小娘のつれづれ

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「AKBの功罪」

だー、本当はもっとのんびり更新の方がいいんだけど!
でも今回ももクロから感じ始めた「違和感」に関して考え始めたことで、
すごく興味深い話が色々と、自分からも他からも見つかってきて
こういうのが好きなアイドルヲタとしては黙ってられないんで、更新しちゃう。


「そもそもアイドルとは認めさせたもん勝ちなものではないか?」
という問いかけがコメント欄であった時に
(コメントくださった方、↑が真意を伝え切れてないものだったらすみません)

基本的に、すごく同感なんです。
今までだったら、「認めさせちゃったもん勝ち」で済む話で
きっとここまで声を大にして言う話ではなかったと思います。


ただ、ここで私の中で今チラついてしまうのは、
秋元康がとても強大に作り上げてしまった「AKB」というアイドルグループの事です。


今までと流れが変わり、
TVの訴求力が弱まりかつ、CD売上げも弱った業界に
秋元康はアイドルの「AKB」というコンテンツを投じる事で、
今までのアイドルには考えられないものすごいコネクションと、莫大な利益を手にしました。
今やAKBの力とは、あのジャニーズ事務所も擦り寄り、
JrとAKBの共演ドラマなど、蜜月関係をアピールさせるほどです。


これはいわば業界人の「認めさせちゃったもん勝ち」のやり方なんですが、
それに不満を抱く人たちが、反旗を翻そうとする時、
いざ同じアイドル界でどのアイコンをぶつけよう、って考えたときに、
今一番使われやすいのが「ももいろクローバーZ」です。


そしてそういう人たちが、表向き正統派アイドルであるAKBを抱える
業界人の「認めさせちゃったもん勝ち」に対抗するため、
個人が掲げる「認めさせちゃったもん勝ち」のわかりやすい看板として
パッと思い浮かんでしたためるのが「アイドルっぽくないこと」なのではないかと。


全ての人がとは思いませんが、
今のアイドル業界のAKB独裁時代にあえて他グループを推す人は、
少なからずAKBへの対抗意識、もしくは嫌悪感、は持っていると思います。


※ここでいう対抗意識、嫌悪感とは、今までもよくあった人気への妬みだけではなく、
ネット全盛の時代だからこその
「電通に仕組まれてる観」「マスゴミ観」も含めて


そうして(無意識にでも)抱いた対抗心が織り込まれたまま
個人がアイドルヲタとして「認めさせちゃったもん勝ち」を叫んでいくのも、
(絆が強固なゆえの、ももクロヲタの違和感を言いにくい土壌内でのかけ算、という事も含めて)
アイドルヲタとして怖いなーと思いました。


多分このへんの考えって、モー娘。以前はそこまでなかったように思います。
それこそそれぞれが本当の意味での「認めさせちゃったもん勝ち」で入れ替わっていったから。
でもAKBがここまで大きくなった現在だと、ちょっと環境が変わってきてるような気がします。


と返答を書いてて、ふと
まだ自分でも具現化できなかった、
もやっとした疑問のとっかかりがでてきました。



”ん、この問題の本質って、もしかしたら
現在の音楽業界、引いては芸能界における、
秋元康がアイドルという文化を利用して作った「AKB帝国」にあるのかな?”



そう思った時に、これまた偶然て重なるもんで
そのへんの疑問にさらに問いかけるような文章が、
いくつか話題になっていました。


西部ドームでのライブの壮絶なバックステージをとらえたチャプターはこの映画のハイライトだとおもうが、
それがもう、本当に申し訳ないんですがおもしろいわけですよ。
おもしろいんだけど同時にそれを素直におもしろがることには抵抗感もある。
CMやバラエティで眩しい笑顔を振りまいているメンバーたちが過呼吸や熱中症でばたばたと倒れていく。
こんな映像を「商品」として消費してしまっていいものなのか。
単に「商魂たくましい」というのはあまりにおぞましい映像の数々。
彼女たちのピュアな肉体と精神を骨の髄までしゃぶりつくしてしまおうという作り手側の酷薄さを感じます。
そして、お金を払って見ている私たちも、その暴力的な搾取に加担してしまっている。


