小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

「震災と少女たち」

2012年3月11日。東日本大震災から1年のこの日、人々はいろんな形でこの1年の思いを刻んだ。
それは女性アイドルも同じである。彼女たちはこの日、ブログやステージを通じて追悼の意、願い、強い決心を口にしていた。
そうして発信された沢山の言葉の中で、私が特に印象深かったのは、乃木坂46のメンバーが綴った文章である。

あの震災の瞬間は昨日のことのように強く記憶に残っています

沿岸沿いに祖母が住んでいて
幸い祖母は無事でしたが住まいは津波で流され、
見慣れた町並みは信じられない光景でした。

祖母の無事を確認するまでの思いは
もう不安で怖くて心配で
言葉では言い表せません。

震災後、復興活動が始まり
私に出来ることは何か一生懸命考えましたが
当時の私には
募金や祖母のおうちの片付けを手伝うくらいのことしかできなくて、
あまりにも力がありませんでした。

あれから1年。

私は乃木坂46として
震災から1年"明日へ"コンサートに出演させて頂くことになりました。

私は乃木坂46の最終オーディションのとき言ったことがあります。

私の住んでいる宮城県は地震の被害にあいました。
私には歌やダンスしか取り柄が無いから
乃木坂46に入って私の大好きな歌やダンスを通して
東北のみんなと一緒に元気になりたいです。

昨日、夢の第一歩を踏み出すことができました。

たくさんの人に笑顔になってもらいたい。

<乃木坂46 大和里菜(公式ブログ)>
http://blog.nogizaka46.com/rina.yamato/2012/03/003462.php

今日は東日本大震災から1年が経ちました。

去年の3月11日
私は中学校の卒業式でした
私は卒業式が終わって、友達の家に遊びに行っている時に地震に襲われました。
いつもみたいに直ぐにおさまるだろうなと思っていました。
きっとみなさんの中にもそう思った方もいらっしゃると思います。

でも家に帰ってテレビをつけたら想像を絶する光景がうつっていました。

あの時
私は、私なりに何か出来る事はないのか?と考えました。

同じ東北の方々が頑張っている!

でもあの頃の私には力がなくて...

でも、今私は乃木坂46の生駒里奈になりました。

今までの私では出来なかったことが、沢山出来るようになりました。

私達乃木坂46はまだまだ未熟です。

でも私達には歌があって、アイドルとしてみなさんに笑顔を届ける事が出来ます
昨日、NHKの震災から一年"明日へ"コンサートに出演しました。

全力で、今の私が出来る全力の笑顔と歌とダンスを
できるだけ沢山のみなさんに届くと信じてステージに立ちました。

少しでも私達の笑顔と歌とダンスをみて笑顔になって頂けたらと思います。

これからずっと
私達は一人の人として
アイドルとしてみなさんに笑顔を届けて行きたいと思います。

一生懸命の言葉の意味を考えて、そして届くように頑張ります!!

<乃木坂46 生駒里奈(公式ブログ)>
http://blog.nogizaka46.com/rina.ikoma/2012/03/003458.php

今日、3月11日は、
昨年日本を襲った「東日本大震災」から丁度1年がたった日です。

もうすぐ学校が終わろうとし、卒業式が迫ってきているとき。
別れを惜しみつつ、これから訪れる春に心を弾ませるとき。
桜の蕾を目の端にやりながら、人々と挨拶を交わすとき。

そんなときに、地震、そして大津波がやって来ました。
それはたくさんの人を、家族を、思い出を、奪っていきました。

黙祷を捧げます。

去年までは、1人の中学生として出来ることはわずかだったけど、
こうして乃木坂46として活動しているいま、
たくさんの人と関われる機会があるので
私に出来ることをできる限りやりたいと思います。

歌って踊る。そのことしか今はまだ出来ないけど
1人でも多くの人を笑顔に、元気に、幸せにしていけたらそれで本望です。

<乃木坂46 斎藤ちはる(公式ブログ)>
http://blog.nogizaka46.com/chiharu.saito/2012/03/003453.php

今活動しているメジャーアイドルの中で、乃木坂46が少し違うのは、2011年3月11日の彼女たちが全員「普通の女の子」だったことである。
それぞれの故郷で、彼女たちはあの震災を経験した。上で引用した3人もそれぞれ、宮城、秋田、埼玉の普通の学生だった。
そして彼女達は3ヵ月後、同年6月に始まった乃木坂46第一期オーディションに応募し、アイドルになっていく。
普通の少女として震災を経験した乃木坂46が、いま掴み始めている「アイドル」の光の源には、普通の少女たちの2011年3月11日のどうしようもない無力感が確かに存在しているのだ。

しかしその一方で、彼女たちの公式ライバルでもあるAKB48の”2011年3月11日以降”は、まったく違う。

AKB48は2011年、当時すでにアイドルであった。
しかも普通のアイドルとは違う、「国民的アイドル」という力を持っていた。
そんな彼女たちは震災の後、すぐに誰かのためにプロジェクトを立ち上げ、被災地支援を行う事を表明する。
12億を越えた義援金(2012.3現在)、毎月の被災地でのミニライブ、握手会。
今のAKB48にしかできない事。
震災はそれをメンバーやスタッフ、ファン1人1人に問いかけ、それに呼応することで皆はより一丸になり、結果として国民的アイドルはさらに飛躍していく。

だが本題は、実はここからなのである。
「AKB48のメンバーたちは、あの日から背負った”希望”に耐え切れているのだろうか?」

2011年3月11日以前の「普通の女の子」だった彼女たちは、誰かを元気にしたいという社会発信の意欲だけじゃなく、まだ震災の起きていない世界にはごくありふれていた、歌いたい、踊りたい、目立ちたい……そんな「普通」の小さな夢も多く含んで、集められた存在だった。
そのバラバラの少女たちの思いを夢を叶えるためのステップという提言でグループとしての強さに変え、少女たちはわずか5年で頂点へかけあがる。
その結果自体はメンバーも想像していなかったものかもしれないが、だからこそ彼女たちにとってのステップという言葉は、「普通」ではなくなっていく自分への重みを消化させる、1つの拠り所でもあったと思う。

しかし震災によって、ステップだったAKB48は「希望」に変わった。
20年近く国民的アイドルと呼ばれ、その中で阪神大震災も経験しているSMAPにさえ覚悟を口にさせた相当の重責を、少女たちは一瞬にして背負う事になったのだ。
あの3月11日に、普通の少女が感じた無力感と、AKB48が感じた無力感。
それは確かに、同じであったはずなのに。

今日、テレビからはAKB48の専用劇場で行われた東日本大震災復興支援特別公演の模様、そして前田敦子が号泣するシーンが、何度も何度も流れていた。

力がほしかった少女たちと、使命を課せられた少女たち。
それぞれの姿を見た沢山の人たちは、一体どんな感想を口にしたのだろうか。