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小娘のつれづれ

ライター / ずっと一人で自分の「好き」を追い続けています。お仕事のご依頼はこちらへ→ drifter_2181@outlook.jp



「80年代生まれが考える”アイドル冬の時代”とは何だったのか」

さて、この数日で自分の中で少し見えてきた
「アイドル冬の時代とは何だったのか」
というのを、書きだしていきたいと思います。

資料はこちら参照


* * *


私は今までアイドル冬の時代という言葉の説明を受ける時、
”アイドル文化を一旦なかったことにした”という意味合いだけで伝えられる事が多かったので、
冬という言葉には当時の人たちの中で「根絶」というニュアンスがこめられているのだろうか?と感じていました。

しかしそれはやっぱり違うんじゃないか。
リアルタイム世代の方にとってはどちらかというと、
「冬眠」のニュアンスの方がしっくりくる意味合いなのではないか。

リアルタイム世代の方からもらったそのささいな気づきを元に、
当事者間でしかなかなかわからなかったそのニュアンスを
この機会に徹底的に掘り下げてみる事にしました。


「なぜアイドルは一旦冬眠しなければならなかったのか」


* * *


じゃあなぜ70年代生まれだけがアイドルの冬眠を選択せざるをえなかったのか、ってことを考える。

正直、「洋楽ブーム」や「価値観の多様化」はちょっと内容が違うかな、と思います。
それだけだったら50〜64年生まれにも「ビートルズブーム(GSの誕生)」があり、
80年代生まれ〜は「ネット社会の誕生」に居合わせている。

67年生まれのYO-KINGの言葉を借りれば
「ビートルズを聴かないことで何か新しいものを探そうとした」のは
いつの時代の若者も同じで、みな
「歌謡曲を聴かないことで何か新しいものを探そうとした」り、
「小室サウンドを聴かないことで何か新しいものを探そうとした」りしてきています。

じゃあアイドルにネガティブイメージを持たない
50〜64年生まれ(アイドル親世代)、80年代生まれ〜(アイドル孫世代)になくて
65〜70年代生まれ(アイドル子世代)だけが共有しているものは何か、って考えた時、

それはやはり「岡田有希子」というアイドルの存在なんだと思いました。


67年に生まれ、86年に自ら命を絶ったアイドル。


* * *


「岡田有希子というアイドル」


80年代初めの日本は高度経済成長が一段落し、安定成長の軌道に乗ったと同時に
どこか人々は破壊的で、過激である日本を求めだしていました。
その中で思春期を過ごしたのが、65〜70年代生まれ世代の人たち。
彼らの繊細な感受性はより破壊的で、より過激なものを求めて彷徨い、
その一端はよく言われる「校内暴力」だったのかなと思います。

そして、そんな少年少女の意識を
大人社会にいち早く映し出すもの、それが「アイドル」。
65年生まれの中森明菜はそんな当時の少年少女たちの刹那を
「特別じゃない どこにもいるわ」と歌いあげ、
66年生まれの小泉今日子は大人たちが作り上げたアイドルという”偶像”の意味を
突然ショートカットにしたり、自分をコイズミと呼ぶ事でアイドル自ら社会に問いかけ、
そんな彼女たちを当時の若者は熱烈に支持しました。


そしてそんな彼女たちの少し後に、同じように誕生した「アイドル・岡田有希子」。


彼女も当時の少年少女と同じ時期に生まれ、同じように育ち、そして夢を持っていました。
そして彼女は同年代より少し早く、16歳でその夢を叶える事になりました。
それが”アイドル”。

そして大人社会の中でも、岡田有希子というアイドルは認められます。
1984年のレコード大賞最優秀新人賞に代表される、各種新人賞の受賞。
1985年のドラマ初主演、1986年の初めてのオリコン初登場1位。


しかし、彼女は突然姿を消してしまう。
しかも、自らの命を絶つという方法で。


彼女がなぜ死を選んだのか、本当の理由はわかりません。
しかしアイドルという、言わば若者たちの象徴であった少女が、
自らの死という「究極の破壊」を選び、
さらに社会はそれを「究極の過激」の演出に用いた。
その様子をリアルタイムで見た当時の少年少女たちは、
一体どんな感情を抱いていたのか。

