小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

「さよならの9月」

富良野 Furano

新しい元号になって最初の夏、北海道はいつになくずっと暑かった。
毎日お見舞いに通っていた祖父の病室も、記憶の中では、いまだ夏の終わりの蒸し暑さが残ったままだ。
2019年9月、祖父は静かにその生涯を終えて、天国へ旅立っていった。
病室で最期を看取り、通夜や告別式、初七日とひとつひとつを終えていく中で、あぁ日常を取り戻していかなければならないなと思うし、実際着実に取り戻してきているとも感じているのだが、
今日はどうしても、ふいに涙が流れてきてしまう。
9月の最後の日が暮れる。
あぁ、"じいさん"がいた9月は、もう本当に終わってしまうのだなぁと、
遠くなっていくオレンジ色の空を見ながら思っている。

写真越しに見る元気だった頃の姿よりも、今はまだ、お見舞いのときにずっと握っていた大きな手の感触や、手を握れないときに代わりにさすっていた肩の細さ、病室から見えた風景のひとつひとつ、それに棺に入っていた国鉄の制服、そういう細かな記憶ばかりを、ずっと手放せずに過ごしている。
しかしそれもいつかは、遠く離れた過去になる。
生きているからこそ、それが待ち遠しくて、寂しい。


この1ヶ月の出来事とそこで降り積もった気持ちに、やはり最後に何か折り目のようなものをつけておきたくて、
そうすると、やはりこの場所が一番適してるような気がした。