昨日今日と、Xのおすすめにこのようなポスト①、そしてそれに反応した引用ポスト②が続けて流れて来た。
①「喜多川の被害者の方で顔出しでお話しされてる人の中に、Jrであまり学校も行けてないから事務所辞めたあとまともな仕事に就けず、年誤魔化してホストやってて、でもそれもよくないと肉体労働にシフトしたという方がいた。そのまま夜の世界にいたら反社に行く道筋なんか容易に想像できちゃうよね」
②「ジャニーズは学業優先です。大学、大学院まで行ってる人沢山いますよ。最近だとスノーマンの阿部君は上智大学大学院卒。前だと嵐の櫻井君が慶應、NEWSの小山君と山Pが明治、加藤君が青山、JUMP薮君が早稲田、伊野尾君が明治などなど。まだ沢山います。超売れっ子でも勉強と両立可能なんですよ」
それぞれの内容は正直、個々に切り分ければまぁそうだよねと飲み込める感じなのだが、確かにここ20年くらいの旧ジャニーズは学業優先が見えやすかった一方、それ以前の時代となるとまた違った話になってくるんだよな……という引っかかり、
なのに両ポストとその周辺反応の視点はたぶん2~30年単位で思いっきりすれ違ったまま今も進行している、そんな状況へのモヤモヤが結構自分の中で大きく、なんだかどうしても消化できなかった。
そのため、急遽資料を引っ張り出してみた次第である。
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①旧ジャニーズの「学業優先」は創業当時(1960年代前半)から
雑誌資料で追っていくと、旧ジャニーズは1960年代初頭の創業間もない時期から、すでに「学業優先」をアピールする芸能事務所ではあった。
実際にもまだ大学・短大進学率が10%台*1の当時、初代ジャニーズは全員四年制大学(日本大学)に進学していたりする。
「現在のジャニーズは、真家ひろみ=17歳、東京商高3年生。中谷良=16歳、堀越高校2年生。飯野おさみ=17歳、都立農高3年生。あおい輝彦=16歳、日大鶴ヶ丘高校2年生。ともに進学は、日大芸術学部を目標にしている」
(『週刊明星』1964年7月5日号)
「(記者)真家さんと飯野さんはこんど日本大学に合格されたそうですね、おめでとうございます。
(真家・飯野)どうもありがとうございます。(頭をかきながらちょっとはずかしそう)。
(記者)『ジャニーズ』さんてたいへんお忙しそうですが、一日のスケジュールは?
(中谷)ぼくたちみんな学校があるでしょ。だからかならず学校に間に合うように起きます。」
(『中二時代』1965年6月号)
②しかしその一方で、まずそもそも昭和(~平成前半)の芸能界は、「学業優先」を否定気味だった
そこから1970年代に入ると大学・短大進学率は急上昇、1973年には3割を越え、1974年には35.2%*2に達している。
だが一方で、若者のそうした進学志向は、特に芸能界では否定される傾向が長らくあった。
やはり1974年の『週刊平凡』に掲載されている座談会記事「ホントに学業と芸能活動は両立できるか」では、出席した芸能関係者の複数が揃って「芸能活動と学校の両立は難しい」と話している。
その理由は発言の端々から読み解くに、やはり事務所内の事情というよりももっと大きい、コントロールできない領域に存在していたようだ。
「(ドラマの拘束時間を聞かれて)NHKでしたら4日間ですよ。それも自分のあいている時間に出演させていただくなんてまったく不可能です。学校にいってる連中は若いでしょ。共演者の中にはもっとえらい人がたくさんいますから、こちらのつごうで時間を変えてもらうことはできません」
「ただ、中学ならできると思います。義務教育だからということで、かんべんしてもらえるからです。でも、高校へ行っちゃうと、なにいってるんだ、だったら歌手なんかやめさせちゃえ!ということになるわけです」
(『週刊平凡』1974年3月14日号)
そもそもこの座談会も、始まりは当時人気絶頂の新御三家・郷ひろみや野口五郎が揃って高校留年を余儀なくされたというニュースからだった。
そして新御三家以降の旧ジャニーズ・デビューアイドルの学歴を見てみても、高校より先の進学が叶っていたのは東京工芸大学短期大学部を卒業できた川崎麻世くらいである。
