まず、昨日の「アイドルを否定したいアイドルファンたち」でいただいたコメントがすごく良かったので、紹介させてもらいたいと思います。
まず誤解のないように書いておきますが、ファンの皆さま全員が全員そうである、とは思っていませんし考えてもいません。
単純にそういったイメージが強い市場、商品、比較するならば声優ファンなんかと似ている感じがするということです。
まあ自分自身が商品である芸能人?自体が基本的にそういったものだと言われたらそれまでなんですけどね。
ただ、やはり今売り出される無数のアイドルと、それに集まるファンとの間にはネガティブなイメージがあります。好きになる理由は人それぞれです。
それ自体には良いも悪いもなく、それこそ恥じる必要はないということに共感します。
問題はその後、好きじゃなくなる理由・他の人、グループを好きになる理由が個人的には恥知らずに見えてしまうということです。
誰でも良いのではないか?自分勝手じゃないか?って見えるんですよね、もちろんそんなことはないんでしょうけど。見えるんです。
曲に魅力を感じなくなった、パフォーマンスに魅力を感じなくなったという理由に比べると、恋愛報道で急に魅力を感じなくなったという理由が人として浅すぎやしないか?と。
逆に言えばそこが商品の大事な部分になってしまっているということですよね。
つまりはセクシャルな部分が大きなセールスポイントになっているということです。誰かを好きになって、ましてや応援するとなると本来はよっぽどのエネルギーが必要なんです。
それこそ本人が年を重ねてもイベントに顔を出す生粋のアイドルファンの方や声優ファンの方は沢山?いますよね。
自分も一緒に年齢を重ねてきた、そういった思い出も含めて繋がる絆は何にも変えられないものがあるんじゃないかと思いますよ。
ただ全体的にはいい大人が若いコの前掲したセールスポイントに群がっているように見えるんです。外から見ていると。誰かを好きになる理由は人それぞれですが、「異性として」好きな人がたくさんいる人はやはり煙たがられるでしょう。
全員がそうだとは言いませんし割合としてどうなっているのかも実際のところはさっぱりわかりません。
ですがチケットが手に入らなくなって来たからと冷める人や、スキャンダルで抜けたとしたら誰か入れないと、だとか人数多すぎるから減らした方が良いやら、恋愛が発覚するとCDを割るような人の行動・発言を見ると一体何を好きになって何を応援しているのか。
そしてその代わりはそんな簡単に見つかるものなのか。
用意された稲穂の中を次々に移動するイナゴのように見えるという意味で「消費されるアイドル」と表現させて頂きました。
何も消費されてるのはアイドルだけじゃありませんけどね。
相手が人間なのに商品としての色が強いという意味です。(通りすがりさん)
・・・すごくスッと目に入る文章!
昨日の記事に関しては色々と反応を頂いているんですけど、内側にいる(と自覚してる)自分たちにとっては、このような視点から時々見返すことはすごく大切なことだと思います。
周囲に理解されない”恥知らず”になっていないか。
耳に心を持って初めて、「恥が好きに変わる可能性を得る」ことも、昨日の記事に加えて書いておきたいと思います。
(通りすがりさん、ありがとうございました)
* * *
で、ここからは議論でもなんでもなく、自分の単なる身の上話なんですけど
コメント読んでて気づかされたのが、私、推し変したことがないんだ・・・
まぁ今までにも何回か触れてはいるんですが、ハロプロは言わずもがな15年、さらに男性アイドルだとSMAPは18年応援してまして、今29なんで、SMAPもハロプロも、もう人生の半分を越えて応援し続けてる事になります。
なのでそういった私の脳内を文章化しているこのブログには、「推し変」の概念が存在していません。
このブログは「推し変の概念がないアイドルファン」の生き様であり、その証明は、自分の人生です。<
で、さらに付け加えておきたいのは、そういう人生を送っているのは接触イベの参戦数を競ってる人でも、CD購入に生活費の全てを注ぎ込んでる人でもない、「普通に暮らしている人間」だという事です。
地方で、ヲタ友も0で、アイドルに興味がないパートナーと結婚した人間。*1
そういう人間が、人生という時間をかけてアイドルを見続けていると、何が見えてくるのか、っていうのがこのブログです。
推し変が存在しない世界は異質なのか、それとも当然であるべきなのか。
その辺を私個人の脳内を通して、観察する程度で見てもらえばちょうどいいんじゃないかなと思います。
*1:もちろんCDは必要枚数買うし、ライブDVDも買うし、地元で握手会があれば必ず行くし、行きたい時は飛行機で遠征してでもライブを見に行く。ただし全て1人です