小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけ続け、執筆業になりました。2017年に初の単著がでました(乗田綾子名義)。



2017年9月発売の『SMAPと、とあるファンの物語』(双葉社)については【こちら】

「お嬢さん方から見たAKB48」

わーっ。わーっ。

ちょっと鼓動が早くなるレベルでした。


男たちのAKB48 / 田房永子の女印良品


丸刈り問題を機に
色んな文献を読んだりAKB映画も見始めているんですが、
なんかね、29歳の女がAKBを見ていると
ずっと心の底に流れてるものがあるんですよ。


* * *


AKB映画のつっこんだ感想は後日書こうと思ってるんですけど、
先にこの辺に関連したものだけ書くと、全体的に


「この映画、どれくらいの女の人が没入できるんだろう」


って思っていました。


大学生くらいまでの子なら、わかるー!泣けるー!勇気もらえるー!でいけそうだけど、
そのすぐ先から一生始まる、女性の世界にどっぷり踏み入れてる女性にとっては
画面から流れるドキュメントが、ドキュメントに感じられない。


可視化され提供された映像、あそこに映っている人たちは
一貫して男の子の憧れを具現化した女の子、
「少女」なんだよな。
女じゃない。
男たちの考える少女たち、「男たちのAKB48」


・・・この辺の感覚をぼんやり感じていたら、
上のコラムではっきりその言語化がなされていたのでした。



「これがルールなんだ」「女の子も納得してやってるんだ」「恋愛したいならやめればいいんだ」「自発的にやっているんだから、性の搾取ではない」と男達はヒステリックに叫ぶ。彼らの言葉を見ていると、なんだか男子中学生と会話してるような感じがする。「トレーナー、逆に着てるよ」と中学生の息子に言って、「今はこれが流行りなんだよ! ババアは黙ってろ!」ってボコボコに殴られるお母ちゃんと自分が重なる。当の女の子の前ではモジモジして、心の中で「他の男と絶対ヤんないでくれよ」と祈る、中学生男子。ここには「大人の男(女の人を人間として扱う、コミュニケーションができる)」が登場しない。若い処女以外の女は「お母ちゃん」の位置に立たされる。

 そこに立たされると、「アイドルのルール」を知らない自分が間違っているのか? という不安が湧いてくる。知りたくなって、「DOCUMENTARY of AKB48 to be continued」と「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 〜少女たちは傷つきながら、夢を見る〜」(AKBの裏側を撮ったドキュメンタリー映画の第1弾と2弾)のDVDを近所のツタヤで借りてきて観た。ダンスや歌のレッスンをすんごくがんばっていて、客観視する力が物凄く高い女の子たちなんだ、と知った。何かと泣いて、何かと抱き合って、何かと語る。“ファンが求めるもの=秋元康が指示するもの”を忠実に素直に表現できる人たち。昔、私が働いていた職場で雷が鳴ったり害虫が出たりすると、「キャー!」とか「うえ〜ん」とか言う女がいた。その女を抱きしめて頭をヨシヨシして「だぁいじょおぶッ」って言う女もいる。他の女たちはその様子にシラーッとしてるんだけど、2人は盛り上がっている。日常にはそういう光景があるが、「第1弾ドキュメンタリー」にはAKB48という、大量のあの「ヨシヨシ」の2人組が延々と映っていた。 


* * *


そういえばこの感じ、こないだ「豪STREAM」を初めて見た時にも抱いていたんだよなぁ。
もしAKBの問題がなんたるかを真剣にあぶりだすなら、
『お母ちゃん』の持ってるリアリティって結構重要だと思うんだけどね。
その辺特に男性ドルヲタの皆さんはどう考えているのかなぁと思い、
紹介したかったのでした。*1



PS
こちらも女性の意見みたい。
成長してはいけないパフォーマー、AKB48(yuhka-unoの日記)



関連記事
「女ヲタ生態講座(女性アイドル編)」
「ババァ論」

*1:そしてなぜAKBがここまで言われ、ハロプロやももクロがここまで言われてないかというのは、やっぱり一種の「お人形ごっこ」を「女の生き様」としてさらに男子バイアスをたっぷりかけた上で、極度に可視化しちゃってるかしちゃってないかの違いだと思います。