにこの作品において、香取に在日ファンクとのコラボを提案したのは、2024年2月に54歳の若さで亡くなった「SMAP×SMAP」の元チーフプロデューサー・黒木彰一だった。
黒木との最後の会話で、香取は黒木に、「これからもステージに立って歌い続けることを決めた」*7と伝えている。
「自分の根本には「香取慎吾はアイドルとして生きてきた」という部分があるんです。それを僕は大事にしているし、いつまでもなくしたくない」
(香取慎吾「香取慎吾「Circus Funk」全曲解説インタビュー|3rdアルバムに込めた“笑顔の決意表明”」音楽ナタリー)
そしてその誓いはまた、倒れ込むステージの上で一瞬の「idol」に姿を変えるジェームス・ブラウンのかつての言葉と、何か通じるものがあるように、2025年の私は感じた。
「It’s a spiritual-background thing. You’re involved and you don’t want to quit. That’s the definition of soul, you know. Being involved and they try to stop you and you just don’t want to stop. 」
(精神的な背景がある。一度関わってしまうと、やめたくない。それがソウルの定義だよ。関わっていると、誰かが止めようとしても、やめたくない)*8
(David Remnick『The Possessed: James Brown in Eighteen Minutes』THE NEW YORKER 100)
中森明菜
またもう一人、今回のアルバムおよびツアーの披露楽曲において、香取以外に唯一「idol」ではなく「アイドル」として重なっている特別な存在。
それが中森明菜である。
香取のインタビュー記事のコメントによると、アルバム収録の『TATTOO』は当初、香取のみが歌うカバーソングとして構想が練られていたようだ。
ただ同じ時期、中森明菜はちょうど少しずつ歌手活動を再開し始めていた。そのため、カバーをさせてほしいという挨拶とともに「もしも叶うならば一緒に歌ってもらえないですか」と伝えたところ、明菜側から快い了承の返事が届き、デュエット実現に至ったのだという。
香取からすれば、中森明菜は「アイドル」として、さらには楽曲から衣装、ヘアメイク、振付など、セルフプロデュースで自身の世界を自ら創り上げてきた「クリエイター」として、偉大な先駆者である。
そしてその偉大な先駆者との奇跡的な邂逅に、「アイドル」香取慎吾の祈りは、確かに繋がっていた。
「「Circus Funk」は僕にとって3枚目のアルバムで……1枚目と2枚目を出したときは、お祭り騒ぎみたいにパッとやってみて、それで終わることもあるんじゃないかとも思っていたんです。だけど今回のアルバムには「今後ずっと歌っていこう」という決意表明のような思いも込められているから。自分の中にそういう思いがあったところに明菜さんが来てくれて、本当にうれしいですという気持ちをレコーディング終わりに伝えたら、僕のほっぺたを持って「がんばってくださいね」って。涙が出ました」
(香取慎吾「香取慎吾「Circus Funk」全曲解説インタビュー|3rdアルバムに込めた“笑顔の決意表明”」音楽ナタリー)
マイケル・ジャクソン
最後に、特定の楽曲ではなく、むしろライブの全般に渡ってほのかに見え続けていたのは、香取にとっての永遠の「idol」、マイケル・ジャクソンの存在だ。
1988年の来日公演、東京ドームの最前列で「目が合って」*9以降、アイドル・香取慎吾を創り上げていく彼のイマジネーションの中には、常にマイケル・ジャクソンの輝きがあった。
そして香取は、自身のアイドル人生の節目となるその時、自らが立つステージに手をついて、マイケルに必ず語り掛けるようになっていく。
始まりは1996年、SMAPのメンバーとして、初めてドームツアーのステージに立った時。
「マイケル、やっとここまで来たよ」
次に2016年、SMAPのメンバーとして、最後の歌収録を終えた時。
「一回、ステージから降ります、マイケル」*10
そして時が経ち、「アイドル」として生まれて初めて、一人で全国ツアーを行うことになった今。
そのソロライブ後半、香取慎吾は何も言わずにそっと、片手だけに手袋をつけている。
ラインストーンが散りばめられたその手袋の輝きは、モニター越しじゃなくても、観客たちの方へキラキラと直接光を反射する。
曲が始まるとアイドル・香取慎吾は、その手袋とともに、観客に歌いかけ、踊り、時に細かな感情表現を送っていく。
するとライブが終わった後、空気がゆっくりとそれぞれの日常に戻っていく中で、あのまばゆい光の記憶とともに多くの観客が必ず一度は思うのだ。
「あぁ、きっと目が合った」
ーー
2025年5月の東京を皮切りに6月福岡、7月兵庫、北海道と続いてきた「SHINGO KATORI 1st LIVE TOUR Circus Funk 2025」だが、執筆時点で残るは7月19日、20日の愛知公演のみとなる。
ちなみに、これは今回だけでなく、事務所移籍後の香取慎吾のライブ全般に該当するのだが、現在の香取慎吾のライブは基本的に一般発売が行われている。
もちろん先着順ではあるが、チケットぴあとイープラスはまだギリギリ受付期間が残っているようなので、興味のある方はぜひ、あの「アイドル」と「idol」の対話のステージを、その目で確かめてみてほしい。
なお各地方公演ではSHOW-GO、乃紫(福岡)、LEO from ALI(兵庫)、Chevon(北海道)とゲストアーティストが参加してきたこのツアーだが、最後の愛知だけは、未だ”シークレット”となっている。
circusfunk2025.com
open.spotify.com
<STORE>
*1:SMAP 2008 super.modern.artistic.performance tour
*2:実際、例えばこの1950年代~1964年上半期に10~20代が重なっている作家・阿久悠の著書「夢を食った男たち」(文藝春秋、2007年)には、こんな一節がある。「尊敬と崇拝、せいぜい俗っぽく下って憧れであって、ジョン・F・ケネディも、エルビス・プレスリーも、ザ・ビートルズも、石原裕次郎も、長嶋茂雄も、アイドル、もしくは、時代のアイドルという呼ばれ方をしていたのだ。少なくとも、大きく感じられる存在ということが条件になっていた」「高い位置に存在し、巨大な印象の人であったはずのアイドル」
*3:なお村田陽一はSMAP時代から関わりが深く、「FLY」「華麗なる逆襲」など数多くのSMAP作品に参加していた。:村田陽一『東京SNG』note https://note.com/yoichi_murata/n/n61c3183ec8e5
*4:乗田綾子「1944年のフランク・シナトラ」note https://note.com/drifter_2181/n/n4103e77d1451
*5:キティ・ケリー(柴田京子訳)『ヒズ・ウェイ』文藝春秋、1989年
*6:Google翻訳による日本語訳
*7:香取慎吾「香取慎吾「Circus Funk」全曲解説インタビュー|3rdアルバムに込めた“笑顔の決意表明”」音楽ナタリー https://natalie.mu/music/pp/katorishingo
*8:Google翻訳による日本語訳
*9:「香取慎吾、ソロで初のアリーナツアー開催 自身の原点は「マイケル・ジャクソンの東京ドーム公演」」スポーツ報知 https://hochi.news/articles/20230122-OHT1T51228.html
*10:「香取慎吾、ステージは「居たい場所」ファンミで気づいた自身の“原点”」Music Voice https://www.musicvoice.jp/news/145684/