小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけ続け、執筆業になりました。2017年に初の著書『SMAPと、とあるファンの物語 -あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど-』(双葉社)がでました。

「ヨコハマメリー」


私はメリーさんを自分の目で見た、最後の世代なのだと思います。
国鉄民営化をきっかけに転職した元国鉄マンの父が奇しくも日本の鉄道開業の地、桜木町で働くことになり、一家でついてきた1988年、すでにメリーさんは有名人で、私たちもすぐにその姿を見かけることになりました。
まだその時4〜5歳の私はメリーさんの人生の筋道というのは当然知らず、わからず、ただすれ違う人の反応で、メリーさんがこの街でどう思われながら生きているのか、ということを少しずつ覚えていきました。


平成になり、私が小学生になっても、関内の風景にはメリーさんがいて、遠くでその姿を確認する、時にはドキドキしながらすれ違うということがよくあったのですが、私が電車で20分ほどの港南台に引っ越し、大岡川沿いにあった桜木町の団地が取り壊される頃、メリーさんも横浜の風景から姿を消しました。
その後の消息は長らく不明だったのですが、私が大人になって新社会人として横浜に戻ってきた2006年、偶然にも伊勢佐木町のニューテアトルでメリーさんのドキュメンタリー映画が公開されるとのことで、どうしても気になり、当時一人で見に行きました。


平成育ちの私が港南台に引っ越した後、クラスメートでメリーさんを知っている人が一人もいなかったように、メリーさんのドキュメンタリー映画を見に来る同世代は当時全然いませんでしたが、その代わり場内はメリーさんとともに年齢を重ねた年代の人たちでまるで同窓会のように賑わっていたのを、今でも覚えています。
そして映画のラストで私たちがあの時見ることのなかった、素顔のメリーさんが映った瞬間。


メリーさんが横浜からいなくなって22年、私がもう一度横浜を離れて10年が経ち、2個あったマルイも森永ラブももはや松坂屋も無くなってしまった伊勢佐木町の有隣堂で、この本を買って、背中の曲がったメリーさんを、橋の上ですれ違ってこちらをじっと見た白いお化粧のメリーさんを思い出すと、私が見ていた『ヨコハマ』は本当にあったんだな、でも全ては変わっていくんだなと、港町の本質というものを改めて心に感じます。


そういやうちの母親にこの書籍の話をしたら、昔メリーさんが弁天橋を歩いてるところを見たことがあると言ってました。
メリーさんはあの橋の上からみなとみらいの原型やランドマークタワーを見たのかな、横浜最後の日に関内駅からタクシーで見た風景、故郷でもずっと覚えていただろうか。


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