小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

「地方民も行った℃-uteコンサートツアー2015春~The Future Departure~@横浜アリーナ」

2015年6月11日。
アイドルグループ℃-uteにとって結成10周年のメモリアルデーとなったこの日、その瞬間に立ち会うべく…ついに横浜アリーナに行ってきましたー!

2013年の秋ツアー以降、私の住んでいる北海道では℃-uteの単独ライブは開催されておらず、またリーダーの矢島舞美ちゃんがメッセージを送り続けてきた「参加できなかった人」のリアルな体感を持っておきたいというのもあったので、この2年間、私はずっと生の℃-ute単独ライブを見ずに過ごしてきました。
でも、この日は絶対に行く理由があったし、行かなきゃ後悔すると思いました。
℃-uteにとっての夢の景色は、ずっと昔から応援しているファンにとっても、いつか見れると信じていた、夢の景色でした。

『℃-uteコンサートツアー2015春~The Future Departure~』 横浜アリーナ公演

 --シングルMVのVTR--
01. まっさらブルージーンズ
02. 即 抱きしめて
03. 大きな愛でもてなして
04. わっきゃない(Z)
05. 桜チラリ
06. I miss you
07. 悲しき雨降り
08. ほめられ伸び子のテーマ曲
09. メドレー
  夏DOKIリップスティック~ディスコ クイーン~地球からの三重奏~君の戦法~通学ベクトル~One's LIFE
10. 江戸の手毬唄II
11. 心の叫びを歌にしてみた
12. 世界一HAPPYな女の子
13. SHOCK!(ハロプロ研修生)
14. Flashdance... What a Feeling(カバー曲)
15. 次の角を曲がれ
16. 君は自転車 私は電車で帰宅
17. The Middle Management~女性中間管理職~
18. ひとり占めしたかっただけなのに
19. アダムとイブのジレンマ
20. 悲しきヘブン
21. Midnight Temptation
22. 都会っ子 純情
23. Kiss me 愛してる
24. 僕らの輝き
25. ザ☆トレジャーボックス
26. 超WONDERFUL!
27. Danceでバコーン!
28. たどり着いた女戦士
29. JUMP
30. 我武者LIFE

* * * * * *

ライブ内容についてはもう日にちが経っていることもあり、ほぼ感想は出尽くしちゃったかなと思うんですが、それでもあえて好きに書き残させてもらうと、まず…
もう最初の「シングルカウントアップVTR」だけで私はめちゃくちゃ鳥肌立ってました!
VTRが始まった瞬間のどよめきで、「これは既存のツアーに全くなかったものなんだな」*1っていうのが感覚的に伝わったし、だからこそ押し寄せる今の℃-uteの強さ、凄さですよね。
10年目の記念日に守りに入るんじゃなく、最高の形でむしろ攻めにきたんだこの人たちはと。
誇らしいとか勇ましいとか、それ以上にこの人たちは逃げることなく10年を背負いにきたんだと。
しかもVTRに目をやればこの10年ひとっつも見落とすことのなかった思い出が、メンバーだけじゃなく自分の中にも溢れてくる。
すでに泣きました。わんわん泣きました。
でもあの一瞬すべてが明るくふっとびました。ずっと大好きなセリフでした。

「まっさらブルージーンズ!!」

萩原舞

ハロプロに入った頃のマイマイは、きっと仕事関係の近しい大人も似たような感想を持ってたところがあったんじゃないかと思いますが、大人のファンにとっても当時は何を思っているのか全くわからない…
とにかくめちゃくちゃな幼さ、でも一方でははっきりと、れっきとしたハロー!プロジェクトの一メンバーでもありました。

℃-uteが結成された時も、まだバリバリ子供で、しまいには謎の経緯でサングラスキャラまで設定され、今振り返っても℃-uteの初期、特にマイマイあたりのブランディングは、なんかむちゃくちゃだったなぁと思います…(笑)
でもそれが回りまわって10年め、まっさらでマイマイがもう一度サングラスかけてステージに出てきた時は、正直やられたと思いました。
謎のサングラス少女が、あんなかっけー℃-uteの萩原舞になるなんて反則でしょ!!!
一言でまとめると、あのサングラスの奥には”アイドルの分析不能の奇跡”が隠されていたんだなぁってやっと一つ答えがでました。
答えが出るまで10年。短いようで、長いような、でもやっぱり短いような、あっという間の月日だったように思います。

