あぁ、やっぱりか、という感想。
最近のブログ記事を書きながら、ぼんやり生まれていた考えがあって、でも私自身はAKBヲタじゃないから、口出すのはどうかなぁと思い、出すのをやめていた文章があります。
でもやっぱ、考えはそんなにそれてなかったみたいだったので、それを今、出してみようと思います。
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そのぼんやりした考えの発端は最近、久しぶりにAKBの「Baby!Baby!Baby!」のPVを見たところからです。
その時感じたものをtumblrで書き残しているんですが、引用すると
AKBというアイドルに関していえば、ファミリー路線だったハロプロに比べて、こういうさりげない股間狙い撃ちがすごくうまかったと思う。
ああ、そうだったなぁ。
AKBの魅力の本質は股間のさりげない狙い撃ちにあった。
それまで清潔・純粋を保ち続けた女性アイドルという市場に「少女」と「エロさ」を突然ぶっこむ事で、思春期世代の感情を一気に刈り取ろうとしていたのがAKB48だった。
そしてその試みが本当に、ここまで注目されるきっかけになったのは、何よりも、AKB48に前田敦子がいたからだと思うんです。
前田敦子は「少女」と「エロさ」の集団に、さらにひとさじの「背徳感」を加えられる無二の才能を持ち合わせていた人だった。
ファンが、スタッフが、そして世間が求めたAKB48の絶妙な”アンバランス”は、前田敦子がセンターに立つことで完成する。
だからこそ前田敦子は少女の象徴である制服を着て、ずっと歌い踊り続けてきたのだと思います。
高校を卒業しても。20歳を過ぎても。
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かつて国民的アイドルグループの絶対的センター、近年の前田敦子と同じ立場で戦っていた安倍なつみは、ドリームモーニング娘。の”再会”に関連して、雑誌インタビューでこんな事を語っていました。
「私たちは歌なんです。歌でスタートして、歌があったから出会えたメンバーなんです。だから、イベントとかテレビの企画とかじゃなくて、きちんとツアーをしてステージで歌ってダンスしなくちゃダメなんです」
(TopYell 2012年4月号 安倍なつみインタビューより)
今なお衰えが見えないAKB48の全盛期に比べると、清潔・純粋路線だったモーニング娘。の全盛期は、その実時間こそあっという間だったかもしれない。
しかし、たとえ清潔・純粋が時の流れに押し流されても、モーニング娘。の本質には「歌」が残っていた。
だから卒業して何年経っても、いくつになっても、モーニング娘。たちの人生は矛盾せずにつながりを持ち続け、ときどきはその先で再会までできるんです。
でも、今のままずっと制服を着続け、誰よりも背徳感の象徴であろうとする前田敦子のこの先には、一体何が残っているんだろうか。
もしかすると前田敦子は、誰よりも自らを、少女と背徳感の矛盾にずっと沈めていた人なのではないか。
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ここまで書いていて、一度は、この文章をアップするのをやめました。
なんか、前田敦子という人の背負ってるものがあまりにも重くて、悲しかったんです、どこまでも。
彼女が卒業発表時に発したこの言葉には、色んな意味があると思います。
「後輩のため」
「グループのため」
「ファンのため」
でも何より、一番大切にされなきゃいけない意味がある。
「前田敦子のため」
前田敦子の人生を、前田敦子に返してあげられるのは、きっともうこのタイミングしかないのだと思います。