女の子たちの精神と肉体をずたぼろに酷使する、その途方もない摩耗の上にアイドル産業が成立していることは
もうずっと前からなんとなくわかっていたことだとおもうんです。
AKB48最大の功罪は、アイドル産業が抱えるこうした後ろめたい要素すらも
表舞台に引きずり出せばエンターテインメントとして成立してしまう、
露骨にいえば金になるということを発見してしまったことにあるのではないか。
「総選挙」などその最たる例ですが、
この映画も基本的にそうしたえげつないメソッドで作られたコンテンツです。
この映画のおもしろさとは別に、その後ろめたさは受け手としてしっかりと心に留めておきたい。
彼女たちの「一生懸命さ」や「ひたむきさ」は否定されるべきものではないですが、
このビジネス自体が異常な暴力装置であることはちゃんと認識しておかないとなとつくづく感じました。


『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』 - Devil’s Own −残骸Calling2−

いやホントすごい映像のオンパレードだし、上映中ずっと涙が止まらず、構成も見事なのでオススメなのは間違いなく、
ボクもこれは何回も観たい作品だと思ってるけどさ...。
「ドキュメンタリー」としてはうーん...という感じ。


「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る」


誰が傷つけてるの?っていう話ですよ。


「チーム4」のエピソードを書いてないや。新しくできた「チーム4」。
リーダーに選ばれた大場美奈さんが彼氏を映ってるプリクラが流失したかなんかで謹慎処分になるんですよ。
ものスゴく根本的な疑問なんだけど、AKB48ってなんで恋愛禁止なんだ?
この辺りが「アイドル光と影」の「影」の部分だと思ってるんだけど。
「この映画はAKB48の光と影を描いた」っていうけど、それはステージ上と舞台裏、つまり「表と裏」であって
別に「光と影」って訳ではないんだよね。


AKB48に対して思い入れ無いなりに傍から眺めてて、率直に思ってたのが
「いつかぶっ壊れるんじゃね?」という事。
あくまで個人の印象なんだけど、なんであんなに売れても売れても売れても売れても
「盤石の人気」感が無いんだろう?
AKB48というアイドルは、かつてのアイドルとは違うと思うんですよ。
AKB48の世界は「メンバー」と「ファン」だけで完結してないでしょう。
「チーム替え」とか「総選挙」とか「じゃんけん」とか、
AKB48に負荷をかけてファンの応援をエネルギーに変換する場を提供する
「運営側」がいるじゃないですか。
この映画は「運営側」をまったく描いていないんだよね。
それはもう最初から「存在しないもの」くらいの勢いで。
ボクは「この映画は『運営側』を描いていない」という点が、
あらゆる疑問の「答え」のような気がしてならんのです。


AKB48という、言ってみれば日本を席巻する一大ムーブメントを描くドキュメンタリーで、
それを司る人間たちが一切出てこないという点がものスゴく卑怯だし、
AKB48そのものの危うさにも感じました。


西武ドームライブの件、映画内では「最悪の出来」とメンバーたちが悔やんでいたけど、
あれってどう見ても運営側の責任でしょう。
精神論でメンバーたちが「我々に気合いが入ってなかった」というのはわかるけど、
傍から見る限りではそれでは解決できないような構造的な欠陥で「最悪の出来」だった気がするんですよ。
でもそういう事を一切描かずに「メンバーたちの不甲斐なさ故の失敗」として描いている。
この時点でボクはこの映画の作り手を信用できないんですよ。
結局この映画自体も「意図的に作られた世界」じゃないですか。SFですよ、SF。
「戦争映画」って表現はすげえ合ってると思うんだけど、
あくまで軍隊直属の従軍カメラマンが撮った戦意高揚の「戦争PR映画」なんだよね。
つまりは「場を作ってる人間の手の中のお話」。


「ドキュメンタリー」ってのは誰に対してもカメラが等しく向けられてこそ意味があると思っているんですよ。
ドキュメンタリーとして一番最悪なのは作り手が手心を加えて身内にカメラの「牙」を向けない事。
で、この映画はまんまとその一番最悪な作りをしています。
映っている映像はホントにスゴくて、
メンバーたちは全力でAKB48に取り組んでいるという事は伝わりました。
しかしながら結局のところこの世界観も、ファンを如何により惹き付けられるかという事について
周到な(非人道的な)戦略の元に作られており、
作り手側(=運営側)にとって「望まれる観客」を具現化する為に
用意された映画でしかなかったです。
ぼかあ、そのバンドワゴンに乗ってないんだよ。