大学進学率自体も少し伸び悩み、さらにまだ芸能界にも「学業優先」の否定ムードが残っていた80~90年代半ば(たのきんトリオ~V6)に関しては、高校中退者も多いのが実情であった。
③「学業優先」の尊重がテレビ局・芸能事務所双方で広くメリットになり始めたのは、大体2000年あたりから
この芸能界の”慣習”がやっと変化を見せ始めるのは、2000年代に入る頃だ。
その前段階としてまず1999年、それまで曖昧に運用されていた未成年タレントの活動時間について、15歳の女性タレントを深夜の生放送番組に出演させた所属事務所とラジオ局関係者が書類送検されるという”事件”が起きていた。
「15歳未満の芸能人は21時以降に生出演させない」といった自主規制が、本格的に放送局・芸能事務所間で浸透し始めるのがこのあたりからである。
そして続く翌2000年、ここで嵐の櫻井翔が慶応大学への進学を発表している。
実はジャニーズJrというくくりだと、小原裕貴や秋山純など、櫻井の1学年上あたりから四年制大学への進学者はもうチラホラ出始めていた。
だが1980年代~のデビュー組というくくりになると、1992年の光GENJI・赤坂晃の亜細亜大学進学(後に中退)以降、留年もなくきっちり4年で卒業までしてみせたという点も含め、やはりこの櫻井翔が第一人者になる。
そして彼を突破口として、旧ジャニーズの後輩たちがどんどん大学へ進学するようになるのはもう周知のとおりだろう。
また世間一般の大学進学率も、櫻井翔が大学を卒業した直後の2005年に、初めて5割*3に達していた。
つまり「ジャニーズは学業優先です。大学、大学院まで行ってる人沢山いますよ」とまで言いきれる状況になったのは、やっぱり芸能界の実情から見ても世間の動きから見ても、この2000年代あたりからの話になるのである。
④ただ、だからといって旧ジャニーズの「学業優先」を手放しで絶賛するのも、少し注意がいる
ここまで書いてきたように、基本的に旧ジャニーズは古くから「学業優先」をアピールしてきた芸能事務所であり、資料を追っていてもその主張に関しては概ね一貫している。
ただ、創業の1960年代から過去資料を読み進めていて気になったのは、その聞こえのいい「学業優先」アピールは、同時に性加害の事実を覆い隠すパフォーマンスにもなり続けていたのではないだろうか、という点だ。
例えば、それこそ1960年代の話である。
初代ジャニーズのレコードデビューが日に日に近づいていた1964年9月、週刊誌*4でジャニー喜多川氏と芸能関係者との移籍・金銭トラブルが報じられると、翌1965年にはその争いが裁判に発展する。
そしてその訴えの中に「喜多川氏がみだらな行為をしたために」損害が起きたという主張、および実名での被害証言*5が盛り込まれていたことから、ここで初めてジャニー喜多川氏の性加害疑惑が浮上することになった。
だが、当時この件について質問された初代ジャニーズメンバーの親たちは、息子たちが旧ジャニーズ事務所で引き続き活動することを揃って肯定する。
実はその時の返答を全面的に支えていたものこそ、「学業優先」を育成方針に掲げていたジャニー喜多川への信頼なのである。
(初代ジャニーズメンバー・Aの母親)「ジャニーさんは、チームの人気が出てきてからも、”学校だけはキチンと卒業しなければいけない”とおっしゃってましたし、夜遅くなれば自分の車で送ってくださるというに、可愛がってくれました」
(『週刊明星』1964年9月27日号)*6
(初代ジャニーズメンバー・Bの父親)「私も息子を、プロのタレントにする気持ちはない。勉強の余力を、スポーツや歌に向けることは、人間修養の上でも結構と思って、ジャニーさんにおまかせした」
(『週刊明星』1964年9月27日号)
(初代ジャニーズメンバー・Bの父親)「(芸能活動に反対だった父親の自分に対して)ジャニーさんは勉強にはぜったいにさしつかえないこと、なにごとでも、ひとつのことをなしとげるのは意義があるということを話した」
(『週刊サンケイ』1965年3月29日号)
