小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

「30歳、人生1度だけ自分の好きなことに本気になろうと決めた」

私は今まで、特に夢や目標を持たず、生きてきました。
なぜなら、小さい頃から自分が超のつく「没個性」だと自覚していたからです。
勉強はそこそこ、運動はそれなり、嫌われはしないけど注目もされない。
何をやっても上には必ず私より優れた、光輝く人が存在しました。

そして自分は、割とそんな自分を受け入れていました。
少し努力すれば大体のことは普通にこなせるし、野心も特にない、そもそも私みたいな人間がいないと誰かが1番になることができないわけで、平凡なら平凡らしく、役割だけちゃんと消化して後は穏やかに過ごせれば人生それでいい、
そんな感じで、ずっと生きてきました。

「あれ?」と思ったのは、29歳になった時です。

28歳で結婚式を終えて一段落つき、私は「○○店の○○さん」というそれまでの社会的肩書の他に、「××さんの奥さん」と呼ばれるようにもなっていました。
若い頃の私はそれでも没個性なりに、年齢を重ねれば何か自分に誇れるものが見つかるんじゃないか、とどこか思っていました。
実際、若い私には可能性がありました。
いざとなれば何でもできるし、何にでもなれる。
だからひたすら、自分の役割を誠実にこなす事で、ある日何かが手を差し伸べてくれる瞬間を、ずっと夢見ていた。

でも実際、29歳の私を形容していたのは「○○店の○○さん」であり「××さんの奥さん」でした。

「○○店の○○さん」は好きだしやりがいもある、だけど、たぶん他の誰かに替えても変わらず成立する。
「××さんの奥さん」は新しい家族ができた証で特に異論もない、それでもやはり、私を今まで構成していた28年のアイデンティティーは、その文字にはなかった。
29年間生きてきてそこにいたのは、ただひたすら普通の、誰の代わりにもなるような人間でした。


これでいいのだろうか、と生まれて初めて思った。


そんな気づきにちょっと立ち止まってしまったとき、ある日ふと頭に浮かんだのは、「文章を書いている時の自分の姿」でした。

正直今まで、「文章を書く」という行為を本気で捉えたことがありませんでした。
小学生の時の自宅壁新聞に始まり、中高からはいろんなところへの投稿活動をやりだして、大学の時にはブログを始めて、
なんかもう自分にとって文章を書くことはずっと呼吸くらい自然なことで、書きたきゃ書く、書くことがなければずーっと何書こうか考える、そんな毎日だったので、特段意識する瞬間がなかったんです。

でも考えれば、ずっと天賦の才みたいなものに劣等感を感じていた自分の中で、唯一「これだけは誰にも負けねーぞ」と思っていたのが、文章でした。
中学生、高校生、大学生、社会人、いつだって私より秀でてる人が沢山いたけど、その人たちに何で負けてもずっとへらへら笑っていたけど、
唯一、文章を書いてる自分だけは誰にも負けないと思っていた。

そして何より、私は自分が思ってた以上に、文章を書くことが好きでした。
何回環境が変わっても、どんな仕事についていても、気付くといつも私は何かを書きはじめていた。
これも実は夕方から書いていて、うまく書けなくてもうすっかり日付変わっちゃったのに、
そしてどれだけ時間費やしても実際読まれるのは数分なのに、自分の余暇を全部投じても、全然苦になってない。

それだけ好きでいられるものって、もうそろそろ自信をもっていいのではないかと。
というか胸を張って、もう好きだって言えなきゃだめだ。


なんかそういうことをこの1年ですごくじっくり考えて、結果、「30代は人生で1度だけ、自分の好きなことに本気で向き合ってみよう」と決めました。

何を持って本気で向き合ったことになるのか、そこにどういった結果を必要とするのかとかは、あまり細かく定義してません。
金稼ごうっていうのもあまりない。というか月間30万PVいった先月のブログ収入1万行ってない時点でブログ飯は信じてない。

一番は、自分を驚かしてみたいです。
くそつまらないと思っていた自分の人生が、ちょっと面白くなる瞬間を自分に見せたい。

30代、妊娠出産も含めて10年単位で「文章書くこと」に本気で向き合ってみて、40歳になる時に大して結果を残せてなかったら、
その時はやっぱり才能がなかったのだと、笑って普通に生きればいいかなと思ってます。


本当は誕生日前日に投下しようかと思ったんだけど、書いてみたら内容がだいぶガチすぎたので、あえて早めに投下。
来週の木曜日、11月28日で30歳になります。
誕生日当日は武道館でモーニング娘。見てます。

楽しみだなぁ。


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二十九、三十

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