小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

「みらいのつづき」

色んなものに興味をもつようになったのは、横浜で過ごした子供時代が原点です。
特に私の人生最初の記憶を作ってくれた街は、油っぽくって、ほこりっぽくって、ハタから見ると教育に良くないとか言われてしまう部分も含めて、
その分だけ生活があって、人生があって、その密度の濃さと、その全てを全部ひっくるめて日々海へと流していくような川の風景と…

あの街で子供時代を過ごせた事は、きっと一生私の誇りで、宝です。
私はここに自分の原点があった事を、一生忘れませんし、きっと忘れられないと思います。

その一方で、私は育った街を離れて、もう16年が過ぎました。
移り住んだ先では私はもちろんよそ者だったし、自己と環境を確立しきる前に中途半端に出て行ってしまったことで、いつしか育ったはずの横浜でも、私はよそ者になりました。

一番は、ここで空白になってしまった自分の存在の記憶を、もうどうやっても埋めることができません。
帰る家が無くなった事で、私は思い出になりました。
生きているけど、ここにいた私の全ては、この街にとってもう過去です。

10代や20代の私にとって、その1分1秒は、ずっとずっと苦しかった。


ただやっと、自分のやりたいこと、自分自身と向き合えるようになった30代の今、少しずつ不思議な事が、日常に差し込まれるようになってきました。

私が遠く離れた場所で1人綴っていた言葉が、形になって、ずっと帰りたかったその風景の中にありました。
東京や横浜で今の私を知って、連絡をくれたり、話しかけてくれる人が少しずつ増えてきました。

私は大人になって、自分の意思で、遠い街で生きることを決めました。
ただ、ずっと、悔しかったのだと思います。
それは場所でもなく、他人でもなく、結局自分がどんな人間であったか言えず残せない、
そんな自分への悔いでした。


うまくいかないこともあるし、力量もまだまだ足りません。
でも16年後の現実で、自分の言葉がついに「今」として辿りついたのを見た時、止まってしまった未来の続きを、私はもう一度書けるチャンスをもらえたんじゃないかって、やっと、初めてそう思えました。

そして何よりも悩んでいた10代や20代の自分に、ずっと大好きだった言葉の力で道を作ってやれたら、

その時私は初めて、会えなかった自分と共に心からもう一度「ただいま」と言える。

きっと、そんな気がします。


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