私はこの10年の中で、今の「℃-ute萩原舞」が一番好きです。
好きというか、やっと自然体の萩原舞という気持ちにファンが出会うことができた、そんな嬉しさのような気もします。
言葉だけで年数を数えても、実際にはマイマイは悩んだり苦しい表情をしていた時間の方がずっとずっと長かった。
だからこそ、今を楽しんで、笑って、時には甘えて、そして前を向いて。
もうすぐ始まる20代は今までの分まで、明るくかっこよく突っ走ってほしいなって、
ただそのことだけを一ファンとして願っています。

最後に…Mステでマツコさんが言ってた「3年前には仕上がってた」っていう言葉、あれはね、やっぱり萩原舞の成長という最後のピースが揃った瞬間に実ったものなんじゃないかと思います。
目を惹く顔立ちの舞ちゃんが色っぽさを湛えた瞬間に、可愛くてかっこいい℃-uteの魅力はついに完成しました。
℃-uteの垢抜けたビジュアルイメージを今牽引してるのはまじで実は萩原舞です!

岡井千聖

岡井ちゃん。あなたがまだ小学生だった頃、私はロマンティック浮かれモードの藤本美貴の歌マネで大人顔負けのビブラートを効かせていたあなたを見た瞬間から、「こいつは絶対将来歌唱メンになるぞ」と確信していました。
でも思ったよりもずっと長い時間、あなたは目立つ歌パートをなかなかもらえませんでした。
なんでかなぁ、あんなに歌の素質があるのになと、当時事あるごとに思っていました。
今「℃-ute 10th Anniversary Book」も読んだ上で、一つ思ってる事があります。
…どんだけバックステージでも素で子供だったんだよ岡井ちゃん!!!(笑)

岡井ちゃんもハロプロ加入時は本当に子供という印象で、でもマイマイと違ったのは、昔の岡井千聖は思ってることが全部表に出てしまうタイプの子供でした。
でもファンとしては、芸能界に入った子供なんだから、表に出てるのはある程度脚色した子供っぽさで、裏ではもうちょっと大人とうまくやってるのだろう…と信じてた節があります。
…からの「℃-ute 10th Anniversary Book」のインタビュー読むと、裏でもあのまんまだったのかよ!!という衝撃。
ある意味そんくらい普通の子供が突然するっとプロになってしまったという衝撃でもありますよね、岡井千聖というアイドルは…!!

でもやっぱり、岡井ちゃんはなるべくして、「℃-ute岡井千聖」になったのだと思います。
これも前から思ってたけど、なんでもこなせてしまう超人アイドル・鈴木愛理にはグループ内にいい意味でのライバルって絶対必要だったし、それに完璧な形で成り得たのは、年上の村上愛じゃなく、やはり同い年で真逆の声質を持った岡井千聖だったと思うんですよ、
例え歴史がどうなっていたとしても。

岡井ちゃんが今スリートップの一角を担っていたり、ツートップの一角を担っていたり、時には一人で会場全体の耳をぐっと惹きつけている、そんな未来の今って私にとっては「最高の現実」ってことば以上に思いつくものがないです。
結局子供だろうがなんだろうが、あなたは℃-uteの未来を明るく照らす大切な可能性の1人だった。
横アリで「僕らの輝き」が聴けたのも本当に本当に嬉しかったです!

鈴木愛理

結論から言います。私が℃-uteをずっと応援してきてよかったなと思えた出来事の1つは、愛理ちゃんが心の底から℃-uteであることに誇りをもってステージを一緒に作り上げているその瞬間を、この目で見られたときです。

愛理ちゃんは岡井萩原とはまったく違う性格で、なんならキッズオーデの時点からすでにどこか子役っぽい成熟*2も持ち合わせていたから、見ていて表向きに、あんまり外野を振り回したことっていうのはなかったと思います。
でもファンだからこそなんとなく見えてしまう本音の苦しそうな時期っていうのは実際にあって、それは最近本人も触れていましたけど、彼女自身が℃-uteのメンバーである意味を見出し切れていなかった頃。

