小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

「AKB48のドキュメンタリー映画が描く”少女しか存在しない世界”」

わーっ。わーっ。
ちょっと鼓動が早くなるレベルでした。

「男たちのAKB48 / 田房永子の女印良品」
www.lovepiececlub.com

こないだ自分(29歳女)も、峯岸みなみ丸刈り問題を機に、AKB48のドキュメンタリー映画をやっと見たんですけど

「この映画、どれくらいの女の人が没入できるんだろう」

ってずーっと思っていました。

大学生くらいまでの女の子ならわかるー!泣けるー!勇気もらえるー!でいけるのかもしれないけど、そのすぐ先の社会生活にどっぷり足踏み入れてる女性にとっては、画面から流れるドキュメントが、ドキュメントに感じられない。
提供された映像、あそこに映っている人たちは一貫して男の子の憧れを具現化した女の子、「少女」なんだよな。
女じゃない。
男たちの考える少女たち、「男たちのAKB48」

・・・この辺の感覚をどう表現すればいいのか考えていたら、すでに上のコラムではっきりその言語化がなされていたのでした。

「これがルールなんだ」「女の子も納得してやってるんだ」「恋愛したいならやめればいいんだ」「自発的にやっているんだから、性の搾取ではない」と男達はヒステリックに叫ぶ。(中略)ここには「大人の男(女の人を人間として扱う、コミュニケーションができる)」が登場しない。若い処女以外の女は「お母ちゃん」の位置に立たされる。

そこに立たされると、「アイドルのルール」を知らない自分が間違っているのか? という不安が湧いてくる。知りたくなって、「DOCUMENTARY of AKB48 to be continued」と「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 〜少女たちは傷つきながら、夢を見る〜」(AKBの裏側を撮ったドキュメンタリー映画の第1弾と2弾)のDVDを近所のツタヤで借りてきて観た。ダンスや歌のレッスンをすんごくがんばっていて、客観視する力が物凄く高い女の子たちなんだ、と知った。何かと泣いて、何かと抱き合って、何かと語る。“ファンが求めるもの=秋元康が指示するもの”を忠実に素直に表現できる人たち。昔、私が働いていた職場で雷が鳴ったり害虫が出たりすると、「キャー!」とか「うえ〜ん」とか言う女がいた。その女を抱きしめて頭をヨシヨシして「だぁいじょおぶッ」って言う女もいる。他の女たちはその様子にシラーッとしてるんだけど、2人は盛り上がっている。日常にはそういう光景があるが、「第1弾ドキュメンタリー」にはAKB48という、大量のあの「ヨシヨシ」の2人組が延々と映っていた。 

そういえばこの感じ、こないだ「豪STREAM」を初めて見た時にも抱いていたんだよなぁ。
もしAKB48の問題がなんたるかを真剣にあぶりだすなら、”お母ちゃんたち”の持ってるリアリティって結構重要だと思うんだけどね。
その辺特に、男性ドルヲタの皆さんはどう考えているのかなぁと思い、紹介したかったのでした。

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