小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけ続け、執筆業になりました。2017年に初の単著がでました(乗田綾子名義)。



2017年9月発売の『SMAPと、とあるファンの物語』(双葉社)については【こちら】

「なんでも可視化しない方がモテるのに」

twitterを見ておりますと、かなりの確率で、
学校名をさらしてるプロフィールに出会うわけです。


ためしに自分の出身校でも検索してみると、
このご時世わっさわっさと検索結果がでます。
その中の1人を適当に開いてみると、ある程度ツイートを追うことで
その人の好きなものや考えてることが、かなり把握できてしまいます。


(年齢も現在居住地も)遠く離れた私でさえ、そんな状態なのですから、
現在進行形で同じ学校、同じ風景を共有して生きている人たちには、
その情報がどれだけの近さで伝播しているかと察します。


私もtwitterをやっている以上、
多少、いや多分に、自分が見せたがりであることは自覚しています。
好きな音楽を聴けばそれに酔いしれてツイートするし、
夕暮れの感じ入る風景に出会えばポエムくさい言葉を添えてつぶやきたい。
「今の私を知ってほしい」はある意味どんな人だって持ち合わせてる共通の欲求です。
それがない人の方が少ない。


ただそれを、つまり「承認欲求という一種の欲情」
学校という社会的属性面にまで自らぶっかけちゃってる時に、
それを見た赤の他人はどう受け取るのか、って話で。


* * *


なんで突然こんな事を書きだしたかというと、今日、
こじゃれた服着てiphone片手に音楽をたしなむ、
とある大学生の男の子と、仕事中に遭遇したからです。


実は私は全く面識がない年齢差の彼を見て、自分の後輩だと知っていました。
なぜなら、まさに昨日偶然学校名を検索していた時、彼は
鍵もつけていないtwitterのアカウントに学校とサークルの名前をきっちり書いて、
さらに自分の顔をまんまアイコンにしていたからです。


同じ学校で同じ景色を見て過ごしているはずの彼、
いわば「数年前の私」でもある人は、
あの瞬間、何も知らないはずの他人に、数秒で全てを認識されていました。
なのに「私」は、全くその事に気付かず肩でモラトリアムの風を切って歩いていく。


* * *


もちろん、これ触れるの、本当に野暮だよなとも思いました。


それでもやっぱり書くことにしたのは、あまりにも無防備なかつての「私たち」が、
そのリスクを想像しないまま今も発信を続けていること、
あと単純に、あまりにもそういうやつが多いので、
なんか逆に大人の方がちゃんと伝えてないんじゃないだろうかっていう気になってしまった。


今も「友達と宅飲みなう」と無邪気につぶやく彼。
それをチップスター食いながら一人見ている私。
その台所見るにあそこのアパートだよね、そこ昔友達住んでたのよ。


自分の人となりを一方的に黙読されている彼は、
今も自ら可視化した情報の到達先を全く想像できていない。
彼が純粋な気持ちでありのまま記号化した「ぼくらの世界」は、
今もリアルタイムで見ず知らずの他人に着弾し続けている。


* * *


一回だけ言わせてほしい。


あれだけ人がいても私らが酔わずに歩けるのは、
きっと、互いの事をよく知らないからで。


だからこそ、何かのキッカケでその人の1ページ目をめくる瞬間が、
人は楽しくて、嬉しくて、時にはもっと知りたくなっていく。


だけどtwitterのような往来のど真ん中で、事細かな社会属性まで記載して人となりを晒す行為は、
その1ページめの高鳴りを放棄してるのと一緒じゃないか?


そして一番恥ずかしいのは、記号化した「ぼくら」の小さな世界は、
人からどう見えるのかを、全く想像できてない。


お前、今もずっと笑われてるんだよ。
お前らを笑ってる「ぼくらのその先」に早く気づけよ。


* * *


…他にもすごく色々考えたんだけど、キリがないので全部一度のみこんで、
最終的にあの年代にどんな一文だと一番届くだろうと考えた結果



『なんでも可視化しない方がモテるのに』



という言葉に至りました。



未来の私は、そんな事を考えながら、今日も仕事に行ってきます。





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