メンバーもファンも覚悟して「冥府魔道」を進んでるんですよ。
運営側も同じようにその道を進んでいるという事がわかれば、なるほどAKB48ってのは盤石だ、
って気にもなったんですけどね。
あの世界を創っている人間たちが姿を現さないってのは、
逆に「AKB48人気がヤバくなったらすぐに我々は手を引く準備があるんだぜ」
という事なんじゃないかなあ...と邪推してしまいました。


よくわかってないんだけど「運営側」って触れちゃいけないタブーなんだろうか。
いや、そんな事はあるまい。
作品内で「チーム4」のメンバーを紹介する時、タキシードのおじさんがいきなり出てきてたぞ。
この件に関してはライムスター宇多丸さんがシネマハスラーで
「この映画は大人たちを不問にしているけど、それやったら終わる。」とおっしゃってて、
あー、AKB48ってのはそれほど脆い世界で成り立っているんだ...って事が逆説的にわかった気分。


メンバーが恋愛禁止なのは何故か?
ライブでメンバーを呼吸困難になるまで動かせるものは何か?
2トップに「私たちにとって、票数は『愛』です。」
「私を嫌いでもAKB48を嫌いにならないでください。」と言わせてしまうのは誰か?
少女たちを傷つけてるのは誰か?


「ファン」と「運営側」でしょ。


みんなもうどうせわかってるんでしょ?


わかってる事を描かずにメンバーたちに全てを載せるのは欺瞞。


敢えて言わないのは「ファン」と「運営側」に共犯関係があるからで、
それを描いちゃったらこの狂乱の世界はオシマイ、と。


「運営側」にとって「ファン」は大事な顧客だもんね。


「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る」 - みせもんぞめき! -


私は現時点ではAKBと距離を置くスタンスなので
まったくその存在が頭になかったんですが、
そういえばAKBのドキュメンタリー映画って、第二弾を最近やってるんでしたっけ。
これはそれを見た、ヲタバイアスのかかってない方が
AKBの映画を見て思った感想です。


これ見た時、点と点がちょっと繋がったような感覚がしました。


私というAKB外のアイドルヲタから見た、最近のアイドル界の異変。
アイドルに興味ない層から見た、アイドル界への違和感。
それってまさしく「AKB帝国」の中心に繋がっていく。


でもAKB帝国の看板は「アイドル」だから、一種の「閉ざされたコンテンツ」だから、
それぞれの疑問が、繋がりあう事は、ほぼない。



AKBのすごいところは、「女性アイドル」という本来寿命の短いコンテンツで
日本の芸能界に多大な影響を及ぼすだけの権力を築き上げたところ。


「仲間」「絆」「ガチ」という綺麗なうたい文句。
「チーム替え」「総選挙」「じゃんけん」という若者の純粋さに直接訴求するショービジネス。
「国民的アイドルAKB」に物申す隙を与えない事務所展開。
「開かれたアイドルAKB」を演出するための支配人部屋やGoogle+。


そして運営がネット全盛時代のアイドルに軸として課した、
ヲタに考える暇を与えない「握手券」というアナログなシステム。



本題はそこで、もし、運営がそこまで登りつめるために
自分たちの思惑を「女性アイドル」という閉ざされたコンテンツに、
意図的に全て隠してやってきていたのだとしたら。


そして実際にAKBが大きい存在になり、同時に弊害でボロが露見し始めるであろう時、
それぞれの疑問を個々で打ち消して、障害を生み出さない図式まで考えて
「女性アイドル」というコンテンツを選んでいたとしたら。




・・・・こえー。まじでこええ!!