そして上記トラブルの発覚以降、マネジメントから「身をひき」「たまに会ってアドバイスをする」以外は「姉に一切まかせている」というスタンスに切り替えた*7ジャニー喜多川氏に代わって、外部取材の対応役となった姉のメリー喜多川氏も、ことあるごとに旧ジャニーズ事務所の「学業優先」をアピールしていく。
実はこの時期、メリー喜多川氏はすでに、外部からの性加害の訴えに関して「ジャニーは一切無実」とまくし立てていたとの証言*8が存在する。
その上で、所属タレントには取材を通じて「学業優先」の信念を積極的に語らせ、自身も世間に向けて自分たちの「学業優先」主義を熱心にアピールしていった。
「芸能界では少し人気の出はじめた若手シンガーに不良っぽいのが多い。ところがジャニーズはちゃんと学校に通っている。試験の時には仕事まで休んで、勉強にはげむ。(中略)マネージャーのメリー・喜多川さんもこの点を、「テレビや舞台ではスターかも知れませんが、学校ではなるべく一人一人の学生に徹するようにさせています。だから家庭や学校での取材には協力できません」とはっきりした態度で打ち出している」
(『映画ストーリー」1965年6月号)
「グループのママさん役であるマネジャーのメリー喜多川さんには、ジャニーズについての大方針があるという。それは、目先のことより十年先を考えること。そして大衆に愛される本格的なミュージカルをつくることだという。そのために、四人とも大学(日大芸術学部)に入学させ、仕事を抑制してまでも学校へ通わせていた」
(『週刊平凡』1967年10月26日号)
初代ジャニーズの解散前からすでにジャニーズの”ママさん”と呼ばれ始めていた、そんな女性が重ねていく「学業優先」のイメージは、直近の性加害証言の生々しさも確実に薄れさせる効果があっただろう。
だからこそ一度はマネジメントから「身をひいた」はずのジャニー喜多川氏も、1970年代には再び“子供たちの育ての親“として、誌上に堂々戻ってくるのである。
(『週刊明星』1978年6月18日号)
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このように、実際の流れを追ってみると、やはり若い芸能人の学業優先が叶うようになったこと自体がまだ割と最近の話であり、特に歴史の長い旧ジャニーズ事務所に関しては、芸能界自体の慣習も相まって「あまり学校行けてなかった」者も、過去にまぁまぁ実在しているのである。
ただ、そういった長期的な視点での事実を概ね内包しているポストが執筆現在*9で770件のいいねなのに対して、ここ20年ほどの「ジャニーズは学業優先です。大学、大学院まで行ってる人沢山いますよ(以下学歴羅列)」の引用ポストは1.7万件のいいね、
さらにはそこから派生した引用ポストが「無知」「ジャニの知識ないくせに想像でものをいうから説得力ない」「ちょっと調べればすぐにわかる」「あなたこそもしや学校行ってないのでは」というように、元のポスト投稿者をひたすら殴り続けている。
そうした光景は、もちろんファンの総意では到底なかったとしても、
それこそ性加害の隠蔽にも繋がった旧ジャニーズ時代の数の暴力による正当化をもう一度見せられているようで、あんまりいい印象を持てないのが素直な感想である。
※2024.9.15~9.17 一部加筆
*1:「政府統計の総合窓口(e-Stat):学校基本調査 年次統計:進学率(1948年~)」https://www.e-stat.go.jp/
*2:「政府統計の総合窓口(e-Stat):学校基本調査 年次統計:進学率(1948年~)」https://www.e-stat.go.jp/
*3:「政府統計の総合窓口(e-Stat):学校基本調査 年次統計:進学率(1948年~)」https://www.e-stat.go.jp/
*4:『週刊明星』1964年9月27日号
*5:『週刊サンケイ』1965年3月29日号
*6:なおメンバーAはデビュー前からすでに性被害を受けていたが、そのことを実名告白するまでには、母親によるこのコメントから25年の経過を必要とした
*7:『週刊明星』1964年9月27日号
*8:『週刊サンケイ』1965年3月29日号
*9:2024.9.13の0時時点