小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

「北海道の小さな町で聴こえた、宇多田ヒカルと藤圭子」

北海道に住んでいるのですが、最近時間があると、よく日帰りドライブをしています。
昨日は朝に思い立って、北海道南部の日高地方を1日かけて周ってきました。
日本有数の馬産地としても知られる日高は、道央部に一番近い日高町・門別地区までで札幌から約100km、一般道で2時間30分。
私が今回訪れた中で最南部*1の新ひだか町・静内地区は札幌から約130km、一般道で3時間かかります。

遠出の時はなるべく地元のお店に寄るようにしているのですが、お昼ご飯を探しに行ったある小さなスーパーで、その時かかっていたのは宇多田ヒカルの「花束を君に」でした。
おばあちゃん同士が雑談をし、お父さんと子供が花火を買いに来る。
東京から遠く離れたこの地の、とても小さな社会の日常に、リアルタイムで溶け込んでいる瞬間を体感すると、あぁやっぱり音楽ってすごいものだなと心から感じます。


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月の初めには、こんなところにも行っていました。

これは札幌にもう少し近い北海道中央部、空知地方の旧炭鉱町で撮った風景です。
近年では北海道米の産地として知られるようになってきた空知ですが、実はそう遠くない1980年頃まで、この地域の主力産業は石炭でした。

まだ日本のエネルギーを石炭が担っていた頃、良質な炭山を複数抱えていた空知には沢山の働き手とその家族が集まり、街を発展させていきました。
しかし1960年代に原油の輸入自由化をきっかけとしたエネルギー革命(石炭から石油へ)が起こると、石炭産業は急激に衰退。
炭鉱の閉山が相次ぎ、その流れとともに人も一気に離れます。

そんなに遠くない昔、この地域にはもっとたくさんの人の声がありました。
そしてその中には生活があり、娯楽があり、映画館や会館では新作映画や歌手の生ステージを鑑賞することもできました。
しかし人の賑わいが消えると、街はその時を永遠に止めます。
旧炭鉱の周りには今も人の住んでいる家が少し残っていますが、炭鉱で栄えた風景は2016年の今も、私が生まれる前に作られた姿のままです。

後に知ったのですが、北海道の炭鉱町から人がいなくなり始めた1970年当時、10週連続でオリコン1位を獲得していたのは藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」だったそうです。



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あの日あの時、小さな社会の日常で”彼女たちの歌”が聴こえていたこと。
それはきっと、偶然や奇跡ではないのでしょう。
その音楽は、抗えぬ時の中で、生きる人に今日が訪れた証。

そして誰かの小さな思い出が昨日にあった、儚く尊い、その証でした。


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*1:正式な日高地方の最南部、えりも町は札幌から約210km、一般道で4時間30分です