小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけ続け、執筆業になりました。2017年に初の単著がでました(乗田綾子名義)。



2017年9月発売の『SMAPと、とあるファンの物語』(双葉社)については【こちら】

「ヲタクというエゴイスト」

営利目的で営業している以上、
ある程度はお客さんのやったことも目はつぶるし我慢もできるんだけど、
度を超したことにはコース管理者、主催者も毅然とした態度で臨むべきだと思いますね。
お客さまは神様です精神をやりすぎれば、こちら側も辛くなるし
お客さん側も走れるところが少なくなっていってお互いの首を締める結果になるでしょう。

ドリフトは本年をもって走れなくなります ごめんなさい | 惑星マリンバ


はてなブックマークで見かけた記事なんですが、
これまたコメントの方で、印象に残った一文があります。


「マナーの悪い文化は残れないんだよ。」


文化とは、「人々がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体」だそうです。


この言葉を理解するのに一番わかりやすいのが、
コミケの「コミケにお客様はいません」だと思うんですけど
(年末に盛り上がったやつ 「コミケと「お客様」意識」) 


文化なんてものは本来全て人の恣意に帰する、とても脆い無形物であって
特にヲタのそれなんて、発信すること自体がすでに驕りなのかもしれません。


上のコミケワードに関連して、こういう記事もあったんですけど


私が「コミケにお客様はいません」をあまり使わない理由

コミケ内部において、
何故「お客様はいない」という論理が「当たり前のもの」として通用するようになったのか?
その大元の事情を説明してからでないと、この言葉の真意は伝わりません。
それをきれいさっぱり省略しちゃってるケースがやたらと目に付くんですよね、最近は。
方程式の解だけ示されても、
その解き方の説明が無ければ教わる方には理解できませんが、
それと同じ事が起きているなあと。


自分が愛する”文化”と向き合った瞬間、
一番最初に求められるべきなのは、まずこの「驕り」に気づく事なのかなぁと。


自由は尊重されてしかるべきだ、という思いあがりを脱した向こうに
初めて文化の成熟と、保護される権利の切れ端があるのだと思う。


・・・まぁ結局いつもの主張になっちゃうんだけど、
権利を叫ぶなら、謙虚になるのがマナーなんだよねやっぱ。
他人を見て、話を聞いて、やってみて、畏怖を覚えて初めてヲタは命を得るのでしょう。
そんな事を思うアイドルヲタの今日このごろ。


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