そして岡田有希子と同時期に若者たちが支持していたもう1つのアイドルが、
秋元康が仕掛けた「おニャン子クラブ」でした。


* * *


「もう1つの”究極の破壊”」


秋元康は56年生まれの”アイドル親世代”に属し、
高校生というかなり早い段階から、放送作家という位置で芸能界の動きを観察し始めます。
そして81年には作詞という形で音楽作品にも携わるようになりました。

その時の彼が、当時の日本社会と芸能界をつぶさに観察し
生み出した一つの答えが


「アイドルという偶像の破壊」


だったのだと思います。


きっと当時の秋元氏本人は「破壊してやろう」とかっていう考えじゃなく
ただ単に「若い感性で目新しい、面白いことをやりたい」という感覚でやっていたんだと思うんですけど、
それは結果的に、当時の若者が求めていた「破壊と過激」に行きついた。

そして彼が生みだしたのが、
「友達より早くエッチをしたいけど」と”過激”な言葉で演出され
アイドルというプロ集団を根本から”破壊”した、
究極の素人アイドル「おニャン子クラブ」だったのではないでしょうか。

そしてそんなおニャン子というアイドルにまた、当時の少年たちは絶大な支持を寄せました。


* * *


「究極の破壊と過激の後に」


そうして生まれた岡田有希子とおニャン子クラブに代表される若者たちが、
時代の秘めていた衝動をも言わば”アイドル”という形で代弁していた頃、
同時に社会全体もゆっくりと、彼女たちの軌跡をなぞるように追いかけはじめます。
それが「バブル景気」。
高度経済成長期に皆が秘めていた「破壊的で、過激である日本」を
若者たちのみならず、大人たちも堂々と求める事ができる環境になっていきました。

それと入れ替わるように、衝動の若き代弁者だった彼女たちは姿を消します。
岡田有希子は85年に死という形で、
おニャン子クラブは87年に解散という形で。*1

そして日本社会の衝動も、数年後には消滅しました。
バブルの崩壊。


80年代生まれの私がはっきりと体験しているのはバブル崩壊後からですが
そこで見てきた感覚でいうと、
65〜70年代生まれの若者たちは、アイドルを通して一足先に
「究極の破壊と過激」の後に、何が残るかを知ったんじゃないかと思います。

結論からいうと、破壊と過激の後には「何も残らなかった。」
おニャン子は激しく消耗し尽くされた挙句、ほとんど芸能界に残れなかったし、
岡田有希子は、存在自体がなかったことにされてしまった。

そしてさらに追い打ちをかけるように始まる、
宮崎勤が火を付け、宅八郎がさらに焚きつけた”ヲタクバッシング”。*2


自分たちが求めてきた破壊と過激の先にあった、ただの荒野。
外部から起きた、若者文化への激しい攻撃。
そして何より、岡田有希子がもたらしたあの日の悲嘆。

それらと対峙した時、65〜70年代生まれの若者たちが出した答えが
「アイドルという文化を一旦眠らせる」事だったんじゃないでしょうか。


50〜64年生まれの若者たちにとってアイドルが、
自分たちの中にあった「創造」の象徴の一つだったのだとしたら、
65〜70年代生まれの若者たちにとってアイドルは、
自分たちの中にあった「破壊と過激」の象徴の一つだった。

そんな若者たちの衝動に答えた結果、アイドルがその衝動の黒い部分に飲みこまれていった時、
若者たちはアイドルへの欲求を眠らせることで、アイドルの奥にいる”女の子たち”を守ろうとした。

推測にすぎないけど、今の時点では
そのあたりが冬の時代の本質だったんじゃないかと思います。
なぜ眠らせたか、その理由も推測でしかないけど多分、

1つは、あの日抱いた壮絶な贖罪意識に駆られて。
そしてもう1つは、思春期を共に過ごした同年代の彼女たちが、
皆本当に好きだったから。


そして”アイドル”たちが彼らの中で眠りはじめた時、
まだ破壊と過激を追い求める社会の中で、
彼らが見つけた”その先に残せる衝動”の一つが
自ら創造し、奏で伝える「バンド」だったのかなと思います。
だから若者たちはイカ天を支持し、バンドブームが起きた。
そしてアイドルが目覚め出すのは、
次の世代に若者文化が移行しはじめる90年代中盤まで待たなければならなかった。