最近やっと公に語ってくれるようになったので言及できますけど、なんならデビュー2年目以降~同い年の岡井ちゃんが前に出てくるまでは、大なり小なりそういう部分を、鈴木愛理という人はどこかずっと持ち続けていたような気がします。
今振り返ってみると、それはある意味、一見完璧なアイドルに見えた一人の女の子の10代という実像が投影されていた悩み、そして苦しみだったのかもしれません。
そしてファンなりに苦しかったことがあるとすれば、結局ファンはそういうのをなんとなく飲み込みつつ、知らないフリでグループを応援し続けることくらいしかできなかったという現実で…

だからなんだかね、そういうのを経て10周年のステージで今や沢山の同性からも熱い声援を受けて、何より一緒にステージに立つ仲間のパワーに自信をもって大好きな歌を歌っている、そんな「℃-ute鈴木愛理」が成立した今って、それはそれで、また奇跡みたいな感動のようにも、私なんかは、ちょっと感じてしまうところがあります。

あなたが℃-uteになってくれて、本当に良かった。

中島早貴

今までこのブログであまり書いてないと思いますが、中島早貴ちゃん…
(すいません今でも個人的にはこの呼び名がしっくりきます)なかさきちゃんには実は、個人的に、この10年色々と思い出があります。

まず私のヲタ人生の中で、初めて”ヲタT”を買ったのが、実は2007年のなかさきちゃんでした!
(Cutie Circuit 2007 ~MAGICAL CUTIE 感謝祭~)

元々℃-uteは箱推しだったんですけど、その中でも特になかさきちゃんが気になった大きなきっかけは、確かその年の春に行われた「℃-uteコンサートツアー 2007春 ~ゴールデン初デート~」のライブ映像。
その頃のなかさきちゃんは7人も在籍していた℃-uteメンバーの中で、性格的にもスキル的にもまだなかなか前に出られない所があり、当時ほぼ在宅だった私なんかは、なかさきちゃんが目立ってるシーンってあんまり目にできる機会がなかったんです。
ただ2007年の春ツアーの中で、アルバム『2mini~生きるという力~』に収録されていた、なかさきちゃんとマイマイだけが歌う「ディスコクイーン」という曲がセトリに組み込まれていて、そこで(少なくとも私にしてみれば)初めて、なかさきちゃんが会場中の「なっきぃコール」を浴びるという場面が訪れる。
そこでステージから少し客席を見上げるなかさきちゃんの一瞬に、当時の私はものすんごくドラマ性を感じていました。

あともう一つこの頃記憶に刻まれているのは、確かこの年くらいから、なかさきちゃんのダンススキルがちょっとずつ注目されるようになっていったんですよね。
やっぱり何か自信を持てなかったような女の子が、一つずつ強みを見つけていくっていうのはものすごくグッとくるところで、
私その年の暮れに行われた「都会っ子純情」のリリイベ握手*3で実際に「ダンス凄く上手くなったね!いつも見てます、これからも応援してます」って、直接本人に伝えたことがあるんです。
その時のなかさきちゃん、やっぱりディスコクイーンのあの時と同じ表情で、目を見てグッって何回も手を握り返してくれたこと。今でも覚えています。
あれから、8年。

当時「ゴールデン初デート」に行けなかった私にとって、まさかこんな大きな℃-uteライブの会場で、自分があの「なっきぃコール」の一員になれるなんて、思ってもいませんでした!!

…あのメロディが流れた瞬間から、私はもう無我夢中でひたすらステージを見つめていて、途中でなんとか我に返って、モニターのなかさきちゃんの表情を確認しました。
「℃-ute中島早貴」はあの頃と違い、もう堂々と、上を見上げていました。
すっごくかっこよかったよ、夢を叶えてくれてありがとう、なかさきちゃん。

矢島舞美

そして、いよいよ最年長の舞美ちゃん。

なんかここまで年下メンバーの10年をごっそり振り返ってきた上で、改めて思うのは…
他の4人は結果的にこの10年でもんのすごく変わる部分を秘めていた女の子たちだったのに対して、舞美ちゃんだけは、いい意味で最初からずーーっと変わらなかった。
ずっと変わらないでいてくれた。
結果的にそのことに、全て救われてきたこの10年だったなって。