もちろん自分で↑書いてて、
「何電波っぽいこと言ってんだ」「妄想飛躍しすぎでしょ」
って感はちょっとある。



ただ、結構色々アイドルというものを考えるくせがある自分ですら、
「女性アイドル」という魔法にかけられて、
ここまで深く深く掘り下げて考えた事は今回が初めて。
しかもブログがたまたま見られる機会に恵まれた偶然によるたまたま。


それと同時期に、ヲタバイアスのかかってない複数人がAKBビジネスへの違和感を口にしてる。
でも「女性アイドル」という固い門のおかげで、
ヲタバイアスのかかってない人は、きっとそのうちAKBビジネスへの疑問を忘れてしまう。
だから今のようなネット社会においても、
今回のような違和感のブラッシュアップが起きる事はかなりかなり少ないのではないか。
なぜかというと、



「AKBは女性アイドルである」から。




・・・んー、でここで秋元康をTOPとした独裁政権への怨みつらみを書いても
もう一個人のアイドルヲタとしては正直どうしようもないんで、
こっからは私は私にできる、ヲタとしての話にします。



それでまぁ、一種世間からわかりにくい、
ガチのアイドルヲタが、アイドルに対してどういう考えを抱いているか、
っていう一例は、今世間に一番近い場所にいるももクロちゃんを例に

「私が最近とあるアイドル界隈を苦手な理由」「アイドルが好きということ」

のあたりで掘り下げていったんですけど。



AKB映画に関する引用で
ファンの責任に言及するくだりがありましたが、
アイドル界隈を一定期間継続して見てきた感触としては、
どこのアイドルヲタも、アイドルを磨耗させている自覚はどこかしら持っていると思います。
言ってしまえば、女性アイドルファンの「応援」と「贖罪意識」は表裏一体。
それに少女特有の思春期の輝きがあいまって、
アイドルヲタはわーっと熱をあげるわけです。


そしてヲタのこの自覚自体は、いつの時代も変わってはいないと思います。
基本的に、アイドルを磨耗させているのはファン達です。
でも誰よりも、アイドルとして仕事をする彼女たちを一番見ているのも、ファン達。


しかし今までと違うのは、その贖罪意識で結ばれたある種盲目な集まりを、
自らの永年継続ありきで、AKB運営がシステムに組み込んでいき、
そしてアイドルを例を見ないほどの巨大勢力に成長させたことです。


ここで前半部に話が繋がりますが、
今やものすごいコネクションを持ち、莫大な利益を生み出す一大コンテンツとして君臨しているのが
今のAKB48グループ。
そしてその、無意識も含めての対抗馬としてあげやすい勢いのあるコンテンツが、
今のももいろクローバーZ。
そしてその2グループに共通するのは、他に比べてヲタの贖罪意識に華を沿える
下積みからのバックストーリーが濃厚に演出されてること。
そしてその演出に呼応した内輪の応援意識が非常に強固であること。
 =内部の盲目な視点だけで発展しやすい土壌が備わってること。





AKBの最大の功罪は、アイドルヲタを形骸化させた事で、
アイドル自身の、究極の形骸化に成功した事だと思います。


アイドルファンの贖罪意識を利用して、徹底的にファンに考えさせることをやめさせ
そのファンからの「熱心な支え」で、アイドル自身に極限までの「形骸化を望ませた」。


そうしてアイドルを利用して完成した、AKB帝国という巨大ビジネス。
それに対抗するために、
今度はももクロというアイドルが外野から「形骸化させられようとしてる」。
正統派アイドルを掲げるAKBにわかりやすくぶつけるための、
アイドルじゃないという「熱心な支え」で。




私は、AKBとももクロのヲタの方にこそ、
もっと自分たちがアイドル業界、引いては芸能界で置かれているポジションを
ちゃんと認識してほしい。
皆さんの行動や意見は、今やすごくすごくすごくすごく重いものになってます。
だからこそ、もっと内輪の違和感にはもっと色んな反応が飛び交うべきだし、
「顧客」であり続ける意味を、もっと真摯に考えてほしい。



本来女性アイドルの寿命による新陳代謝で補ってた部分を、
AKBが新しいシステムでアイドルを永久機関にしようとしている以上、
ファンが形骸化を脱して新陳代謝を促さない限り、
いずれ女性アイドル界は内部から腐っていくのではないでしょうか?



「功罪」 -- てがらとあやまち。功績と罪過。



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