* * * * * *


長くなった上に若干表現酔ってる感じに見られるとこもあると思いますが、
私が今回思ったのは、素直にこんな感じだったのかなと思いました。

で、私のような80年代生まれはバンドブームあたりからの話しか体験していない上に、
決定的な事項として、「岡田有希子」というアイドルをずっと知らなかった。
知れなかった。
そこが今回一番、アイドルヲタとしての視点の違いに大きく影響してたんじゃないかなと思います。

もちろん他にも同じように若くして突然天国に行ってしまった人は複数いて、
人の死は決して比べられるものでもないけど、
65〜70年代生まれの若者たちが当時の社会で26年前に遭遇した感情は、
アイドルを表舞台から遠ざけるには十分すぎるほど残酷だったとすごく感じる。
今回書いてて、本当にそれを思いました。

もしかしたら普通に、私たちの世代がアイドルを知らない世界も、ありえたのかもしれない。

そしてアイドルがむちゃくちゃ好きで、アイドルにむちゃくちゃ助けられた私にとって、
それほど悲しい想像はなくて、辛い。


* * *


私は、「冬の時代」というワードに、なんとなく薄情さを感じていたし
実際元おニャン子のその後やバンドブームの盛り上がりを見るに、
あの時の若者はアイドルを捨てたのだろうか、とすらちょっと思っていました。

しかし、今回これを書くために色んな意見や事象、心情を読んだりして、
私の中でそれは違うってことを感じて。
上の世代の人はアイドルを捨てたんじゃなくて、守ろうとしていたのではないか、という感触。

そして実際私たちは、その世代が生みだした「モーニング娘。」という種から育った
今のハロプロやAKB、perfume、ももクロなどの
「アイドル戦国時代」という大きな実りの中に、今立てている。

それまでの流れと今を見ると、アイドルがここまで成熟したのはやはり当たり前の事ではなくて、
ちゃんと人々の想いがそこにあって、道が続いていての事だった。


* * *


モーニング娘。が生まれ、アイドル戦国時代が一つの成熟を迎えた今、
その時代を担った私たちが意味ある形でその次に繋げていきたいなら、
やはり私たちは前時代の事も含め、認識しようとしなきゃいけない。
正否というより、自分の考えをちゃんと求めようとする姿勢、
自分だけの好きなものに対する意志だけは、
いつでもしっかりと、持っていなきゃいけない、と思う。

…まぁこれはあくまでも私の感想であり、↑が全て正しいってことは絶対ないですし
リアルタイム世代でも、同意できる部分、同意できない部分があったり、
私と同じ世代でも、感じ方や意見はそれぞれあると思うので
この記事の意味はほんと人それぞれになると思いますが…

でもこれを元に同意だったり異論だったり補足だったり考えることで、
「あの冬の時代があった意味」を、この記事を読んでくださった方には
ぜひ一度自分なりに、考えてみてほしいなと思いました。

もしアイドルが好きな人ならなおさら、
きっとそれは意味のある事だと思う。

これでもうまく書けたかわからないけど、
とりあえずここまでが今回考えた私の”アイドル冬の時代”に関する考えと感想です。


* * *


最後に、岡田有希子さんについて
「岡田有希子 25年の時を経て…」(youtube)


ユッコのファンクラブ会報最終号のスライドショーです。
私自身、この25年間最終号を1度も開くことができませんでしたが、
つい最近またこうして再び開くことできました。
わずか2年間でしたが、
ユッコが輝いていた姿を見てもらえたら嬉しいです。(動画投稿者さんのコメントより)


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*1:89年には、中森明菜の自殺未遂事件も発生している。

*2:70年代生まれの方のお話をいくつか聞かせていただきましたが、資料にのっけた以外でも、ネガティブイメージの象徴として「宅八郎」の名前が出される事はかなり多かった。80年代生まれにとっては”バラエティタレントの1人”みたいなイメージでしかないけど、リアルタイムで同時代を生きてきた若者にとっては、彼の存在がどれだけ強烈でキツかったかいまさら知る。