みんな色んな悩みを抱えていて、バラバラになったり、時にはそれが別れに繋がったこともあったんだけど、でも℃-uteというアイドルグループが途中で空中分解せずに10周年を迎えることができたのは、やっぱり最終的にはいつも舞美ちゃんの突き抜けた優しさ、そこに”帰る場所”がずっとあったからで。
そしてメンバーだけじゃなく、ファンにとってもそれは同じ意味をもたらしていたところがあったと思います、どんどん”会えるアイドル”が当たり前になっていったこの時代に、”会えないファン”の行き場所をずっと守り続けてくれたのが、「℃-ute矢島舞美」という人でした。

リーダーのあなたに、伝えたかったことがあります。
それは℃-uteにとって初めての横浜アリーナ単独公演が、インディーズ時代のシングルメドレーから幕を開けた時。
アリーナ席で真横から中央花道に一列に並んだ℃-uteを見た時、不思議なんだけど、私は本当に、そこに8人の℃-uteが立っているような、そんなイメージを覚えた瞬間がありました。

最初に私が℃-uteを好きになった時、℃-uteは8人グループでした。
℃-uteがインディーズデビューを迎えた頃、私はちょうど実家を出たばかりの新卒1年目で、色々慣れなかったり苦しいこともあった日々の中で、その頃狭いワンルームの自宅に帰ると、いつも寝るまでずっと夢中になって、℃-uteの映像を見ていました。
中でも一番見ていたのが、2006年5月のSSAでのライブ映像だったと思います。
カラフルなミニドレスで一生懸命歌い踊っていたあの頃の8人の℃-ute。
私が横アリの日、℃-ute横アリの中央花道で重ねてみていたのは、きっとあの℃-uteの姿だったのだと思います。

2015年の℃-uteは、8人の幼かった女の子たちを、本当に大きな横浜アリーナのステージまで連れていってくれました。
「気持ちは8人」、横浜アリーナであなたがいったその言葉は、私自身の年月をもってしても、やはり嘘ではなかったのだろうと思います。

* * * * * *

最後に、今回横浜アリーナで、あんなに大きい会場で、久しぶりに℃-uteの単独ライブを見る事ができて。

私がこの記事の最初に「ファンにとっても夢の景色だった」って書いたのは、実際に私自身が、まだ℃-uteが今より多い人数で活動していた時期に…
何かのライブを見ている中で、「この子たちをもっと大きなステージに立たせてあげたいな」って、はっきり思ったことがあったんです。
「きっとこの子たちなら立てる」って、そう信じてもいました。
でも結局、私も含めて当時のファンは、℃-uteを実際に大きいステージに立たせてあげることは実現できなかった。

横アリで途中から、すごく思っていたことがありました。
それはここ数年のモーニング娘。の時もそうだったけど、横浜アリーナの景色を℃-uteに見せてくれたのは、結局は℃-uteに気づいてくれた沢山の新規ファンの皆さんが全てだったんです。
皆さんが℃-uteに気づいてくれて、好きになってくれたから、℃-uteはあの日横浜アリーナのステージに立つことが出来ました。

℃-uteが無事に11年目に突入した今、改めて抱いているのは、新しく℃-uteを好きになってくれた皆さんの存在も含めて「ずっと℃-uteを好きでいつづけてよかった」、ただただその気持ちです。

…℃-uteが結成された頃から時は経ち、2005年当時は21歳の大学生だった私も、いつしか家庭持ちの31歳になってしまいましたけども…(笑)
でももうこうなったらこの先、いつか彼女たち自身が違う道を選ぶその瞬間までは、いくつになってもどんなことがあっても、とことん℃-uteを大好きでい続けようと思います。

でも同時に今は、”その時”を選ぶタイミングじゃない、とも思います。
私は11年目も、℃-uteに対して今また同じことを思い始めています。

「この子たちを、もっと大きなステージに立たせてあげたい」!


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*1:私は横アリ終了後まで、以前のセトリはあえて一切確認しないようにしていました

*2:アップフロントミュージックスクール出身というのも大きかった思いますが

*3:「℃-ute Cutie Circuit 2007 ~都会っ子純情~ 札幌 ノルベサ X'mas握手会」